各々のバレンタイン戦争
「由比、ハッピーバレンタイン!」
そう言って昼休憩の食後に佳苗が取り出したのはドライフルーツのたっぷり入ったマフィンケーキだった。
なので、由比もカバンから歪な包装をしたクッキーを手渡す。これは昨晩、兄の監視の下、てんやわんやしながらエノシマと一緒に作ったものだ。
エノシマも友達とチョコレート交換の約束をしていたらしい。最近の小学生はこういった行事にも積極的に参加しないと取り残されてしまうのだ、とぼやいていた。それなら、と一肌脱いだのが湘だった。
まとめて作れば安く上がるし、何より気持ちがこもっているような気がするから、と妹たちのクッキー作りを監督してくれたのだ。
「手伝ってくれるのは有り難いけど、お兄ちゃんにもあげるんだよ?」
そう由比が訊けば、
「気持ちの問題だろ?」
と、『気持ちがこもっているような気がする』と言った本人が笑いながら答えた。
テオは焼き立てのクッキーをじっと見つめながら鼻をすんすん動かしていた。
「バターのいいにおい。まだたべたらダメなんだよね?」
「うん、明日の朝に包装しておくから、その時に受け取ってね?」
「わかった! テオ、ちゃんとまってる!」
素直な従者に由比が微笑み、バレンタインの前夜のドタバタは収束した。そんな事を由比が思い出していると、佳苗が感嘆の声を上げる。
「わお、由比が手作りのお菓子なんて初めてじゃない? 誰か本命でもできたの?」
「まぁ、似たようなものだよ。同じの、テオにも、お兄ちゃんにもあげてるからね。弟切さんは食べられないから、別のものをあげてきた。普段使い出来そうなハンカチ」
「なるほど、私のはテオくん達のついでか」
そう言い、にまにま笑いつつ佳苗は包装を開け、クッキーを頬張る。さくさくとした食感と、散りばめられたビターチョコレートの欠片が口の中で溶けてゆく。
「うん、美味しいよ、由比」
「良かった。……まぁ、計量とか、混ぜ方とか、全部お兄ちゃんの監督があったから、失敗はしてないと思うんだけど」
「湘兄さん、料理上手だもんねぇ」
そう言いながら佳苗はぱくぱくとクッキーを食べていく。由比もマフィンの包装を剥がしてぱくりと齧りつく。様々なフルーツの食感が楽しく、ぱさついてもおらず、しっとりとした美味しいマフィンケーキだ。
「そういえば、佳苗は今年は本命はあげないの?」
「山口くん? あげないよ。学科違うし、それに彼女出来たって噂だし」
そう言って佳苗は小さくため息を吐く。
「そうかそうか、じゃあ由比ちゃんがたっぷり慰めてやろう」
由比はそう言うと、佳苗の頭をわしわし撫でる。その度に短いポニーデールが揺れた。
「わぁ、勘弁勘弁!! 髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃうじゃない!」
「あはは。……坂山さんは上本くんにチョコあげたのかな?」
「さぁ? まぁ、あげてたとしてもそれが本命だって上本が気がつくとは思わないけど」
佳苗はそう言いながら一度髪を解くと、髪の毛をささっとくくり直す。そしてマフィンを齧る由比に訊ねた。
「由比はどうなのさ。テオくんじゃなくて、人間で本命のチョコあげるアテは?」
「ふふ、秘密ですー」
「ずるい、自分だけ!」
二人がわぁわぁ騒いでいると、教室のドアががらがらと開く音がした。そこに立っていたのは、隣のクラスの砂月だ。
「おっす、清輔ー。今年も大量だなぁ」
「陽二こそ、それなりに貰ってんじゃないのか?」
砂月はドアの近くに座っている阿方に話しかける。阿方の机にはチョコレートが山のように積まれている。その包装のひとつひとつに貰った相手の名前を書きながら、阿方は砂月に返事をする。
「俺はぜんっぜん。毎年のことだけど、お前、これ一人で全部食べるのかよ? よく太らないな」
「毎年のことだからよく知ってるだろ?」
阿方は毎年貰うチョコレートは弟や妹と分け合って食べている。
砂月もそれはよく知っていた。
「いやー、こんなの毎年見せつけられると、さすがに嫌味の一つも言いたくなるじゃん?」
「ああそうですか……」
黙々とお返しをするためにチョコレートに名前を書き記していく阿方を見ながら、砂月は言う。阿方は最後のひとつに名前を書き終え、砂月が毎年このシーズンに持ち歩いている紙袋を渡されると、その中にチョコレートを詰めていく。
