チョコレートと幸せ探し
東條湘ははらはらと粉雪が舞う中、帰路を急ぐ。曇り空はやや薄らいでおり、午後には日差しが出るだろう。そうなればアスファルトを覆う雪もすぐに溶けて無くなってしまう。
湘はふと気まぐれに、垣根に咲く椿に少し積もった白い雪をちょいちょいと触って払ってやる。
すると赤い色が顕になり、湘は小さく笑った。
さぁ、早く帰らないと、家族たちがお腹を空かせているだろう。
時刻は12時になろうとしていた。
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私は居間でエノシマが淹れた玄米茶を啜っている。
エノシマも斜向いに座って茶を啜りながらテレビをぼんやりと眺めていた。
目の前では弟切さんが書類を整理している。
テオもテレビを眺めていて、茅姉ちゃんは書斎にこもってゲームの季節イベントに忙しそうだ。
いつもの風景、いつもの光景。
お兄ちゃんはお昼と晩のご飯の材料を買って帰ってきたところで、今はキッチンに立ってエプロンを身にまとっている。
筋肉質な体と不釣り合いなその姿も、もう見慣れたものだった。
テオはテレビを指さしながら私に訊ねる。
「ゆい、ばれんたいんでー、ってなに?」
テオの唐突な質問には慣れていた。
テオはテレビで流れているチョコレートのコマーシャルを見てその言葉を知ったのだろう。私は笑いながらそれに答える。
「うーん……。女の子が好きな男の人とか、大事にしてる人とか、お世話になってる人にチョコレートをあげる日……かなぁ?」
それに続くように弟切さんが言った。
「昔、異国で男女の婚姻が認められていなかった時代があるのです。ですが、ある聖職者がそれを独断で許し、ある男女を婚姻させた。バレンタインデーというのは、その聖職者がその罪で処刑された日なんですよ。それにあやかって、男女が思いを伝えあう日になったのですが、この国で菓子を渡すようになったのは菓子メーカーがこの日にはチョコレートを贈りましょう、と宣伝を始めたのがきっかけですね」
私はその言葉にへぇ、と声を漏らす。
「弟切さん、よく知ってるねぇ」
「姉様の受け売りです」
弟切さんは照れくさそうに目を細めて笑う。
「そうだ、今年は私もテオにチョコレートあげなきゃね」
「テオにもくれるの?」
「普通の犬とかだったらチョコレートは毒だからダメだけど、テオは体の作りは人間だからね。チョコ、食べられるもんね?」
「うん、テオ、チョコレートたべられるよ。でも、じゅうしゃなのにテオがもらっていいのかなぁ?」
「私があげたいからあげるの。お姉ちゃんも毎年お兄ちゃんに買ってくるし、弟切さんにはドライフルーツをあげてるよ。だからテオ、私のチョコ、貰ってくれる?」
私がそう言うとテオは尻尾を振りながら言った。
「うん、テオ、ゆいからチョコレートもらえるの、うれしい! でも、テオにだけ?」
「私もお兄ちゃんにあげてるけど……。友達にはあまり配らないなぁ。佳苗くらいかな、あげて。今年は砂月くんにもあげるつもりだけどね。阿方くんなんかは毎年この時期憂鬱そうだもん。断れる性格でもないから。だから別のものをあげようかな。砂月くんと阿方くんはテオのマブダチだもんね」
それを聞き、テオは不思議そうに首を傾げる。
「……せいすけはチョコレートがきらいなの?」
「チョコを貰ったらお返ししないといけないから。彼マメだし、量が多いからって言って、毎年わざわざ手作りでクッキー作って配ってるよ。心がこもってないから、何の意味もないクッキーをね」
「そっか、おかえしができるんだね! テオもゆいにおかえししたい! ちゃんと、こころをこめたやつ!」
「あはは、あげる前から宣言されちゃった」
そしてちらりとお兄ちゃんの方を見る。お兄ちゃんはキャベツを刻んでいる最中だった。
「湘兄ちゃんも学生の頃、チョコレート、いっぱい貰ってなかったっけ」
急に話を振られ、ぽかんとするお兄ちゃんは、急に渋い顔をする。
「……俺は別にいらなかったんだけど、受け取るだけでいいって言って、強引にな。だからお返しもしたことないなぁ」
