そして、茅の現在
平日、私にとっては休日だというのにスーツを着る。
綺麗に化粧をして、髪の毛を結い上げる。
これは女の戦闘服。男相手にも有効だけど、社会でナメられない為にも重要だ。
玄関の前にはスーツを纏う弟切が立っていた。
「茅姉、出かけるのか?」
弟である湘にそう言われ、私は苦笑いを浮かべながら言う。
「ちょっと笠子さんに呼ばれちゃったのよ。お茶でもご一緒しませんか、ってね」
「笠子……って、この間の会合で協会から除名された魔術師の?」
「そうよ。よく知ってるわねぇ、アンタ」
「はぐれ魔術師が現れたら、特魔班にもそのニュースは飛んでくるよ。でも、大丈夫なのか?」
「平気平気。あんたはテオとゆっくりお茶でも飲んで待ってなさい」
私達の話し声に気がついたのか、テオくんが爪を鳴らして駆け寄ってくる。
「かや、なんだかいやなよかんがする。きをつけて」
「あらあら、テオくんにまで心配されるなんてねぇ。大丈夫よ、いい子に待ってなさいね」
背伸びをしてテオくんの頭を撫でると、テオくんはくぅ、と鼻を鳴らす。そして、テオくんは顔を上げて、弟切に言う。
「おとぎり、かやをまもってあげてね」
「心得ておりますよ、テオ。では、いきましょうか、姉様」
「そうね。じゃあ行ってくるわ。夕方には帰るから」
私は弟切の運転する車に乗る。車はゆっくりと発進した。流れる車窓を眺めていると、弟切が声をかけてきた。
「笠子様は何のご用事でしょうね」
「どうせ除名を無しにしてくださいって懇願でしょ」
「それだけならばいいのですが……」
弟切も嫌な予感がしているのだろう。そりゃあそうだ。これから敵陣に飛び込もうっていうんだから。
笠子の屋敷は古い洋館だった。中は綺麗に改装されているが、不気味な空気が充満している。
インターフォンを鳴らすと、年若いメイドがドアを開けて出迎える。私達は彼女に先導されて、リビングに通された。ドアが閉められると同時に、がちゃりと鍵の掛かる音がした。それと同時に、隣に立っていた弟切がふっと姿を消す。弟切のいた場所には、ふわふわと蚊が飛んでいた。蚊はわたしの肩に止まり、その羽を休めている。
「……魔術封印の陣を敷くなんて、随分念頭ですわね、笠子さん」
笠子、と呼ばれた椅子に座る中年の男は、ほつれたスーツの裾を払い立ち上がる。
「野暮な横入りはされたくありませんでしたのでね。ご心配なく、部屋を出ればすぐに術を使えるようになりますよ。さぁ、お茶を入れてあります。冷めないうちにどうぞ」
そう言われて、私は椅子に座るように促される。仕方ないので座り、目の前のアンティークのティーカップに真っ赤な紅茶が注がれるのを見つめていた。
「……下らない茶番は結構ですよ、笠子さん。お話があるから呼び出したのでしょう?」
「えぇ……。協会の除名の件ですが、無かったことにしていただけませんかねぇ?」
笠子は下卑た笑みを浮かべて私の顔を伺う。私は表情を変えずにお茶を一口、口に含んだ。
「そのお話なら、聞けません。あなたは協会で禁止されている死霊術を使っているのですから。あのメイドも元は死人でしょう。だから部屋には入れなかった。部屋に入るとただの死体に戻ってしまうから」
「えぇ、確かに私は死霊術師です。禁呪とされている魔術を扱います。ですが、それはあなたも同じでしょう? 蟲術士の東條茅さん」
言われるだろうと思っていたことを言われ、思わず笑みが浮かぶ。
「えぇ、私は蟲術を研究しています。従える式神もこの蚊です。ですが、私が扱う蟲術は人に害は及ばせません。私もあなたが死者を我が物にする為に、葬儀屋を買収していると知らなければ、あなたを除名することはなかったでしょう」
「だが、それは我が家には必要なことでした。虫の命を弄ぶ、あなたとどれほどの違いがありますか?」
「それ……は……」
指先が痺れる。舌が回らない。紅茶に目を落とす。案の定、毒を盛られたか。
