一章 14 血の⋯⋯普通の土曜日
◇
「おい。もういいだろ」
生け垣の中で、獅子丸は動かない。身体の半分が葉に埋もれ、右手だけが不自然に外へ投げ出されている。突き立てられたナイフだけが、外灯の光を細く反射していた。
「死んでねえよ。たぶんな」
男は確かめようともせず、吐き捨てるように言った。
「こんなガキ、どうでもいいだろ。それより時間ねえぞ」
男の一人がスマホを取り出した。
「場所、どこだっけ?」
「待て。今出す」
(行くのか……本当に)
「これだ。○○県、▲▲市――」
「ここから二十分?」
男は地図を拡大し、画面を隣の男へ向けた。
地図の青い線が、現在地から目的地まで伸びていた。
「▲▲市□□町三の二の一。城戸って家だ」
「金、本当にあんのかよ?」
「指示役の話じゃ、家に現金で二千万。年寄り二人暮らしだ」
これから自分が何をやらされるのか、急にはっきり見えてしまった。
「お前がインターホン押せ」
「警察です、夜分遅くすいませんって言って、玄関を開けさせろ。あとは俺らがやる」
「……聞いてた話と違う」
「あぁ?」
「見張るだけって……」
肩を掴む手に力が入った。
骨を握り潰すような力に、悠真の顔が歪む。
「ここまで来て帰れると思ってんのか?」
「でも――」
「お前の顔も施設も、澪ちゃん?も知ってるからな」
男の口元がわずかに吊り上がる。
「ほら、行くぞ」
背中を押され、一歩、靴が砂利を踏んだ。
生け垣へ目を向けた。
助けに来た理由も、なぜ自分を先輩と呼んだのかもわからねえ。
「……ごめんな」
「おいっ、そのクソガキのスマホも切っとけ!」
悠真はポケットの上から、スマホを握りしめた。
◇
『おーい!尊ぅ、なんか、獅子丸の位置消えてっぞー』
通話口から聞こえる豪樹くんの声は、いつも通り大きかった。
けれど、その声の奥には、わずかな焦りが混じっている。
「豪樹くん? 消えているけど、運動公園にいるはずだよ」
『そうなの? なんかやべーことになってんの?』
「わからない……でも今、美月先生と合流して運動公園に向かってる」
少し歩調を速めながら答えた。
夜道を照らす街灯が、一定の間隔で二人の影を長く伸ばしていた。
『わかった! 大至急向かうよぉ、俺も』
「うん、お願い……」
画面が暗くなったあとも、スマホを強く握ったままだった。
◇
「獅子丸ー」
呼びかけても返事がない。
生け垣の奥へ目を凝らすと、枝と葉の隙間から制服の袖が見えた。
獅子丸が、なんか植木みたいなところで転がっているよー。どうしよぉ。
片方の腕が葉の外へ出ている。
その手にはナイフが刺さり、周りの地面が黒く濡れていた。
(どうすんの? アタシ、こんなとこ見たことない。怖い)
喉の奥から変な声が出そうになり、水樹は慌てて唇を噛んだ。
「ちょっ、生きてんの? アタシどうしたら良いの?」
しゃがみ込み、獅子丸の顔を覗き込む。
目は閉じたままで、頬には土と葉が張り付いている。
抱き上げる? 呼ぶ? エッチとかしたら起きるの?
「わかんなーい」
頭の中に浮かぶのは、役に立たないことばかりだった。
救急車を呼ぶべきなのか、動かしてはいけないのか、それすらわからない。
とりあえず膝に乗せる? 頭持つ?
両手を伸ばし、ゆっくりと獅子丸の頭を持ち上げた。
髪の間に指を入れ、できるだけ傷つけないように持ち上げる。
思ったよりも重い。
腕に力を入れ、自分の胸元へ引き寄せた。
そして、そっと抱きしめる。
「うわぁ〜、ナイフが土から抜けちゃったよ〜」
「あってんの? おいっ、どーすんの? これ」
顔を覗き込みながら、何度も呼びかけた。
「水樹さん!」
「先生!」
遠くから声が聞こえた。
足音が近づき、生け垣の向こうで懐中電灯の光が揺れる。
「ん?」
何かが水樹の腰のあたりへ触れている。
あら? お尻触られてる?
◇
「……小さい……胸?」
「わっ!」
突然聞こえた声に、水樹の身体が跳ねた。
ゴトッ。
抱えてられていた頭が地面へ落ちた?
「……ってぇ」
後頭部に鈍い痛みが走った。
「獅子丸!」
水樹の顔が目の前へ飛び込んでくる。
今にも泣き出しそうな顔をしていた。
なんか……抱きしめられてる? ……小さいのに。
「一回落とされた?」
「獅子丸くん」
別の声が聞こえる。
目だけを動かすと、美月が膝をついてこちらを覗き込んでいた。
(美月?)
