執行の記憶
4月26日水曜日
死刑囚というのは、案外暇な生き物だ。
朝起きて、飯を食って、本を読んで、たまにDVDが見れて、また飯を食う。十年もそんな生活を続けていると、季節の匂いだけで月日がわかるようになる。
もっとも、それも今日で終わりらしい。
「阪本さん」
鉄格子の向こうから刑務官が静かに呼ぶ。
ああ、来たか。
その一言で十分だった。俺様は湯のみを置き、冷めきった茶を一口だけ飲んだ。
「今日でお別れです」
「そうか」
思っていたより足腰は軽い。
人間というのは不思議なもので、腹を括ると案外歩けるらしい。
ちがうな。
『うぁ〜ごめんなさい、ごめんなさい』
『お、お前ら呪い殺してやるからな』
『心身が健康じゃない時は、執行されないはずだろ! 法律違反だ!』
約十年いたここで聞いた断末魔が、蘇ってきた。
はは。俺様はやはり皆に言われ続けた、変わり者だったのかな。
「緊張されていませんね」
左側の刑務官が歩きながらぽつりと言う。
「十年待たされたんだぜ?」
手錠を掛けられた両手を軽く持ち上げ、カシャカシャと手振って答えた。
「むしろダラダラと二、三十年ぶち込まれている方がダルい。だが、生きている間にHUNTER×HUNTERの最終回が見れなかったのは残念だ」
刑務官は困ったような顔をし、喋れない代わりに笑顔で俺様を見ている。
(うわ〜……もろおっさんだな)
最後くらい二十代のギャルとかが連れて行ってくれれば、断末魔も少しは減るだろうに。
いや、俺様の場合は、もう一度部屋へ戻って髪を整える時間を要求するかもしれんな。
黒髪でも金髪でも構わない。胸が大きければ、なお良し。
(こんな日に笑う奴なんて、まともじゃない。ああ、昔からまともだった覚えもない)
相変わらず味気ない廊下だ。十年見続けた景色だというのに、最後まで趣味が悪い。
静かだな。しかし、他の死刑囚の居室から、無言の安堵した心の声が聞こえてくるようだった。
『今日は俺じゃない、助かった……』
(俺様もそう思っていた時期もあった……あったっけ?)
◇
案内された部屋で教誨師が頭を下げる。
いつもの上間住職だ。
住職のくせに髪の毛が長い。こいつは袈裟を着てなきゃ、サラリーマンにしか見えんはずだ。このなまくら坊主め。
「最後に、お話しされますか」
「いや」
そんな坊主に今さら語ることなどない。
断ろうと思ったが、しょうもないことを聞いておこうと頭の中によぎった。
「一つだけ聞いていいか」
「なんでしょうか」
「娘が四歳の頃ってな。父親との約束なんて、覚えてるもんかね」
坊主は、すぐには答えなかった。少しだけ目を伏せてから、小さく微笑む。
「忘れていても、不思議ではありません」
「だよな」
(そう言われたかったんだろ?)
俺様の中で俺様が笑っている。
「なら安心だ」
(嘘つけ!)
忘れていてほしいだけだ。死刑囚の父親なんて、覚えていて得することは一つもない。
そんな話をひとしきり終え、煙草を一本吸った。
おお、ヤニクラ? 何年ぶりだ?
「最後に酒と女も用意してくれれば、文句はなかったんだがな」
「女は難しいですね」
「酒だけならいけるみたいな言い方するなよ」
上間住職は少しだけ笑った。これが最後に見たシャバの人間かと思ったら、一発くらい殴っておけばよかったと思う。
◇
そして、頭がクラクラしながら刑務官に案内されるがまま、教誨師のいる部屋を出た。
「ここが、一生で一度しか入れない部屋か!」
刑務官が驚いた顔をしている。
「阪本さん、時間です」
そう言うと複数の刑務官が、布袋を俺様の顔に被せ、手足を縛っていく。
「あらーん、やだ、すいませ〜ん」
足元から中年と思われる女性の声が微かに聞こえた?
そう思ったが、すぐに静寂に戻り、何事もなかったように、またカチャカチャと俺様を拘束する作業が進められている。
(女か……)
最後に聞く声が、むさ苦しいおっさんじゃなかっただけでも【大当たり〜】なのかもしれない。
欲を言えば、顔も見たかったが、中年という予想が外れていた時の落胆を考えれば、声だけにしておいた方が夢はある。
(おいおい、それより下の女、バカなのか?)
声を出したら、これから落っこちる距離感が想像できちまうじゃねーか。デリカシーのない女だ。
落下する時、近くにいたら蹴飛ばせねーかな?
刑務官の作業が終わり、一切の音が遮断された。
足元が抜ける感覚と同時に身体が沈み、首に今まで経験したことのない衝撃が走った。
痛みなのか熱なのか判別もつかず、息を吸おうとしても肺が動かない。覆い隠された布の中から視界だけが妙に鮮明になり、どこか遠くで誰かが叫んでいるような気がした。
……まだ、意識があるのか?
『助けて……』
はっ?誰?……しぶてぇな……俺様。
『殺す……僕が……必ず……』
だから誰……だ……?
——そうだ……澪に謝らなきゃならねぇ。
約束、守れなかった……な……
澪……すま――




