愚者の仮面
夕食が出来たので由比を呼びに部屋を訪れると、由比が珍しく据え置きのCDプレイヤーで音楽を聞いていた。手元には真っ黒の表紙にバンド名とアルバムタイトルだけが書かれた無骨な歌詞カードがある。
「由比、どうしたんだそれ」
俺が由比の肩を叩いてそう訊ねると、由比はイヤホンを外して歌詞カードを振る。
「佳苗に借りたの。なんか佳苗が追っかけしてるバンドなんだって。結構人気あるらしいけど、テレビには全然出ないって言ってた」
そう言ってイヤホンの差込口を外すとスピーカーからは激しいパンクロックが流れ出す。言われて気がつく。そういえば、ラジオや有線放送でよく流れている曲だ。
「あぁ、この曲か。どんなミュージシャンなんだ?」
「よく解んない。インターネットで配信されてるPVだと、ボーカルは金髪の男の人だった。顔はサングラスでよくわかんなかったけど」
「ふぅん」
俺は関心薄げにそう呟く。
どこかで聞いたことのある声だと思ったが、知らないふりをする。それが俺たちのルールだから。
今夜は仕事はない。けれど、次の仕事の時に普通に接しられるか、少し不安があった。
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ライブハウスは今日も満員御礼。自分が奏でるギターと、仲間たちのベースやドラムの音の濁流の中、俺は一時の陶酔を感じる。MCは饒舌なベーシストに任せて、俺はクールなボーカル兼ギタリストに徹する。
ジャイアントキリングスのライブはいつも夕方から始まって、21時を回る前には終わる。これはファンが若い連中が多いから、という理由もあるが、俺の本業にも関わるからだ。楽屋で分厚いメイクを落として逆立てた髪を帽子で潰し、俺はギターを担いでさっさと帰り支度をする。
「おい、フール。今日も打ち上げこないのか?」
メンバーの言葉に俺は手をひらひら振りながら答える。
「俺、酒好きじゃねえって何回言えば気が済むんだよ。じゃ、お先」
「次のライブまでに、新曲頼むぞ、フール!」
「はいはい、任せとけって」
メンバーたちとお別れして、俺は足早に家路を急ぐ。家に入ればバスルームに直行して、汗と一緒に整髪剤を洗い流す。髪は雑多に乾かすだけでいい。どうせすぐに乾くんだ。そして黒いジャージを身に纏い、鏡の中の自分に笑いかける。
そして、もうひとつのメンバーたちに会いに古い廃ビルへと急ぐのだ。
「遅いよ、『紅蓮』クン。もう『空歩』も『切裂』もミッションに行っちゃったよ?」
錆びたドアを開けると、真っ赤なベリーショートに黒いマスクで顔を隠した俺達のナビゲーターが呆れたように言う。
「ワオ、じゃあ『千里眼』ちゃんとふたりっきりだね! 『千里眼』ちゃんは今日も可愛いなぁ! 愛してるよ!」
俺はいつでもおどけて言うから、彼女には相手にされていない。そもそも氏素性もよく解らない相手と恋仲になれるなんて思っていないから、これでいいのだけれど。
「わかったわかった。ほら、インカム。壊さないでくれよ? 今日は『不死者』の追跡だから、キミはあまり暴れないように」
可愛い顔をした最古参の先輩にそう釘刺され、俺は肩を竦める。
……特魔になろうと思ったのは高校に入ってからだった。あり余るエーテルを持て余していた自分には最適の仕事だと思った。それで田舎から上京して、特魔専門学校に通って、こうして今は処理班として活動している。
ギターを抱えてきたのはたまたま学生の頃に軽音部に入っていたからで、バンドを始めたのは特魔学生だった頃にほんのきまぐれに路上でギターを弾いていたら、今のバンドメンバーにスカウトされたから。
気がついたら中心人物に据えられていて、曲の殆どを作るようになっていたのは想定外だったが、俺が曲を作るようになってから、そのバンド……ジャイアントキリングスは何故か人気が出てしまった。
それでもそれは俺の仮面の1枚でしかない。そして、この仮面も。
「『不死者』って処理A班のヤツじゃなかったっけ? なんでそいつ追跡するのさ?」
「外部に特魔の情報を売っているって密告があったんだ。それが確定されたら、おそらく殺さなきゃいけないだろうね」
「確か『不死者』って超回復能力があるんでしょ? 面倒臭そうだなぁ」
「だから『紅蓮』のいる攻撃特化のB班に回されたんだろう? 回復する前に、焼き殺せってこと」
「うっわ、エグい真似させるなぁ。で、俺はこれから何をすればいいの?」