「効いてきたようですね。あなたの大好きなオールドエンドの羽虫から抽出した毒ですよ。遅効性で少量では体が痺れる程度ですが、その紅茶にはたっぷり100匹分の毒を入れされてもらいました。死んでもおかしくないですねぇ? 解毒剤はお持ちですか? こちらには用意があるのですが」
私は声を殺して笑う。
「なにを……するか、と……様子をみさせてもらいました……が……。やはり、あなたは協会には相応しくありませんね……」
私は震える手で空中に陣を描く。少し歪になってしまったが、十分だ。
「魔術強制解除」
私がわずかなエーテルを放射させてそう言うと、部屋に敷かれていた陣が光を放ち、砕けた。
「なっ……! お前は、今魔術は、使えないはず……! それに、毒は……!?」
「私を誰だと思ってらっしゃるんですか? これでも魔術師連合協会、東の棟梁ですよ。この程度の魔術、解けない訳がないでしょう? 毒は……まぁ、この程度ならば、体内で中和できますよ。100匹も蟲を殺すなんて、可哀想に」
体のしびれは解けていた。そりゃそうだ。私は虫の毒に耐性がつくように、毎日様々な毒虫を召喚しては少量ずつ摂取しているのだから。もちろん、虫たちは殺さずに元の世界にお帰り願っている。さすがに量が多かったので、体内での解毒に時間はかかったが。
笠子は明らかに狼狽えていた。けれど、同時に部屋に先程のメイドが入ってきた。無数の屍肉喰鬼を引き連れて。
私はささっと陣を描き、「弟切!」と声を上げる。私の肩から離れ、周囲を飛び回っていた蚊が再び弟切の姿を取り戻した。スーツではなく、狩衣姿だ。
「弟切、あの死人たちを蹴散らしてしまいなさい」
「はい、姉様」
弟切はぱっと扇を広げ、くるりと舞う。現れるのは異世界の毒虫たち。わぁっと屍肉喰鬼たちに襲いかかり、その動きを食い止める。
「彼らも元は普通の人間だったんでしょう? 可哀想に。静かに眠ることもできずにこんな男に使われて……」
「なっ、何を言う! 奴らは俺の忠実な下僕だ! 俺がかき集めた死体で作った……!」
「そう。じゃあ、御本人達に聞いてみましょうか?」
私がパチンと指を鳴らすと笠子の回りに無数の亡霊たちが現れた。その中には、あのメイドの姿もあった。
「なっ、なんだ、お前ら! よせ、やめろ! 俺に近寄るな!!」
死霊術が解けたのだろう。屍肉喰鬼たちも、メイドも、どさりと地面に倒れた。亡霊たちは怨嗟の声をあげて笠子に纏わりつく。
「それがあなたのやってきたことの答え。私は確かに蟲を使うけれど、あなたみたいに強制的に命令したりしていないわ。せいぜい、彼らの怨嗟の声に苦しみなさい」
「まっ、待て、東條! お前、こんな事……これも、死霊術じゃないか!」
私は亡霊にまみれる笠子ににこりと笑って言った。
「私は魔術という魔術は極めていますから。けれど、外道に堕ちるような使い方はしませんよ。これでも棟梁ですからね? あなたは自分の犯した罪の数だけ、その亡霊たちに呪われるだけですよ」
弟切は扇を閉じ、虫たちを元の世界へ戻すと、再びスーツの姿に戻っていた。
「帰りましょうか、弟切。では笠子さん。彼らをきちんと埋葬するまで、せいぜい悪夢にうなされてくださいね。美味しいお茶をご馳走様でした」
「はい、姉様。では、笠子様。失礼したします」
笠子の悲鳴が館に響く。死体たちは何も言わなかった。いや、言いたいことは今、存分に亡霊となった彼らが笠子に囁いているだろう。
帰り道、運転する弟切が私に言う。
「あの男は改心するでしょうか?」
「さぁね。でも、あれだけ痛い目を見れば、多少は自分の愚かさを顧みるでしょ。本当に改心すれば除名も無かったことにしてあげるわよ」
私はタバコに火をつけて、煙を肺いっぱいに満たし、ゆっくりと吐き出す。灰は傍らの円柱状の携帯灰皿に落とした。
「姉様、仮にも毒で満たされたのですから、喫煙は控えた方が」
「毒をもって毒を制すよ。ポイ捨てしたりしないから、心配しないで。私はマナーは守る喫煙者なの」
「……はい」
ゆっくり流れていく昼下がりの車窓は穏やかで、先程までの喧騒が嘘のようだった。




