07 夜襲
目の前に流れているその河は、カイロス河の枝川である。
ここからさらに東に行けば、本流であるカイロス河を見ることができるだろう。
貿易都市ラパンの西部から南へと流れる、大河である。
日中であれば、この河を使って木材を運ぶ様子が見られるだろう。
それほどに流れは速く、泳げる者でも飛び込めば、戻るのは至難の業だ。
そんな枝川の畔に、一台の荷馬車が止まっていた。
時刻はすでに夕刻を過ぎ、
焚火と月明かりが、暗闇の中で周囲をほのかに照らしていた。
そこから少し離れた場所に、五人の人影が荷馬車を見つめていた。
彼らの手には、それぞれ思い思いの武器が握られている。
一人の男が呟く。
「頭、恐らくあいつらで間違いないです」
”頭”と呼ばれた男が答える。
「ああ、恐らくあの碧い髪の坊ちゃんだろう――おい、他の連中の身元は?」
「どうやらトラヴィスという小さな行商人のようです。商会の人数は三人。
いつも決まった護衛を二人つけているようで」
「あのでかい男と、あの女か……あともう一人は誰だ?」
頭領らしき男は、最後に目に入った人物について尋ねる。
「頂いた情報にはありません。あの体格からして、恐らくあいつも護衛でしょう」
目視で確認できる人数は四人。
護衛と思われる三人に加え、最も仕留めなければならない王子も視界に収まっている。
これは好都合だ。戦闘を行える人数ではこちらが有利でもある。
山賊の頭領は部下たちに指示を出す。
「今回の報酬で、十分に遊んで暮らせるだけの金が入る。
最悪王子は生きてなくても良いって話だ。あとは好きにしていい」
その言葉に、部下たちは下卑た笑みを浮かべた。
「俺はあの女をもらうぜ」
「顔は見えねえが、あれは上物に違いねえ!」
彼らは、これから手に入る金と女を想像しながら、焚火のあった方角へと歩みを進めていく。
焚火の火はすでに消えていた。
山賊たちは、残された微かな熱と灰の匂いを頼りに、闇の中を進む。
「行くぞ……」
頭領の低い声に、四人の山賊が荷馬車へと襲いかかろうとした――その瞬間。
背後から、短く、鋭い笛の音が鳴り響いた。
ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……ピッ――
突如として響いた音に、山賊たちは困惑し、動きを止める。
その中でも知恵が回るのは”頭”と呼ばれる男だけだった。
だからこそ、先手を取ったのは自分たちではなかったと、いち早く気づいたのだ。
四人の体が硬直する中、頭領だけが冷や汗を流していた。
焚火の跡から、小さな火が再び灯る。
ダリオンが赤い魔石を使い、エーテルリムで火を起こしたのだ。
その火に照らされるように、一本の矢が放たれる。
矢には布が巻かれており、火を灯したまま、山賊の近くの木に突き刺さった。
「外したか?」
山賊の一人が笑いながら女に向かって走り出す。
だが、それはリナスが狙撃するための“明かり取り”にすぎなかった。
次の瞬間、矢が放たれ、山賊の一人が胸を撃ち抜かれる。
仲間が倒れたことで、残る山賊たちは血が上り、激昂して突撃してくる。
リナスが叫ぶ。
「ガルド!」
その声に、不敵な笑みを浮かべながら答える。
「あぁ、任せろ!」
その前に立ちはだかったのは、ガルドだった。
細剣を抜き、駆ける。
その細身の剣を見て、山賊は嘲笑しながら襲いかかる。
(あんな剣で、俺たちの斧が受けられるはずがねぇ)
だが、夜という時間がその剣筋をさらに見えにくくしていた。
向かってくる二人を、巧みに切り伏せる。
一人は喉を、もう一人は脇を――急所を突く。
その体躯からは想像できないほど、無駄のない動きだった。
その戦いぶりに、ヴァルクは目を細める。
息の合った連携。長いこと共に戦ってきた者同士の動きだと、一目でわかる。
最後に残った頭領ともう一人の山賊が、部下を盾にして走り込んできた。
(やはり狙いは殿下か……)
ヴァルクは、長身と大きな体躯に見合った、少し大きめの剣を抜く。
それはガルドが持つ細剣とは正反対の得物だ。
――その瞬間、頭領の思考は加速していた。
(もういい……仲間が何人死のうが関係ねぇ。最悪、王子さえ殺せばいい。
あとは山に逃げりゃ、なんとでもなる。報酬は半分でも十分だ。命さえあれば、また稼げる……)
焦りと執念が混ざったその目は、王子だけを捉えていた。
だが、その視線の先に、巨大な影が立ちはだかる。
ヴァルクが剣を振るう。
一閃。
それは闇を裂き、空気を震わせるほどの重みを持っていた。
鋼の軌道が、二人の山賊を同時に捉える。
胸当てを断ち、肉を裂き、骨を砕く。
二人の体が、まるで糸が切れた人形のように地に崩れ落ちた。
頭領の目に映った最後の光景は、王子ではなく、剣を構えたヴァルクの姿だった。
静寂が戻る。
焚火の跡に、再び火が灯り、戦場を赤く染める。