砂月が自分用に持ち歩いているチョコレート用の大きな紙袋は、毎年阿方が使うことになっているのも恒例だった。
「よし、っと。これで全部かな。で、お前のお目当ては俺じゃないんだろ?」
「は!? い、いや、別に!? 他に貰うアテあるし!?」
「お前、嘘が下手だなぁ。貰うアテって、一那姉さんだろ?」
「か、家族からのチョコレートをカウントしちゃいけないのかよ!?」
「別にダメじゃないけどさ。そもそも、一那さんから貰えるなんて大金星だろ」
「そう言うのはお前だけだ、清輔。あの今の彼氏もそうだけどよ、弟をパシリにしか思ってない女のどこがいいんだ……」
「いいじゃないか、別に。それだけ仲が良いってことだろ? あーあ、一那さんがフリーなら、俺もチョコ貰いに行くんだけどなぁ」
「お前ってやつは! それだけ貰ってまだ欲しいのか!」
「馬鹿、本命と友達は別腹だろ? ま、一那さん俺にはくれないだろうけどさ。ほら、静かにしないと、お前の本命が来るぞ」
ひそひそと話す男子二人に気がついたのは由比だった。由比は鞄からもうひとつ包装されたクッキーを取り出すと、軽い足取りで砂月に近寄る。
「砂月くん、放課後に渡しに行こうと思ってたんだけど丁度良かった。はい、ハッピーバレンタイン」
「由比! マジで!? 俺にもくれんの!?」
「うん、テオのマブダチだもん。お世話になってる印。阿方くんはこれね」
そう言って由比が阿方に手渡したのはなんの包装もされていないミントタブレットだ。
「チョコレートばっかりじゃ飽きるでしょ? チョコに飽きたら食べてね」
「はは、お気遣いどうも。大事に食べる」
「ふたりとも、これからもテオをよろしくね」
そう言って由比は自分の席へ戻っていく。
砂月は今にも泣き出しそうな顔で包装されたクッキーをじっと見る。そして阿方に耳打ちした。
「清輔、見たか。由比が。由比が俺にチョコレートくれたぞ!?」
「中身、クッキーらしいけどな」
「それでもいいんだよっ……ああー、俺も大事に食おう……」
「……陽二、バレンタインのクッキーの意味、知ってるか?」
「は? なんか意味あんの?」
「……知らないほうが幸せなこともあるからな、言わないでおく。多分東條も知らないし」
「えっ、なんだよ、それ! おい、清輔!」
笑う阿方と砂月を見つめているのはクラスでも浮いている田村撫子だ。どんどん渡されていく阿方清輔のチョコレートの山に臆してしまい、鞄の中のチョコレートは自分で食べることに決めた。しかし、放課後の部活の時に阿方に悟られてしまい、渡す相手を訊ねられて、にっこりと笑って奪われるのは想定外だった。
「阿方くん、そんなに貰ってるのに、まだ欲しいの?」
砂月が言ったように、田村がそう訊ねると。
「田村のチョコレートは特別。ちゃんと俺が食べるよ。俺たち、友達だもんな」
阿方はそう言って、田村を真っ赤にさせて沈黙させてしまった。
その頃、職員室でも女教師が同僚にチョコレートを配っていた。その中、加藤八重子は一番下に入れてあった少しお高めのチョコレート・ボンボンを斉藤克己に手渡す。
「そのっ……いつも、お世話になっていますから……! それじゃあ!」
「あ、ああ……はい。ありがとうございます……?」
何故彼女が狼狽えているのか察することはできずに、斉藤克己は呆然とチョコレートを見る。
自分に贈られたチョコレートだけ他の職員と違うと気がついたのは、ホワイトデーになってからだった。
その頃、放課後を迎えた小学校でも、先生の目を盗んでチョコレートの交換が行われていた。
「はい、エノシマちゃん。チョコレート」
「ありがとう、連花ちゃん。これ、私からね」
エノシマが受け取ったチョコレートは、ただチョコレートを溶かし、アラザンを撒き散らして固めただけの歪なチョコレートで、その微笑ましさに笑いがこみ上げてくる。
「わぁ、エノシマちゃんのクッキー、すごく美味しそう!」
「お兄ちゃんに教わって作ったの。連花ちゃんのチョコも可愛いね」
「えへへ、ありがとう! クッキー、大事に食べるね! ……ところでエノシマちゃん、男の子にはあげないの?」
思わぬカウンターにエノシマはぽかんとしてしまう。同級生の男子にチョコレートなんて考えたこともなかった。
「……私の好きな人には、他に好きな人がいるから、私はいいの」
「えー、エノシマちゃん可哀想……」
「そんなことないよ。その人が幸せなら、私はそれでいいの。他の好きな人は、もっと大人になってから作るよ」
