⑦ エスケープ
グレン・ミラー少佐は当惑していた。
と言うのも、つい先程まで盟友だと思っていた、ベーゼル中佐の部下の男に、裏切られだからだ。どうやら彼はナチスのスパイだったようだ。
その男は突然、グレン・ミラーのことを、「今後のナチスドイツの発展のために邪魔になる。」と言い出した。
そしてパイロットを始末し、操縦席まわりを破壊すると、他のパラシュートを全て機外に放り出して、自分だけパラシュートを使って、脱出して行ったのだった。
少佐は今日まで、祖国のアメリカと世界の平和のために、良かれと思って音楽の活動を続けて来た。しかし、まさかこんなに身近な者から、裏切り行為を受けるとは考えもしなかった。
乗機は降下を始めたが、この状況から逃げる手段はもう無い。彼は潔く覚悟を決めた。
しかし次の瞬間、彼は自分の目を疑うことになった。いや、むしろ死への恐怖の余り、とうとう幻覚を見たのかとさえ思った。
ついさっき、裏切り者が出て行ったハッチから、見知らぬ男がパラシュートも持たずに現れたのだ。
そしてその謎の人物は、美しいキングスイングリッシュでこう言った。
「少佐。助けに来ました。私と一緒に来て下さい。」
こういうのを確か日本では❝地獄に仏❞とか言っていたな。グレン・ミラーは、極限状態で変な事を思い出していた。
しかし、迷っている暇は無かった。
こうしている間にも、乗機はどんどん降下しているのだ。
もう無我夢中で、その男に手を引かれてハッチから顔を出すと、彼は更に信じられないモノを目撃したのだった。
それは乗機のハッチに横づけされた、シルバーのワーゲンビートルだった。
あのアドルフ・ヒトラーが、国の威信を賭けて作らせた、ナチスドイツの国民車。さてはこやつも裏切り者の仲間か?執念深く私にトドメを刺しに来たのか?
いや、待て。それより、クルマで空を飛んで来たのか?グレン・ミラーの頭は、すっかり混乱してしまったのだった。
「ああ、紛らわしいクルマのチョイスですいません。」
謎の男が気がついたように言った。
「ついでに言うと、今ハンドルを握っているのは日本人ですが、貴方の敵ではありませんよ。」
そう言われて運転席を見ると、確かにアジア系の人物が乗っていた。
「時間がありません。今はとにかく乗って下さい。」
あれよあれよと言う間に、グレン・ミラーはクルマの後部座席に押し込まれてしまった。
「杉浦君、上昇だ!」
サン・ジェルマンに言われて、鷹志は、ついさっき教えてもらったばかりの操縦技術で答える。
彼がハンドル兼操縦桿を、チカラの限り手前に引き寄せると、ビートルは機体を離れて上昇に転じた。
そして彼らの目の前で、グレン・ミラーが乗っていたUC-64は、海の藻くずとなって消えて行ったのだった。




