05 揺れる帝国
荷馬車の揺れに身を任せながら、ダリオンは静かに口を開いた。
「今、帝国は――二つに割れようとしている」
その言葉に、車内の空気が再び張り詰める。
「原因は、兄上たちの政権争いだ。第一王子であるアドリアン兄上と、第二王子ゼルヴァン兄上。
本来なら、争いなど起こるはずもなかった。ゼルヴァン兄上は文化人で、政治には興味がない。
絵を描き、書を読み、静かに過ごすことを好む方だ。王位など、望んでいない」
ダリオンは一度言葉を切り、窓の外に目を向けた。
「だが、現王――私の父でもあるグレイ・レオフォードの病が悪化したとき、すべてが変わった。
貴族会の長、オルヴィン・ナクトルが、アドリアン兄上に病の原因をでっち上げた。
それを機に、帝国は王族派と貴族派の二つの派閥に揺らぎ始めた」
「オルヴィンは、王に次ぐ権力を持つ男だ。
情報網は帝国中に張り巡らされていて、誰もその手の届く範囲を計れない。
“壁には梟の耳がある”――貴族たちはそう言って、彼を恐れている」
「そして、ゼルヴァン兄上はその策略に巻き込まれた。
今では、ただの貴族派の傀儡として利用されてしまっている。
オルヴィン率いる貴族派が、帝国西側の統治者として君臨したのは、ほんの三日前のことだ」
ダリオンは拳を握りながら、最も恐れていることを口にした。
「今はまだ、兵を動かすような戦は起きていない。
だが、貴族派がこのまま黙っているとは思えない。
オルヴィンの手が、どこまで伸びているのか……」
それはつまり近い将来、大きな内戦がこの帝国内で起こりえるということだ。
そこまで話したところで、ダリオンは今回の輸送依頼の経緯についても語ってくれた。
「私は、側室の子だ。王位継承権は低く、兄上たちを慕って育った。もちろん争いなど、望んでいない。
しかし、王族の血というのは、それだけで否が応でも警戒されてしまう。
そして一昨日、あろうことか、あのオルヴィンは私のもとに刺客を送り込んできた」
車内にわずかなざわめきが走る。
「だが、ここにいるヴァルクによって返り討ちにされた。
アドリアン兄上が私のために、ヴァルクを護衛に付けてくれたのだ」
「それでも、もはや王都でも安心できる場所はない。
そんな時、第一王女であるエリセア姉上の母君――リシェル・ヴァレンティア様から、一通の手紙が届いた」
ダリオンは懐から折りたたまれた紙片を取り出し、そっと見つめる。
「『ラパンへ一時的に避難してください』と書かれていた。
リシェル様は、聡明で冷静な方だ。こうなることを予見して、
私たちを守るための道を、あらかじめ用意してくださっていた」
「手紙には、ラパンに滞在している知り合いの商人を頼るようにも書かれていた。
そして、エリセア姉上と合流するようにとも――だが、今のところ姉上の行方は分かっていない」
ダリオンは静かに息を吐いた。
「だから、まずはラパンへ向かう。姉上への手がかりを探し、リシェル様の計画を辿るところから始める。
それが、今の私にできる唯一の道だ」
一通りダリオンが話し終えた後、車内にはしばらく沈黙が流れた。
誰もが、今聞いた話の重さを噛みしめていた。
最初に口を開いたのは、ミレイナだった。
「……なるほどね。確かに、ただの輸送依頼じゃないわけだ」
彼女は腕を組み、真剣な眼差しでダリオンを見つめる。
「でも、あんたがここまで話してくれたことは、ありがたいよ。
命を預かる以上、知らなきゃいけないことだった。そういう意味じゃ、殿下達は信用できる」
トラヴィスも頷きながら言葉を添える。
「私たちはあくまで商人です。政治に首を突っ込むつもりはありません。
ですが、依頼を受けた以上は無事に届ける責任があります」
ガルドは腕を組み、少し難しい顔をしていたが、やがて口を開いた。
「内戦になるかもってことか……。まだ始まってないってのが、逆に怖ぇな。
始まる前の静けさってのは、いつも一番不気味だ」
リナスは窓の外を見ながら、静かに呟いた。
