世界で唯一の存在は
「由比、話があるから、放課後ちょっと残ってくれるか?」
砂月は歩く由比を呼び止め、そう言った。
不思議そうに由比は訊く。
「今じゃダメなの?」
「今はちょっと……部活始まる前には終わるから。裏庭の木のところで待ってる」
今までないくらいの真面目な物言いに由比は頷くことしかできなかった。
そして、放課後。傾き始めた日に照らされて、砂月陽二は野球部の練習着姿で立っていた。
「何、砂月くん、話って? まるで告白みたいな真似しちゃってさ」
「真似じゃねぇ」
砂月はまっすぐに由比の目を見て言う。
短いショートカット。丸い瞳。幼さが残るが、徐々に女性らしくなってきたスレンダーな体。
ずっと、中学生の時から、砂月が見つめてきた彼女の姿をまるで焼き付けるかのように。
「俺、由比が好きだ。中学の時、初めてお前を見たときから、ずっと由比が好きだった。俺と付き合ってくれ。頼む!」
しばらくぽかんとしていた由比は、呆然と差し出された右手を見つめていた。徐々に理解が追いついてきて、顔に熱が集中する。
「え、えぇっ!? なん……なんで!?」
思わぬ返しに、砂月は少し狼狽える。だが、視線は逸らさないままではっきりと言った。
「俺、ずっと由比の……東條のこと、可愛いなって思ってた。魔術、全然できなくて、からかわれてたことも知ってる。陰口叩いてた女子に、お前らに東條の何が解るんだって言ったこともある。俺、魔術が楽しくて勉強してこの学校に来たけど、東條は多分違うこと、解ってた。東條は東條なりの意地があるんだろうって。だから、お前がここに入学できるって、また一緒の学校に通えるんだって解った時、すげえ嬉しかったんだ。お前と連絡先交換できた時だって、テオのこともあったけど、すげえ嬉しくって……。そのくらい、東條のこと、由比のこと、見てた。キモいって思われるかもしれないけど、そのくらい好きなんだ」
真っ直ぐな砂月の告白が由比に刺さる。ここまで一途に、人間の少年に思いをぶつけられたのは初めての経験だった。だが、だからこそ彼女は戸惑った。
「だって……砂月くんとよく話すようになったのだって、テオの友達だからで、阿方くんの友達だからで、共通の話題多かったからで……私、友達が増えたのが嬉しくて、ただそれだけしか考えてなかったのに」
戸惑いをそのまま言葉にする由比だったが、砂月も諦めずに言葉をつなげる。
「今はそれでもいい。由比が俺の恋人になってくれてから、好きになってくれてもいい」
「む、無理だよ。だって、私達、友達だったんだよ?」
「友達じゃ恋人になれないのかよ?」
「そうじゃないと思うけど……」
「それとも、もう別に好きなやつがいるのか?」
核心に迫られ、由比は言葉をつまらせた。ふと脳裏を過るのは、あの悪態しか吐かない関西人の顔。しかし頭を振って追い払い、言う。
「そんな人、いないよ……! いないけど、いないけど……。私、砂月くんと友達になれて、テオの友達になってくれて、嬉しかった。それだけ……それだけなの。砂月くんの期待に応えられるなんて、きっと出来ない……! そしたら、幻滅されて、友達ですらなくなっちゃうもん……!」
後半はもはや泣き声に近かった由比に、砂月はやっと自分が彼女を追い詰めているのだと理解し、言葉を紬ぐのをやめた。
「……ごめん、砂月くん」
「……そのごめんっていうのは、諦めてくれっていう意味のごめんか?」
「わかんない……わかんないけど……」
「……言いたいこと、これだった。俺は伝えたから。ゆっくり考えてくれたら嬉しい。……じゃあ、俺、部活行く」
「うん……わかった」
砂月は帽子を深くかぶり直し、俯いたまま走り去る。残されたのは混乱した頭を抱えていた由比だけだった。けれど、それでも彼女は鞄を持ち、帰路につく。頭に浮かぶのは普段はおちゃらけてばかりの砂月の真剣な目と、真摯な言葉だけ。気がつけば自室にいて、ベッドに倒れる。枕から消臭スプレーの柑橘系の香りがして、あぁ、お兄ちゃんは今日は布団を干したのかと考えたところで、部屋に控えめな声が響いてきた。
「ゆい?」
自分の召喚獣の声を聞き、少し冷静さを取り戻した。入っていいよ、と小声で呟くと、襖が恐る恐ると開かれる。そしてぱたんと閉めると、灰褐色の被毛のワーウルフが自分の顔を覗き込んでくる。
由比は思わずワーウルフに抱きついていた。セーラー服に皺が寄るのも厭わずに。
ワーウルフは由比の好きにさせていた。だが、普段とは明らかに違う主人の姿に、抱き返すこともしない。
「テオ、私、砂月くんに告白されたの。好きだって」
