一章 17 かつて三日月先生と呼ばれたこともある女
五月二十ニ日 月曜日
水樹さんが来たあと、僕はスマホでボイスメモを確認したが、メッセージは入っていなかった。
ただ、仲間のグルチャを見る限り、警察の聞き取りはあったが、誰かが捕まったりすることもなく、澪を含めて日常へ戻ったようだった。
コンコンッ
「はいっ」
「あんた、凄いじゃん!」
「姉ちゃん?」
「なんか、おばあさんの心臓マッサージを悠真って子?にやらせて、自首までさせたんでしょ?」
(そうか……龍馬さんが次の日、起きて)
「なんか、警察もパパに謝りにきてー、おばあさんも生きているらしいのよ!」
「こらこら、愛羅、獅子丸くんは、怪我人なんだから、それくらいにしておきなさい」
「そうよ、愛羅ちゃん、獅子丸ちゃん大変だったんだから」
パパとママが病室へ入って来てそう言った。
「松丸くん、体調はどうだい?」
白衣姿のお医者さんが、パパとママに軽く会釈をしてから僕のベッドへ近づいた。
「手の傷は問題ありません。腱も神経も無事です」
「輸血はしましたが、経過は順調です。このまま異常がなければ、明日の午前十時に退院できます」
お医者さんはそう言って病室をあとにした。
◇
午後になると、面会に澪が来ていると、看護師さんから連絡があった。
デイルームへ向かうと、中央にある四人がけの席に澪は座っていた。
「獅子丸くん」
「学校、終わったの?」
「うん」
「あっそうだ、これ」
そう言うと澪は、封筒を手渡してきた。
中身を開けると、中間テストの結果だった。
「美月先生に渡して来いって言われた」
僕は、恐る恐るテストの結果を一瞥した。
【英語……4点】
(僕じゃないのに……終わった……)
血の気が引くのがわかった。
輸血がまだ必要かもしれない……
「テスト……悪かったの?」
少し笑いながら、澪は外の景色に視線を向けた。
「獅子丸くん……」
「ん?」
テストの結果を眺めながらぼんやり答えた。
「今日……朝、水樹ちゃんと会った?」
「えっ!?」
僕は狼狽えたが、澪は景色を見たままだった。
「いや、まぁ……朝来たよ」
「そー窓から入ってきて、看護師さんに怒られて……逃げていったよ、凄いね。水樹ちゃんも」
(……慌てている?)
澪は振り向かない。
しばらく澪はなにも言わなかった。
そして……
「そっか」
と言い、振り向いた澪は笑顔だった。
「おばさんに聞いたよ?明日退院なんでしょ?」
「う、うん……お医者さんが言うには」
「そろそろ帰るね、明日これたら学校でね」
「……」
澪はそのまま振り返ることなく、デイルームを出ていった。
◇
「梨恵……このニ度目の出会いは偶然ではない」
「……」
「今日で俺様は退院する」
「……」
「そこでだ。快気祝いに、ディナーでもどうかな?」
ガラーッ
「おお、朝から看護師さんをナンパするとは、獅子丸くんも元気になったねぇ」
(うわっ!良いところで、ゆるふわ親父が入ってきたぞ)
「そうねぇ、梨恵さんと言うの?うちのコをよろしくお願いしますー」
(ゆるふわ親父の嫁!)
「いえっ……私、そういうのはちょっと、アハハァ……」
「そうだ。よかったら、うちにご招待しようか」
「あらっ、それもそうね!梨恵さん、是非ウチにいらっして下さい」
「いえっ、あの、失礼します」
そう言って梨恵ちゃんは、出ていってしまった。
「って、事は……?」
「そうね、お父さん。今日の獅子丸ちゃんは」
「うん」
なんかゆるふわ親父がニコッとしたぞ?
「僕をゆるふわ親父って呼んでくれる獅子丸くんの日だなぁ」
そう言うとゆるふわ親父は、俺様に抱きついてきた。
「うわーやめろー!」
(溺愛しすぎだろーコイツの親——)
◇
五月二十三日 火曜日 午前十時
県庁・記者会見室
「読売新聞の佐々木です。まず、えっと……三日月美月先生でよろしいですか」
「いえ、みかづくです」
「失礼しました。では、三日月先生に質問します」
記者は手元の資料へ一度目を落とした。
「被疑者となった少年が事件を起こす可能性を、事前に把握していたとされていますが、その点についてはどうですか?」
「はい。クラスの生徒から、そうした予想は聞いていました」
会場がざわめいた。
隣に座る校長が、口元を隠すようにして囁く。
「先生、想定問答どおりに」
わずかに頷き、すぐ記者たちへ目を戻した。
「では、事前に止めることはできなかったのですか?」
「それができれば、中高生の加害者は生まれないのでは?」
「どういう意味ですか、それは」
「言葉のとおりです」
「事前に生徒さんから予想を聞いていたとのことですが、それを受けて、先生はどのような行動を取ったんですか」
「弁護士の佐藤です。その点については、私からお答えします」
佐藤弁護士はマイクを引き寄せ、手元の資料へ目を落とした。
「当初、事件は五月二十一日に行われる可能性があると、生徒から相談がありました」
「三日月教諭は直ちに関係する生徒へ危険を伝え、現場へ向かわないよう指導するとともに、緊急時には自ら連絡を受ける体制を整えました」
「その後、決行日が五月二十日に前倒しされたことを把握すると、単独で現場へ向かった生徒を追い、事件現場へ急行しています」
「現場では、被害女性に対する救命措置を継続させるとともに、被疑者となった少年を説得して自首へ導き、警察署まで同行しました」
「結果として、被害女性の命は救われ、少年の逃走やさらなる被害も防がれました。三日月教諭は、限られた状況の中で、生徒と被害者の安全を最優先に行動したものと認識しています」
(違う……私じゃない)
「事前に指導を適切に行っていれば、このような事件になることはなかったのではないですか」
「そちらについても、こちらでお答えします」
「匿名・流動型犯罪は、非常に巧妙化しており——」
(だから私は……私には止める力なんてなかった)
「その集合場所から現場に向かった生徒さん、実は仲間であった可能性はあるんじゃないですか」
「それについては、現在も警察が捜査を進——」
(獅子丸くん!)
私は気づいたら立ち上がっていた。
「三日月……先生?どうされましたか」
校長が慌てて私の腕に手を伸ばす。
私はその手を振り払った。
「違います!」
会場が静まり返る。
隣で校長が私を見ている。
(知ったことか!)
「現場へ向かった生徒は、仲間なんかじゃありません!」
「止めようとしたんです! 一人で! 怖かったはずなのに、それでも追いかけて、傷ついて、それでも止めようとしたんです!」
息が苦しい。
胸が熱い。
「私たち大人は……」
言葉が震えた。
(獅子丸……くん)
(うん……わかっている。カッコよくだ!)
私は記者の人達を見回した。
(大丈夫、もう……怖くない)
「私たち教員は、あの子たちを守れませんでした」
「三日月先生!?」
「今、ここで褒められているのは私です。でも違う!」
涙を堪えながら叫ぶ。
「命懸けで動いたのは、あの子たちです!」
「私は……何もできなかった!」
フラッシュが何度も光る。
「私から言えることは、それだけ……です」
私はマイクから離れた。
背後で誰かが名前を呼んでいたが、振り返らなかった。