「えー……? お兄ちゃんは彼女とか作ろうって思わないの?」
それを聞いて乾いた笑い声でお兄ちゃんは言う。
「茅姉と違って、俺は背負える量に限りがあるからさ。これ以上は持てないなぁ。由比が自立できたら考えるよ、そういうことは」
「……私が重荷になってるってことか……」
「違う違う。俺が勝手に背負ってんの。由比を見届けないと、心配でさ。恋をしたいと思ったこともないだけだよ」
そして、料理を再開する。
「……私が彼氏作るか、学校卒業して進路を決めるかしないと、お兄ちゃんは恋もできないのか……」
ぽつりと言ったそんな呟きは、お兄ちゃんの包丁がまな板を叩く音に掻き消された。それでもお兄ちゃんは背負い過ぎている気がする。家族、世界の平和、国民の命、仲間との絆。なのに平気そうにしているんだから、お兄ちゃんは凄いと思う。
……いつか、お兄ちゃんを支えてくれる誰かが現れれば良いんだけど……。
「……私、この家の子じゃなかったら良かったなぁ」
「急に何を言い出すんですか、由比様!」
弟切さんが慌てたように声を小さく上げる。お兄ちゃんには聞こえないように。
「だって、そしたらお兄ちゃんは私って重荷が減って、私はお兄ちゃんを支える恋人になれるじゃない。本当に支えられるかは別にして、私、お兄ちゃんのこと好きだもん。家族としてもそうだけど、異性としてもお兄ちゃんよりカッコイイ人間なんて知らないよ?」
それを聞き、弟切さんはふうとため息を吐く。
「……それは、湘様にはお伝えにならないほうがいいかと思います。ますます責任を感じてしまうでしょうから」
「分かってるよ。お兄ちゃんが優しいのは私が家族だからで、外の人にはそっけない事くらい。私が他人だとしたら、私なんて歯牙にもかけない事くらい。でも湘兄ちゃん、彼女くらいは作ってもいいと思うんだけどなぁ。同僚に好きな人とかいないのかな……」
「さぁ……。私には、それはなんとも……」
そりゃそうか、と思い、私はごろりと横になる。畳敷きの部屋は去年の大掃除の時に真新しいものに変えたばかりで、まだい草の少しだけ青臭い匂いがする。
「……お兄ちゃんにも幸せが訪れたら良いのに」
私にテオがいてくれるように。
お姉ちゃんに弟切さんがいてくれるように。
なにがあろうと、裏切らない、優しい誰かがいてくれたらいいのに。
「テオ、しってるよ。しょうがしあわせになれるばしょ」
テオが私に耳打ちしてきた。なになに? と私が小声で訊ねると、テオはくすくす笑いながら言う。
「このいえ。かぞくがいる、このばしょ。それに、このせかいのしぜんたち。しょうは、それがだいすきすぎて、ほかにだいじなものがつくれないんだよ」
……あぁ、そうか。
お兄ちゃんはこの世界の均衡を守るっていう使命を持って戦っているけれど、それは世界の自然を守るためでもある。
それに、捨て駒にされがちな大凡の処理班の人たちと違って、帰る場所がないわけじゃない。
私を……、私たちを重荷に思わないのは、それが大事な宝物だからだ。
……でも、それが無くなってしまったら? お兄ちゃんはどうなってしまうんだろう。
エノシマは前に言っていた。お兄ちゃんは家を出た、と。
エノシマならお兄ちゃんの未来の答えを知っているのだろうけど、きっと教えてはくれない。現に今の会話にも加わろうとせず、エノシマは素知らぬ顔で玄米茶を啜っている。
未来が変わったのだから、もうエノシマにも先のことなんて解らないのだろうけど。
私は考える。
お兄ちゃんの幸せ探しはまだ始まっていないのだから、それまでお兄ちゃんの幸せであれる場所に居続けよう。
卒業までまだ2年もある。
私が未来を探し始めたら、きっとお兄ちゃんも幸せを探し出してくれるだろう。
……それが恋なのか、なんなのかは解らないけど。
今年のお兄ちゃんへのチョコレートは、少しだけ特別なものにしよう。少し。ほんの少しだけ。
大好きな湘兄ちゃんが、自分だけの特別な幸せをみつけられますようにと願いを込めて。




