06 残された英雄
翌朝、ダリオンとヴァルクはアドルフを焚き火のそばに呼び寄せた。
まだ朝の冷気が残る空気の中、アドルフは少し緊張した面持ちで二人を見つめていた。
ダリオンが静かに口を開く。
「アド、少し聞きたいことがある。君は……剣を使えるのか?」
その問いに、アドルフは目を伏せ、しばらく沈黙した後、ゆっくりと答えた。
「……分かりません。正直に言うと、僕は記憶を失っていて。
トラヴィスさんたちに拾われたとき、自分の名前以外、何も覚えていませんでした」
「拾われた……?」
「ミレイナさんとトラヴィスさんに助けられて、それから行商の手伝いをして、今に至ります」
ダリオンは頷きながら、さらに問いかける。
「剣については?」
アドルフは少しだけ苦笑しながら、言葉を選ぶように答えた。
「……握ると、手が震えるんです。理由は分かりません。でも、何かを思い出しそうになる。
怖い記憶なのかも自分では分からないんです。それでも、剣を持つと……涙が出てくるんです」
その言葉に、ヴァルクはしばらく黙っていた。
焚き火の揺らめきを見つめながら、やがて低く、落ち着いた声で語り始める。
「……私の戦友にも、同じような者がいた。
戦争で敵を斬り続けるうちに、ある日突然、剣が握れなくなった。
剣を手にした瞬間、過去の記憶が押し寄せてきて……それが、心を壊すんだ」
アドルフは驚いたようにヴァルクを見つめる。
「僕も……過去に人を斬っていたのでしょうか……?」
その問いに、ヴァルクは首を振る。
「それには、俺も答えられん。だが、これから言うことは、生き残ってしまった軍人の戯言だと思って聞いてくれ」
ヴァルクは少し間を置いてから、静かに続けた。
「俺は、アドルフには“守るために戦う”戦士の匂いがする」
「戦士の匂い……?」
ダリオンが補足するように口を開く。
「ヴァルクは、数えきれない戦場を越えてきた。そこで身についた“勘”のようなものだよ」
「戦士の勘……ですか」
ヴァルクは、焚き木を燻べながら続けた。
「眉唾だと思ってくれて構わん。だが、俺にはそう感じた」
そして、彼は今は亡き戦友の言葉を思い出すように、焚き火を見つめた。
『今はまともに剣も握れない軍人になっちまった……でもな、分かるんだヴァルク。
必ず剣を取らなきゃいけない時には、ちゃんと取れる』
「その戦友は、『剣を取らなきゃいけない時には、ちゃんと取れる』と言っていた。
ヴァルクの声には、静かな熱がこもっていた。
「そしてあいつは、最後の防衛線で命を落とした。
敵を斬るためじゃない。味方を……友を守るために、だ」
その言葉に、アドルフは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「そんなやつと、お前は同じ匂いがした。それだけだ」
ヴァルクはそう言って、焚き火に薪をくべる。
「剣を取って戦えと言っているわけじゃない。だが、選択を迫られる時というのは、誰にでも訪れる。
その時、お前がどうするか――それだけだ」
アドルフはその言葉を胸に刻み、静かに頷いた。
その日も、何事もなく町を出立した。
交易町ベルナは、レオフォード帝国と貿易都市ラパンを繋ぐ、比較的大きな町である。
交易品の流通量も多く、町の景気は良好。行商人が頻繁に行き交うのも当然のことだった。
出発後、いくつかの荷馬車とすれ違う。
その中で、ヴァルクは幌の幕をそっと捲り、後方に視線を向けていた。
「ヴァルクの旦那、何か気になるのかい?」
ガルドが声を掛ける。彼も後方の様子が気になっていたようだ。
「あの後ろを走っている荷馬車が気になってな」
ヴァルクは顎で遠くの荷馬車を指す。
ガルドも後方へ移動し、荷馬車を確認する。
「……あぁ、あれはたぶんレムナント商会の荷馬車だな。なあ、リナス?」
リナスも目を凝らす。彼女は視力が良く、幌に描かれた商会のマークをすぐに見つけた。
「確かに“車輪”と“牛”が描かれてるわね。ラパンに拠点を置く大商会、レムナント商会のものよ。
私も一度護衛を担当したことがあるから、間違いない……でも、何か違和感があるわね?」
ラパンへ向かう道を通っている以上、同じ行路を辿るのは不自然ではない。
それでも念のため、トラヴィスとミレイナにも確認を取る。
「トラヴィス殿、ミレイナ殿。この辺りの地図はありますか?」
ミレイナが答える。
「正規のものじゃないけど、アドが描いてくれた地図があるよ。アド、見せてくれるかい?」
言われる前に、すでにアドルフは地図を確認していた。
その様子にヴァルクは少し驚く。
(やはり、察しがいい青年だ……)
「こちらです。ベルナからラパンへ向かう道は二本あります。
標高の高い山道と、谷合を進む道です」
アドルフは続けて説明する。
「山道は馬の体力が必要ですが、越えられれば早く着けます。
だから、大商会は複数頭の馬を使って登るのが一般的です。
山道は険しいけれど、通る人が少ない分、道幅は広めです」
ガルドがもう一度荷馬車を確認する。
「アド、あいつらは四頭で引いてるぜ」
「二頭ずつ交代で登らせるつもりかもしれません。でも、それなら……」
ダリオンが言葉を継ぐ。
「谷合の道を選ぶのは不自然、ということか」
アドルフは頷き、リナスに問いかける。
「リナス、もう一度マークを見てもらえる?図形の形や配置を詳しく」
「任せて、アド!」
リナスは目を凝らす。
「車輪は上、牛は下に描かれてる。角も二本、鼻輪もあるわ」
「車輪の輻は何本ある?」
「……一、二、三……九本ね」
そこで手綱を握っていたトラヴィスが声を上げる。
「レムナント商会の車輪は十本の輻で構成されてるはずだ。十人の息子って意味だったからね」
「つまり、あいつらはレムナント商会を偽ってるってことね……」
ミレイナは冷や汗を垂らしながら結論づける。
ヴァルクは冷静に策を練りながら、口を開いた。
「十中八九、良からぬ荷を運んでいるものと思われます。
そして、我々の荷馬車を追っていることからも、目的は明白かと」
「ヴァルク、策はあるか?」
あくまで冷静にダリオンはヴァルクに聞いた。
「このままでは、狙われやすい場所で襲撃を受ける可能性が高いでしょう。
逃走を図るにしても、馬の体力を考慮すれば、向こうに分があります」
「ゆえに、先手を打つ必要があるでしょう。相手が仕掛けるとすれば、
馬を休ませる地点――そこで何らかの動きがあるかもしれません」
そこでアドルフが補足する。
「もうすぐ河があります。そこを逃すと、次に水を取れる場所はかなり先になります。
だから、その河で動くのかもしれません……」




