茅の昔話
ある日の夜、由比が突然私に尋ねてきた。
「茅姉ちゃん、いつも弟切さんと一緒だけど、あんなに甲斐甲斐しく世話焼かれて、鬱陶しいとか思ったことないの?」
私は菓子盆のラムネを口に入れながら答える。
「由比はテオを鬱陶しいと思ったことある?」
由比はうーん、と首をひねった後に「ない……かなぁ」と言った。しかし、それに更に言葉を繋げる。
「でも、テオと弟切さんは違うじゃない。テオは難しいことは出来ないし、どっちかっていうと教えなきゃいけない事の方が多いけど、弟切さんは元々人間に近いし、なんでも出来るし、子供の頃からずっと一緒なんでしょう?」
それを言われて、ふと思い出す。小学6年生の夏休み前の小さな事件。
「……じゃあ、少しだけ昔話をしてあげる」
由比がごくりと唾を飲むのを見て、私は笑いながら語りだす。少し恥ずかしい、昔話を。
弟切はずっと私と一緒だった。学校にいる間は離れていたけど、登下校は付き添われていた。だから私は友達と登下校した記憶があまりない。小学6年生の夏休み前、クラスメイトにこう言われた。
「東條さん、いいところの家の子だもんね。だからお付きの人がいつも近くにいるんでしょう?」
端的に言うならば、からかわれたのだ。私はそれを受け流せるほど大人じゃなかった。そりゃあそうだ。まだ中学生にもなってない、本当に子供だったんだから。
「……べ、別にひとりでも帰れるもん。弟切は私の命令ならなんでも聞くから、命令したら来なくなるもん」
「じゃあ、今度私たちと帰ろうよ。そのお付きの式神さんは抜きでね」
「いいよ。今日は無理だけど、明日は一緒に帰ろう」
そう約束し、私はその日の帰り道、私の後ろを歩く弟切にこう言った。
「弟切、明日から迎えいらないから」
その時の弟切の表情は今でも思い出せる。寂しそうな、悔しそうな、心配そうな、複雑な表情。黒目がちの目を伏せ、「分かりました、姉様。ですが、なにかあったらいつでもお呼びください」と言う。
弟切は私の命令はなんだって聞く。私は弟切の主人で、弟切は私の従者だから。でも、それがなんだか腹立たしかった。
だから、その日、弟切の媒体である蚊が死んでも、私は弟切を現界させなかった。忠実すぎる従者への、些細な抵抗だった。
翌日の朝。
まだまだ手のかかる年の由比をあやす母さんと、忙しそうに働く父さんは、私が弟切を現界させていないことに気がついていなかった。気がついていたのは、小学校に通いだした弟の湘だけだ。湘は私と一緒に学校に通っていたから、弟切がいないことに気がついた。
「姉ちゃん、弟切は?」
そう聞く湘に、私はむすっとした顔も隠せずに言った。
「弟切は私の式神だもん。必要ない時は別に現界させなくていいでしょ」
「でも、姉ちゃん、『ちのめいやく』、してるんでしょ? なのに、そばにいないなんて、おかしいんじゃないかなぁ」
「うるさいなぁ! 私がいらないって言ったら、いらないの!」
「ご、ごめん」
私の怒鳴り声に驚いたのか、湘はそれっきり何も言わなかった。今考えれば浅はかだったのは私だ。弟切は湘の送り迎えもしていたのに。
それに、私の家は『普通の家』とは違うという自覚が、まだ無かった。
その日、私はクラスメイトと一緒に帰宅した。帰路は開放感に満ちていて、私は弟切なしでもやっていけるんだと実感していた。湘の迎えには、お父さんの召喚獣のひとりである風の精霊の山吹さんが行ったらしい。それで、ようやく私が弟切を現界させていないことが親にも伝わった。
「茅、どうして弟切さんを現界させないの?」
母さんにそう詰め寄られるが、私は不機嫌な顔を隠そうともせずに言った。
「弟切は私の式神だもん。私が必要だと思ったら現界させるから、いいの」
「そんな事言って、あなたの魔力はまだ不完全なのよ? 喚ばれて、すぐに現れられるとは限らないでしょう?」
「そんなことないもん、ちゃんとできるから、放っておいて!!」
そう言って私は自分の部屋に走っていった。私だってもうなんでも出来るんだから。弟切がいなくても、なんとでもなるんだから。
それから一週間、私は弟切を現界させないまま過ごした。
友達との帰り道は楽しく、分かれ道で手を降って別れ、私は本当にひとりきりになった。その瞬間だった。
「東條茅ちゃんだね」
知らないおじさんに声をかけられた。
知らない人について行ってはいけないのは、子供に言い聞かせる常套句だ。もちろん私もそう言われていた。おじさんを無視して私は家に向かって走る。しかし、腕を取られ、顔になにか布のような物を被せられた。口にはハンカチを詰められて、ガムテームで塞がれる。
「んー! んんー!!」
声を出そうにも出せない。呪文の詠唱もままならない。こうなっては優秀な魔術師もただの子供だった。おじさんに車に乗せられて、そのまま私はまんまと攫われた。
「東條の家には恨みがたっぷりある。お嬢ちゃんには悪いが、交渉材料になってもらうよ」
今思えば理解できる。あの人は魔術師連盟から除外されたはぐれ魔術師だったのだろう。私は必死でもがき、弟切を召喚する陣を描こうと指を動かす。しかし、腕も拘束されてしまっていて、それすらままならない。