荷台の幌が揺れ、トラヴィスとミレイナが姿を現す。
ミレイナは王子の無事を確認し、胸をなで下ろす。
トラヴィスは周囲を見渡し、戦いの痕跡に目を細めた。
ガルドがヴァルクに歩み寄り、肩をすくめながら言った。
「……引退してるって聞いてたけど、あれ見たら誰も信じねぇよ。
あんた、まだ現役で通用するどころか、英雄の名に恥じねぇ化け物だ」
リナスも、矢を収めながら口元に笑みを浮かべる。
「ねえ、ヴァルク。わざわざ誰か雇う必要、なかったんじゃないの? あなた一人で十分だったかも」
その言葉に、ヴァルクは苦笑を浮かべる。
「今回は、先に気づけたのが大きかった。敵の位置を正確に把握できたのも、かなり有利に働いた……」
そして、森の奥から足音が近づく。
笛を手にしたアドルフが、静かに姿を現した。
「ヴァルクさん、うまくいきましたね!」
──話は、夜襲を受ける数時間前に遡る。
荷馬車を止める前、まだ陽が落ちる前の時間。
河まであと数時間で到着する予定だった。
ヴァルクが遥か後方に位置する荷馬車を睨みながら言う。
「敵がどんな連中かは分からん。
だが、荷馬車を偽造してまで殿下を狙うとなれば、ただの野盗ではあるまい。
雇われの賊だとしても、手が込み過ぎている。
こちらの情報もある程度渡っている可能性が高いとみるのが妥当か……」
ダリオンが頷く。
「私の顔も割れているだろうね。護衛が三人もいれば、なおさらか……」
ヴァルクは顔を上げ、ダリオンに進言する。
「殿下、申し上げにくいのですが、ここは殿下にも囮になっていただいた方が、事を有利に進められそうです」
それは護衛とは思えない発言だった。ましてや、一臣下が提案するような内容ではない。
だが、この男は帝国の英雄であり、守るべき忠も心得ている。
そしてダリオンもまた、そうした進言を受け入れられる器量を持ち合わせていた。
「ヴァルクが最も良いと思う方法で構わないよ」
その言葉に、ヴァルクは一礼する。
「恐れ入ります」
ヴァルクは顔を上げ、トラヴィスたちに向けて話し始めた。
「囮になるのは、四人。殿下と俺、そしてガルド殿とミレイナ殿だ。
これで敵を釣る……だが問題は、敵の人数だ」
その時、アドルフが口を開いた。
「……僕が、偵察に行きます。森の中なら、夜でも動けます」
ミレイナが即座に反対する。
「夜の森なんて危険すぎるわ。何がいるか分からないのよ」
トラヴィスも眉をひそめる。
「アド……今回はヴァルクさんたちに任せよう」
だが、アドルフは静かに首を振る。
「僕が行けば、ミレイナさんたちも安全になる。だから、行かせてください!」
沈黙の後、ヴァルクが頷いた。
「……わかった。無理はするな。問題は、どうやって伝えるかだな」
そして用意していたのか、アドルフは一個の笛を取り出す。
「ヴァルクさん、確認できる人数分、この笛を鳴らして知らせます。六人以上であれば、長く吹きます!」
その提案に、リナスがアドルフを羽交い締めにしながら叫ぶ。
「でも、それじゃアドルフが危ないじゃない!それはダメ!」
ミレイナもそれに賛同したが、アドルフはすでにリナスを優しく引き剥がしながら、静かに言葉を続けた。
「知らせるのは、人数と方角だけです。それなら、襲撃者からも距離は取れます」
その案に、渋々ながらミレイナとリナスは納得した。
けれど、リナスはまだ心配顔だった。
「ガルドとヴァルクはいいけど……夜だと私はそこまで役に立てないわ」
弓という武器は、視界が確保されてこそ活きる。
月明かりだけの真夜中で、弓を射るというのは格段に難易度が上がる。
その言葉に、ダリオンが火の魔石を触れながら言う。
「火矢で明かり取りにするのはどうだろうか。それなら少しは役立つはず」
「それなら、いけるかも!」
リナスが頷き、ガルドも役割を決める。
「それなら俺は、リナスの援護に回るぜ」
策がまとまり、焚火の揺らめきの中で、自然と視線がヴァルクに集まった。
「荷馬車の大きさからして、敵は多くて八人。
なら、問題なく切り伏せられる。――これで行こう」
こうして一同は夜襲を乗り越えた。
だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
【あとがき】
一気にお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語はここから本格的に動き出し、アドルフと第三王子を巡る過酷な運命、そして大陸を揺るがす壮大な旅が始まります。
本作は、これから【毎週水曜日と日曜日の21:00】に1話ずつ定期更新していきます。
次回の更新は、来週の水曜日(5月27日)の21:00です!
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