一章 1 ここはどこ?俺様は誰?
少し寒いな。これが死んだということなのか。
でも死ぬほど寒いわけではない。
すきま風が少しだけ入ってくるような寒さ。
冬の拘置所のほうがずっと寒かった。
――龍馬さん。
誰かが俺様を呼んだ?
女の声?ずいぶん若い。
教誨師?刑務官?いや、おっさんばかりだぞ。
「……龍馬さんは、」
また聞こえる。夢か。木の匂いに香ばしさを足したような、懐かしい懐かしい香りが、鼻の奥に感じる。
居室の机?戻ったのか?
まぶたを開けると、目の前には木目の机があった。
……机?違う机?
頬に木の冷たさが残っている。
どうやら突っ伏して寝ていたらしい。
「龍馬さんの……」
三度目でようやく顔を上げた。
「ん?呼んだか?」
反射的に立ち上がると椅子が大きな音を立てて後ろへ倒れた。
拘置所の居室に椅子?いや……教室?
その教室の中にいる複数の視線が、一斉に俺様へ集まる。
黒板、机、制服姿のガキども。
前には二十代半ばくらいの女教師が立っていた。
おお?可愛いな。
だが、今はそんなことより、ここは、どこなのだ?
女教師は少し困ったように笑っている。
「あなたじゃなくて、竜馬さんよ?」
そう言って俺様の席の反対側を指差した。
見ると、竜馬と呼ばれる男子生徒がこっちを見ている。
教室が吹き出した。
「あははは!」
「獅子丸、寝ぼけてる!」
「また寝てた!」
獅子丸?
女教師は笑いをこらえながら言った。
「今日はいつもと違って元気ね、獅子丸さん」
「……待て」
俺様は自分の胸を指差して、
「俺様のことか?」
「もちろん」
いや、違う。俺様は阪本龍馬だ。
そう言いかけた瞬間、違和感に気付く。
袖口から見える手は、細く、小さく、皺一つない。どう見ても三十代の男のものじゃない。
「……なんだ、これ」
教室が静まり返る。俺様は震える手を見つめた。
小さく細い知らない手。
制服?らしきもの。
なによりも女先生……背がデカい。
「獅子丸さん、大丈夫?」
女教師が駆け寄ってきた。
待て。待て。待て。
夢?走馬灯?天国……ではない。
どちらかというと地獄側だぞ。俺様は。
「先生、保健室連れて行きますか?」
奥にいる女子中学生らしき子どもが、言っている。
「獅子丸さん、気分が悪いの?震えているけど」
「いや……俺は」
「今日は何日の何曜日?」
「処刑……日?」
またガキ共の視線を一斉に感じる。
「「「わははは」」」
「27日 木曜日!」
「富野さん、念のため、連れて行ってあげて」
女教師はまだ笑いをこらえながら言った。
「はい」
そう返事をすると、俺様の所に来て「行こっ」と言って教室の入り口に向かった。
◇
廊下には、習字や体育祭のポスター、部活動の大会結果が並んでいた。 俺様には、もう二度と縁のないはずだったものばかりだ。
富野と呼ばれていた子どもに連れられ、階段を二階分ほど降りて保健室へ向かった。
ガラガラガラ
大昔から変わらぬ、安っぽいドアを開けると、富野が「失礼します」と言い保健室の中に入った。
「先生、松丸くんが……」
なにやら説明を始めた。
ふと横を向くと、手洗い場の鏡に見知らぬガキが映っていた。
何だこのガキは。ん?ガキ?
「……誰だ、お前?」
「……」
「——お、俺様はガキなのか!?」
そう言うと養護教諭らしき女と富野が、驚いた顔をして俺様を見ている。
少しの沈黙が生まれたが、養護教諭が「ふふっ」と笑いながら「ただの思春期じゃないの?」と言ってきた。
思春期だと?A級暗殺者で、ナイス・ガイである俺様が?
「いえ……さっきは、なんか、震えていて」
と、富野が困った顔でこちらを見ている。
どういうことだ。死刑が失敗した? いや、違う。 このガキが俺様なのか。俺様は、このガキになったのか。
最近流行ってる、あれか。
いや、見覚えのある光景だし、薄着の魔法使いもいなさそうだぞ。
「お前は誰だ」
とりあえず、養護教諭らしき女に聞いてみた。
「お前って……松丸さん、教員に対して「お前」なんて言ったら駄目でしょ」
「一応聞くけど、頭とかぶつけたりしてない?」
「それはこっちが聞きたいことだ」
「んー困ったわね、とりあえず富野さんは教室戻っていいわよ」
「はい、では失礼します」
そう言うと富野は保健室を出ていった。
◇
その後養護教諭に色々と聞かれたが、身体に異常はないと言い張り、教室へ戻ることにした。
授業は終わっているようで、ガキ共がうじゃうじゃ廊下に屯している。
三階に上がり、先ほど俺様がいた窓際の一番後ろの席に座った。
「お前、誰の席に座っとるんや」
おお、懐かしい。こんなガキ、昔はよくいたな。
金髪を逆立て、両脇を大きく刈り上げた、いわゆる今時のヤンキーとでも言うのかな?