弟切。弟切。ああ、私はなんて馬鹿だったんだろう。弟切はこうならないようにずっと側にいてくれていたに違いないのに。なのに。なのに。
見知らぬ倉庫のような場所に押し込められ、私はようやく目隠しから開放された。眼の前には私を攫ったおじさんも含む、何人かの男の人。きっと、皆『東條』に恨みがある人間なのだろう。ひそひそと何かを話し合っていた。
私はその間に必死に打開策を考えていた。詠唱しなくても出来る魔術。光弾なら、このままでもどうにか打てるかもしれない。けれど、腕は拘束されていて、どこに放たれるか分からない。それでも、やるしかなかった。
手のひらに鋭いエーテルを放射させる。カッと光る光弾の閃光が私の腕を焼いた。痛みが走るが、それは手首を縛るガムテームも焼き切った。開放された腕で私は口に貼られたガムテープを剥がし、ハンカチを吐き出す。そして、弟切を喚ぶ為の陣を描いた。エーテルを放射させるが、何も起きない。
「あっ……」
私の魔術は、まだ不完全だ。いつでも、必ず、喚び出せるとは限らない。母さんの言葉が脳裏を過った。
大人たちが私の行動に気がついて、慌てて駆け寄ってきた。私は光弾を放つが、相手も魔術師。優秀と言われていても、児戯の延長のような魔術は簡単に弾かれ、私は再び拘束される。
「このガキッ……! 無駄なあがきをするんじゃねぇッ!」
私は喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
「弟切! 弟切! 弟切ーッ!!」
私が声を上げると、夏の暗がり、埃っぽい倉庫をふわふわと漂っていたヤブ蚊に光が集まる。そしてみるみるうちに成人男性の姿になり、私の前に跪く。浅葱色の狩衣。新緑色の髪。黒目がちの目。ぴんと伸びた、2本の触覚。
男たちは呆然としていた。私は力が抜けたように地面に倒れる。蚊の式神が私を抱き寄せ、キッと男たちを睨みつけた。
「我が主人に狼藉を働いたのは貴様たちか」
弟切は扇を顕現させると、折りたたんだままのそれで、小さな円を描いた。円から無数のスズメバチが現れると、男たちに群がった。
「う、うわああ!!」
たちまち混乱の渦に包まれる男たちをよそに、弟切は私の体を検めると、優しく笑った。
「姉様、よくぞこの弟切を呼んでくださりました」
私は弟切にしがみつき、わあと声を上げて泣いた。こんなに泣いたのは生まれて初めてだった。わんわん声を上げて泣く私を、弟切は優しく抱きしめてくれる。そして私を抱き寄せたまま立ち上がり、必死にハチから逃れようとがむしゃらに魔術を放つ男たちに言い放つ。
「東條家、いや、東條茅様に手出しをする者は、誰であろうとこの弟切、容赦はしない。これで済むと思うな、下郎が」
扇を広げ、くるりと舞う。現れたのは、人間の背丈ほどありそうな巨大なカマキリだった。
「この大蟷螂はオールドエンドで人食いと恐れられている肉食の虫。体は鋼より固く、鎌は刀より鋭い。お前たちのような魔術師の出来損ないに相手が務まるかな?」
そして扇で男たちを指し示すと、カマキリは男たちを襲う。しかし、暴れるだけで殺そうとはしない。それでも男たちは狼狽え、てんてこ舞いになっていた。
「姉様、心配はもう要りません。この弟切が側にいる限り、二度と姉様に恐ろしい目に合わせることはありませんから」
私は涙を拭い、頷いた。
「弟切、ごめんね」
「いいえ、全ては姉様の命令のままに。すぐに顕現できず申し訳ありませんでした。エーテルの姿のままで自宅に寄り、矢剣殿にこの場所を伝えておりましたもので。ですから、すぐに救助がくるでしょう。それまで奴らには存分に恐怖を味あわせてやりましょう。姉様に恐怖を与えた、その数倍」
弟切はすこしいたずらっぽく笑う。
弟切の言う通り、救援はすぐにやってきた。男たちが特魔班に捕らえられると、弟切は扇をぱちんと音を立てて閉じる。
弟切が顕現させたスズメバチも、カマキリも、風に攫われるように消え去った。元の世界に帰ったのだ。私は運ばれた病院で簡単な検査と腕の傷を治癒され、すぐに家に帰ることが出来た。
父さんはそれからも忙しそうにしていた。おそらく、特魔班と男たちの処遇について相談したりしていたのだろう。
母さんは私を抱きしめて離さなかった。それを不思議そうに湘と由比が見上げている。私は少し照れくさかったけれど、されるがままになっていた。
弟切は……弟切は、普段と変わらなかった。黙って私の後ろに控えていた。
「……と、まぁ、そんなことがあったのよ」
語り終えた私に、由比は「はぁ」と息を吐く。
「そうだったんだ……。それで、お姉ちゃんと弟切さんの絆は強まったんだね」
私の口の中のラムネはすっかり溶け切り、爽やかな甘さだけが残っている。妹の言葉に私は少し笑い、言った。
「絆なんて、そんなもの、最初からあったのよ。血の盟約よ。弟切は言ったもの。いつでも呼べ、って。そして、ちゃんと来てくれた。それだけの話」
そう、それだけの話だ。
弟切と私の関係は、昔も、今も、変わっていない。
由比がそれを理解できるようになるには、まだ若すぎるだろうけど、いつか由比とテオくんもそう思うようになるだろう。
私たちの関係は、私たちだけが理解できればいい。それだけのことだと言うことを。