「そっか、ようじ、いったんだ」
「テオ、知ってたの?」
「ようじとはじめましてしてから、ずっときがついていた。ようじはゆいと『つがい』になりたいんだって」
「……テオでも気がつくこと、私、考えたこともなかったからびっくりしちゃって……」
「ゆいがびっくりしたのは、なにに?」
ワーウルフ……テオの声が、少しずつ由比の雁字搦めになった考えを解いていく。
「……私が、男の子に、そういう感情を向けられていたこと」
「ゆいは、かぞくがすきだよね?」
「好き」
「ようじのことは、すき?」
「好きだよ。でも、それは」
「テオ、わかるよ。かぞくへの『すき』と、かなえやせいすけやようじへの『すき』と、ほんとうにつがいになりたいあいてへの『すき』は、ぜんぶちがう『すき』だ。そうでしょう?」
少しずつ、少しずつ、解かれていく。由比は素直に頷いた。
「うん……」
「ようじへの『すき』は、かなえへの『すき』とおなじなのに、ようじからの『すき』は、つがいになりたいの『すき』だったから、ゆいはこまっちゃったんだね」
「……うん」
由比のテオを抱きしめる腕が強くなる。テオはやはりされるがままになっている。
「ゆいは、つがいになりたい『すき』のあいては、もういるの?」
「わからない……。わからないの、テオ。私は、どうしたくって、誰が好きなのか、もう、わかんない」
再び思考の呪縛に縛られそうになる由比に、再びテオは言葉をつなげた。
「ゆいはかぞくは『すき』だよね? かなえも、せいすけも、『すき』でしょう? じゃあ、テオのことはすき?」
言われ、由比は慌てたように叫んだ。
「当たり前だい! 私は、テオは大好きだ! テオが……テオがいれば……、もう」
「うん、テオもゆいがすきだよ。だいすき。……だいじょうぶ。テオはずっとゆいといっしょだから。なにがあっても、きらいにならない。テオは、ゆいのものだから」
テオの言葉を聞き、由比は悲しげに呟く。
「テオ……物だなんて、言わないで」
「それでも、ゆいはテオをすきにしてくれていいんだ。テオはゆいのもの。ゆいだけのもの。ようじも、せいすけも、テオのマブダチだけど、それよりも、ずっとゆいがだいじ。ゆいがいちばん。それだけは、ぜったいにゆらがないから」
テオの腕が由比の背中に伸びる。そして優しく抱きしめ返してくれる。テオのふわふわの被毛に由比は顔を埋める。
「ゆいの『つがいになりたい、すき』がみつかるまで、ゆいのいちばんの『すき』は、テオでいいんだよ。それも、テオのやくめだから」
「テオ……」
「テオのいちばんの『すき』は、いままでも、これからも、ゆいだけ。だから、あんしんして。テオだけには、どんなすがたをみせたっていいんだって、そうおもって?」
「うん……ありがとう、テオ」
優しい声でテオが辿々しく言葉を紬ぐ。
「それに、ようじはだいじょうぶだよ。こころがとってもつよいから、つめたい『つき』じゃなくて、あつい『たいよう』だから、なにがあっても、まけない。だから、ゆいはすなおにきもちを、ようじにいったらだいじょうぶ。そのくらいで、ようじはつぶれたりしないから。すこし、もとにもどるにはじかんがいるかもしれないけど、でも、すぐだよ」
染み入るようなその声は、テオが自分の友人へ宛てた言葉でもあった。
「そうかな……」
「そうだよ。テオはようじのマブダチだから、よくしってる」
由比が腕の力を緩めると、同時にテオも腕を下ろす。正面から向かい合い、お互いの顔を見つめる。
「ありがとう、テオ。私、テオが大好き。……今は、テオが一番好き。それを、砂月くんに伝えるよ」
「あはは、ようじにきっと、『なんだよーっ』ていわれるね、テオ」
「ごめんね、テオ。恨まれ役を買って出てくれるんだね」
「テオはゆいのじゅうしゃだから。ゆいにつがいがあらわれなくても、テオはずっとゆいといるよ。ゆいがだいすきだから、いっしょにいるからね」
そして、テオはにぱっと笑う。
「ほら、ゆい。せいふく、ハンガーにかけてきがえて。それで、せんめんじょでかおをあらって。そしたら、しょうがごはんをよういしてまってるから」
「……そんなひどい顔してる?」
「いっぱいないたでしょう?」
「泣いてないよ」
「ゆいのこころが、いたいいたいって、なきさけんでるの、きこえたよ」
「……ふふ。テオには隠し事ができないなぁ」
再び、テオの胸に由比は飛び込む。
今はこのぬくもりさえあればいい。少なくとも、今は。
未来のことなんてわからないけれど、今はテオさえいてくれたら、怖いものなど何もないのだと、そう思った。