「獅子丸!」
水樹の声が耳元で響く。
(この小っさいのは……水樹か……)
「獅子丸くん!」
その後ろから尊が顔を出す。
スマホを手にしたまま、困惑した表情を浮かべている。
(ああ……? 盗撮魔……)
地面へ手をつき、ゆっくりと身体を起こした。
身体のあちこちに鈍い痛みがある。
視界が一瞬揺れ、胃の奥がひっくり返りそうになった。
それでも目を細め、周囲を見渡す。
水樹、美月……ややこしいな。一文字違い……あと尊がいる。
「みんな! 待たせたなっ!」
水樹が眉を寄せる。
「……はっ? なにそれ」
「いや、気にしなくて良い。お決まりだ」
何事もなかったように言った。
しかし、右手を動かした瞬間、鋭い痛みが腕を走る。
「水樹、何時?」
「えっ? あぁ、○時七分?」
水樹は慌ててスマホの画面を確認した。
「痛っ!」
掌に刺さったナイフが、動くたび傷口を広げていた。
「だっ大丈夫なの?」
水樹が青ざめた顔で手を見る。
「ああ、手にナイフ刺さっているわな」
「尊、どういうこと?」
美月が顔を上げる。
「いや、獅子丸くんが知ってるんじゃないの?」
尊は困ったように首を振った。
「あーいや……記憶喪失?」
頭の中を探る。
直前まで何をしていたのか、何も残っていない。
「君の位置情報がここにあったから、みんな……」
尊がスマホの画面を見せる。
地図上の印は、運動公園の一点で止まっていた。
(獅子丸が……単独で行動を?)
自分が表に出ていない時間。
その間に、獅子丸が何かをしようとした。
「尊……スマホがないんだ。調べられるか?」
「あっ……うん」
尊がすぐに自分のスマホを操作し始める。
「えっ? ないの? どこに落としたのよぉ」
水樹が立ち上がり、周囲の地面を見回した。
生け垣をかき分け、落ち葉を足で避けながら探してくれている。
「あったわよー」
少し離れた場所から、美月の声がした。
十メートルほど先で、スマホを頭上へ掲げている。
ふらつきながら立ち上がり、美月のところまで歩いた。
スマホを受け取る。
「あー! 画面が割れてる! 誰だ、こんなことしたやつは!」
画面には細かなひびが入っていたが、まだ動く。
ロックを解除し、履歴を確認した。
調べると、録音データが残っていた。
録音時間は十数分。
再生ボタンを押すと、風がマイクを叩く音、砂利を踏む足音、男たちの低い声が流れた。
録音を最後から巻き戻しながら、要点を探していく。
指を止めては再生し、違えばさらに前へ戻した。
『▲▲市□□町三の二の一。城戸って家だ』
『金、本当にあんのかよ?』
(あった……ここに悠真はいる)
男たちが出発してから、すでに時間が経っている。
ブァーー! バンッボー!
突然、運動公園の入口から大きな排気音が響いた。
単車のライトが闇を切り裂き、砂利を跳ね上げながら近づいてくる。
「豪樹っ!」
水樹が振り返る。
「いやー、遅れてすまん。どうなってんの?」
豪樹は状況がまったくわからない顔で、単車から降りた。
「ちょうど良かった! その単車でここに向かってくれ」
「ああ? よくわかってねーんだけど?」
スマホの地図を豪樹へ見せる。
「おお、おまえは本当にタイミングが良い〜な〜! パーカーも脱げ!」
「は? なんでだよ」
「良いから良いからー」
豪樹は首を傾げながら、パーカーの裾を掴んだ。
言われるまま頭から引き抜く。
「ほらよ? さみーのか?」
答えず、右手に刺さったナイフの柄を握った。
息を止め、一気に抜き取る。
「おまっ、おい! 刺さってんじゃん!」
掌から血が吹き出す。
赤い雫が次々と地面へ落ちた。
水樹が小さく悲鳴を上げる。
美月も息を呑み、獅子丸の手を見つめた。
ナイフで豪樹のパーカーを引き裂く。
布地が鋭い音を立てて裂けた。
長く切った布を肘より上へ巻きつけ、腕を強く圧迫する。
さらに掌の傷口へ、残ったパーカーの切れ端を何重にも巻きつけた。
歯で布の端を引き、片手で強く結ぶ。
血は完全には止まっていないが、吹き出す勢いは弱まった。
「美月、住所はここだ」
地図を開き、ラインで住所を送る。
美月のスマホが短く鳴った。
「俺様は一足先に行って、止められたら止める」
「子どもたちは任せた」
そう言って、豪樹の単車の後ろへ飛び乗った。
美月が何か言おうと口を開く。
その前に続けた。
「単車は見逃してやってくれ」
豪樹が片足で車体を支えたまま、後ろを振り返る。
「豪樹、行こう!」
「あっ……ああ、わかった」
豪樹がアクセルを回す。
エンジンが吠え、単車の車体が細かく震えた。
単車は運動公園の出口へ向かって加速し、そのまま夜の道路へ飛び出していった。