「エノシマちゃん、奪っちゃいなよ! エノシマちゃん可愛いから、大丈夫だよ!」
「あはは、無理だよ連花ちゃん。私、その人に妹くらいにしか思われてないもん」
「わぁ、年上なんだ……。エノシマちゃんおませさんだなぁ」
エノシマは愛想笑いを浮かべながら、チョコレートをランドセルに仕舞う。
さて、噂のお相手の健吾は今頃どうしているだろう。そんな事を考えながら。
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一方大阪。
夕暮れの西ノ宮健吾の私室のドアが控えめにノックされる。
西ノ宮健吾は屋敷で働くメイドたちがくれたチョコレートケーキのホールを崩しながら「開いとるでー」と言い、ケーキを頬張る。
ドアを叩いていたのは教育係であり、執事でもある松本だった。部屋に一歩踏み入り、言う。
「坊っちゃんに宅配便ですよ」
「俺にィ? 誰からや」
「東條由比殿から……」
です、と松本が言い切る前に健吾は飛んできて、松本の手から配達された小さな箱を奪い取り、部屋から追い出すとドアをばたんと閉めてしまった。鍵のかかる音を聞き、松本は笑いを堪えるのに必死だった。
閉じられたドアの向こうでは、健吾が極めて慎重に箱をデスクに置いてガムテープを剥がす。ダンボールに包まれていたのは包装された綺麗な箱。その中には、『見ただけで義理チョコだと解る!』という駄菓子がぱんぱんに詰まっていた。
「なんやねん!! 期待さすな、ボケ!」
メッセージカードには『これでもかじってろバーカ 由比より』と書かれている。
だが、わざわざ由比がこれだけの菓子を買い占め、このメッセージを書いて封をし、郵送してくれたのだというだけで愛しさがこみ上げてくる。
駄菓子の一つを手に取り、封を切って口に放り込む。小さなクランチチョコのざくざくとした食感は、どこでだって買えるものだったが、メイドたちが手作りしてくれたものより、彼にとっては特別な味がする気がした。
そう実感しながら、健吾はいよいよ自分はダメだな、とため息を吐いた。
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夜の帳が下りた頃、廃ビルの屋上に集まっていた特魔処理B班の面々は各々インカムをはめて今日の仕事内容を聞く。
「今日ははぐれ魔術師の捜索と討伐。位置はもう特定してるから、キミたちは行って叩いてくればいいよ。聖夜祭と同じように、この時期は恋人たちを妬んだ可哀想な男魔術師が逆恨みして暴れまわっているからね。皆、気をつけて。じゃあ解散」
「ちょっと待った、『千里眼』ちゃん! 俺! 俺に本命チョコ、ギブミーチョコレート!!」
そう言って詰め寄る金髪の『紅蓮』を引き剥がしながらいつもと変わらず黒いマスクに赤いベリーショートの『千里眼』は言う。
「ほら、『紅蓮』クン、キミは東の廃屋担当、『切裂』クン、キミはテレビ塔を乗っ取ろうとしてるヤツをブチのめして、『空歩』クンは西の森に潜んでるヤツを頼むよ。ほら、散った散った! 『紅蓮』クン、チョコレートは終わってからあげるから、早く行く! ハリーアップ!」
「ひゃっほう! 『千里眼』ちゃん愛してる! 行ってきまーす!」
『紅蓮』は炎の鷹を呼び寄せ、いつも以上に乱気流を作りながら東に飛び去った。それを呆れ顔で見ているのは三つ編みの『切裂』だ。
「あいつ、毎年30円くらいのチョコしか貰えないのに、本当に『千里眼』が好きなのねぇ、私には強請りもしないでさ」
空で足踏みしながら、『空歩』が言う。
「『切裂』は『紅蓮』に強請られたいのか? それは知らなかった」
「冗談言わないで、『空歩』。ほら、私達も行くわよ」
「あぁ、さっさと終わらせて『千里眼』の30円チョコを貰わないとな」
「あら、『空歩』も『千里眼』にお熱? それは知らなかったわ」
「冗談じゃない。さっさと帰りたいだけだ、俺は」
――家に帰れば、大事な姉がくれた高級チョコレートと、可愛い妹たちが必死に作ったクッキーがあるのだから。
そしてB班は散り散りにはぐれ魔術師の討伐に向かった。
そしてバレンタインの夜は終わっていく。
それぞれの戦いも、終わりを告げるものがあれば、火蓋を切って落とすものもいる。
誰かが贈ったチョコレートの甘い香りは、誰かの胸に届くだろうか。
その答えは一ヶ月後にならないと解らない。