「エリセア王女の行方が分からないってのも、気になるわね。
もし貴族派に捕まってたら、交渉材料にされる可能性もある……」
その言葉に、ダリオンの表情がわずかに曇る。
「……それだけは、避けなければならない。姉上は、誰よりもお優しい方だ。
争いの道具にされるようなことがあってはならない。
安易なことは言えないが、恐らくそちらもリシェル様がなにかしらの手を打っているだろう」
そして、アドルフがゆっくりと口を開いた。
「まずはラパンまでの道を守る。でもその先は……」
その言葉に、ミレイナが少しだけ目を細める。
「……まずはラパンまで。その先のことは、無事に着いてから考えよう」
帝国を出立してからすでに三日が経ち、今のところ追手らしき影は見当たらない。
それも、出発を極秘裡に進めた成果だろう。
道中では、あくまで行商人として振る舞い、町から町へと商いをしながら移動を続けていた。
そして二日目の夜、焚き火を囲んでいたときのことだった。
ダリオンは、アドルフが果実酒を飲んでいるのを見て、ふと笑った。
「アドルフは苦いのが苦手なのか?」
「はい。昔から……って、昔の記憶はないんですけどね」
その言葉にダリオンは深く詮索せず、答える。
「それでも、今の君は果実酒を選ぶ。つまり、それが“君らしさ”ってことだな」
アドルフは少し驚いたようにダリオンを見つめた。 王族とは思えないほど、自然な言葉だった。
「……ダリオン様は、王族なのに、普通に話してくれるんですね」
「王族だからこそ、普通に話せる相手が欲しいものだ。これからはダリオンで構わない。
それとこちらも”アド”と呼んでいいかな?」
王族に呼び捨てで話すのはどうかと思ったが、
アドルフはそれが信頼の証にもなると思い同年代の友人として話した。
「それじゃこれからよろしくおねがいし……よろしくね。ダリオン」
その言葉に、お互いに少しだけ笑いあった。
三日目の夕方、彼らは交易町ベルナに立ち寄った。
市場では、野菜や果物の売り声に混じって、帝国の噂が飛び交っていた。
「聞いたかい?なにやら貴族が王都に兵を集めてるって話だ」
「よく分からないが、第一王子が王に毒を盛ったという噂もあるぞ」
ミレイナは耳を澄ませながら、トラヴィスと目を合わせる。
「……やっぱり、ただの政争じゃ済まないかもしれないね」
ダリオンはフードを深く被ったまま、静かに町を歩いていた。
だが、その背筋には、確かな緊張が走っていた。
ラパンまでの道のりも、残すところあと一週間となった。
焚き火の明かりが揺れる夜、ダリオンとヴァルクは荷馬車のそばで静かに話していた。
「……ヴァルク。何か気になることでも?」
ダリオンが問いかけると、ヴァルクはしばらく黙ったまま、火を見つめていた。
やがて、低く落ち着いた声で答える。
「殿下。護衛は……本当に、ガルドとリナスの二人だけだったでしょうか?」
「……どういう意味だ?」
「最初に東門で合流したとき、私は護衛が三人いると思っていました。
あのアドルフという青年も、その一人だと」
「アドが? いや、彼は行商の手伝いをしているだけだよ。
剣も魔法も、使っているところは見たことがない」
ダリオンは少し笑いながら言ったが、ヴァルクの表情は変わらなかった。
「それが妙なんです。あの場にいた全員の立ち居振る舞いを見て、自然と“護衛は三人”と認識していた。
だが、後になって考えてみると、アドルフは護衛として紹介されていない。
それなのに、あの場の空気に、彼が“守る側”の人間として溶け込んでいたように感じたんです」
「……つまり、アドは“何か”を隠しているかもしれないと?」
(たしかに昔の記憶がないと言ってた気がするな……)
「いえ、そう断言するつもりはありません。ただ……気になるのです。
戦場をいくつも越えてきた勘が、あの青年は“ただの手伝い”ではないと告げている」
「……なら、聞いてみようか。アドが剣を使えるのかどうか――」