インカムのスイッチを入れながら、俺は指笛を吹く。音は鎖になって、俺が使役している炎を纏った大鷹を呼び寄せる。場所が場所なら朱雀とでも呼ばれそうなそいつに、俺は名前をつけていない。『千里眼』は自分がプロブラムを組んだエーテル反応の位置情報が表示されるマップアプリを叩いて俺に見せてきた。
「西の廃屋に邪鬼を操ってる魔術師がいる。そいつの討伐を頼むよ。『切裂』クンに先に行かせてるけど、苦戦してるから。『不死者』の見張りはエーテルを隠した『空歩』クンがやってるから安心して」
「了解。報酬は『千里眼』ちゃんのホットなキッスでお願いするよ!」
「いつもどおり、成功報酬で10万、銀行に振り込まれるから行っといで」
「ちぇっ、行ってきまーす」
大鷹の足を掴み、空を舞う。たちまち熱気が周囲に漂い、生乾きだった髪を乾かしていく。『空歩』ほどじゃないにせよ体は強化させているから、火傷はしなくて済むけれど、普通の魔術師ならあっという間に燃え尽きてしまうだろう熱を纏い、西へと向かう。
『切裂』の放つ真空波が見えてきたところで、俺は地上へ降り立ち、彼女の下へと走っていく。邪鬼に取り囲まれていて身動きの取れなくなっていた『切裂』は俺に気がつくと怒りの形相で叫んだ。
「遅い、『紅蓮』!」
「ごめんごめん、『千里眼』ちゃんと愛を交わし合ってたもんだから。『切裂』ちゃんは雑魚には構わず、本体を叩いてきていいよ」
「解ってる! あとよろしく!」
『切裂』の真空波が風に解けるように消え、俺は手に炎のエーテルを蓄える。
「さぁて、俺は広範囲攻撃はお手の物だよ、邪鬼くんたち。せいぜい美味しい焼肉になってね!」
炎を地面に叩きつけると、あっという間に邪鬼たちを炎が襲う。阿鼻叫喚の絶命の声を聞きながら、ライブハウスとは違う陶酔が俺を包む。あぁ、俺はもしかしたら快楽殺人者の才能もあるのかもしれない。けれど、これも仮面のひとつに過ぎない。
『切裂』の真空が邪鬼を使役していたはぐれ魔術師を襲い、地面に倒れたのと同時に、邪鬼たちもエーテルに還っていく。そして、インカムから『空歩』の声が聞こえてきた。
「『不死者』が動いた。タレコミは本当だったみたいだな」
「うげー。『不死者』焼き殺すの、ヤダなぁ」
俺の形だけの呻きを、他のメンバーがどう感じているのかなんて関係ない。やれと命じられたことをやる。それが処理班の仕事だ。
思い思いの方法で廃ビルに戻り、インカムを『千里眼』に返す。今日はジャージも無事なので、いつもの彼女の呆れ声は聞こえない。
「おかえり、皆。……『不死者』は、生かして捕らえて事情聴取を取れないか上に申告しておく。多分、その方が組織の為にもなるだろうしね」
それを聞き、俺は両手を広げて『千里眼』に飛びつく。
「ヤッホウ、それでこそ『千里眼』ちゃん! 愛してる!」
しかしひらりと躱され、俺は古びたコンクリートに激突した。呆れ顔の『空歩』と『切裂』。
いつもの行動、いつもの反応。お約束ってヤツだ。
何枚もの仮面を被って俺は生きている。
クールなジャイアントキリングスのギターとボーカルである『フール』、陽気で情熱的な特魔処理B班の『紅蓮』、目標を焼き殺す時に感じる陶酔を覚える『快楽殺人者』の自分、そして、夢を持って上京してきたあの頃の『夢見る旅人』だった自分。そのどれもが自分で、自分じゃない。
本当の自分なんてとうに忘れてしまった。どうせ、帰る場所のない旅人である愚者なのだから。
「私は報告書書いてから帰るから、皆は直帰していいよ。じゃ、お疲れ様」
タブレットを叩きながらそう言う彼女にも、きっと何枚もの仮面がある。『切裂』にも、『空歩』にも。
けれど、『愚者』である自分よりはきっと少ないだろう。
家に帰ったらもう一度シャワーを浴びないと。それからグレープフルーツジュースを飲みながら、パソコンに向かい、新曲を考える。唯一幼い頃から変わらない、グレープフルーツジュースが好きだという事だけが『自分』である証明な気がした。
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「そういや由比、あのCDどうした?」
「佳苗に返した。あそこまでハードなロック、趣味じゃないもん」
仕事を終えて家に帰った湘は、中庭でテオのブラッシングをしながら迎えた妹に、少しの安堵を覚えていた。
何に安心したのだろう。
それは湘にも解らなかった。
思い出すのは紅蓮のように燃え盛るような唸りを上げるギターの音。
何枚もの仮面を被って、現代特別魔術師事件科の面々の日常は過ぎていく。