「ここは俺の席だぞ」
「ふん。なにを言っている?俺様は起きたらここにいたのだ」
「子どもが大人に喧嘩を売るな」
「大人?お前なに言ってんだ獅子丸?お前のクラスはもっと向こうだ!」
「なに!?」
「ここはE組だ!お前はBだろがっ!」
「やけに俺様のこと詳しいな」
「学区が、だいたい一緒なんだから当たり前だろ?幼稚園から一緒だろうがっ!」
がっ!がっ!とうるさいパイナップルだな。
育ちの悪いガキだ。
「貴様と幼馴染だと?」
「はぁ?馴染んじゃいねぇが……なに言ってんだ?」
「俺様が、いかにもアホな貴様と幼馴染だと?」
「アホってお前!口悪りぃな……どした?キャラ変か?」
「キャラ変?こいつが?」
と、自分を指さした。
「お前、保健室行ったほうが——」
「その保健室から、只今、帰って来たのだ」
「そっそうか……獅子丸、とりあえずお前の教室はあっちだ」
パイナップルは首を傾げ指を廊下の先に向けた。
ガキ共がまだ廊下に屯っている。
あっちを見てもガキ、こっちを見てもガキ。
少女たちは楽しそうに談話し、男共は、有り余る力を全力で発散するよう暴れまわっている。
B組の入り口に入ると、なにやら大きな少年の声が聞こえた。
「おい、あいつにカッター持たせたら殺されるぞ」
何人かの子どもたちの笑っている声が聞こえる。
いつの時代もこういうのあるんだな。
そんなことを考え、教室の奥で笑いものにされていたのは、一人の少女だった。
今のガキは男が女を露骨に虐めるのか。
そう思い、からかわれている少女へ目を向ける。少女は俯いたまま、教科書を胸に抱えていた。
可愛い?……そうではない。何故か胸がざわつく。
理由は分からない。
その少女が顔を上げた。
「なっ……」
まさか。 いや、そんなはずはない。
「お前の親父、昨日処刑されたんだって?」
「二代目殺人鬼、目指してる?」
気づけば左足が動いていた。 つま先がコメカミを捉え、ガキは机へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「キャーッ!」
「おまっ、なにやって……」
悲鳴と怒号が教室中に広がった。
「獅子丸、お前やりす——」
駆け寄ってきたガキの一人の後頭部を掴んで、引っ張り、鼻先が触れそうなところまで顔を引き寄せた。
「お前もあいつの仲間?」
「いてて、ちげぇよ。離せ、どうした獅子丸!」
「本当か?」
「ちげぇって」
「そら、すまなかったな、少年」
「少年って……お前、朝から変だぞ!」
「そうなのか?それと、もう一つ聞きたいことがある」
「なんだよ?いってぇ……」
少年は、後頭部に手を置き俺様を睨んでいる。
「あの少女の名前は?」
「あぁ、ってか獅子丸も知ってんだろ?養護施設からお前の家、ちけーんだからよ」
「養護施設?いいから答えろ」
「阪本さんでしょ?阪本澪さん」
「いくつだ!?」
「知らねーよ、でも、俺様らと同じなら十三か十四だろ」
まさか、そんなことあるのか。
そう考えた、そのときだった。
「獅子丸さん、なにやってんの!」
と、先ほどのデカい美人教師が、喚いて駆け寄ってきた。
あとから男性教師が三、四人入ってきて取り囲まれ、なにか言っているようだが、耳には入らない。
阪本澪は、俺様を見ている。
面影がある。いや、見間違えるはずはない。
俺様は少女の前まで歩き、額にかかった前髪をそっと払う。そこに、小さな傷跡があった。
三歳の頃、転んで額を切り、泣きじゃくっていたあの日。……忘れるはずがない。
「きゃっ」
「松丸!なにやってんだ」
少女が小さく悲鳴を上げると、後ろから男の怒鳴り声が聞こえ、背後から腕を取られた。
「落ち着け!」
男性教師が力を込め乱暴に引っ張る。
だが次の瞬間、身体が勝手に動いた。 掴まれた腕をひねり、力の向きに半歩だけ身体を滑らせた。 気づけば、教師の腕は空を抱いていた。
「はっ?」
「えっ?」
教師はきょとんとした顔で俺様を見ている。
……今のは、死刑囚だった頃の俺様の動きだ。あの頃の記憶は、まだ残っているのか。
一歩踏み出し、もう一度、澪の前に立った。
こいつは——俺様の娘だ。




