47 古い伝承
カイナは左目を少し触ってから、
「この"目"の話の前に、この村に伝わる伝承についてお話しないとなりません」
そう前置きをして、カイナはゆっくりと、深い夜の底から言葉を拾い上げるように話し始めた。
――それはとてもとても古い時代、神代と呼ばれる時代の話。
そこに一人の物書きがおりました。その物書きは、あらゆるモノを想像し、創造できたと言います。
そしてそんな物書きの噂は、この村にも届きました。
この村に住む身体の弱い男が、その物書きにこうお願いしたそうです。
「物書きよ。私は身体が弱い。山をも動かし、どんな敵をも倒せる強靭な肉体と、村を永遠に守る力を与えてくれないか」
その願いに、その創造に本来、対価など必要ありませんでしたが、物書きは物語を面白くするための対価を求めたそうです。
そして男は「目は二つあるから、一つなら……」と軽率に目を差し出しました。
物書きは、その男の願いを叶えてあげました。
そしてこの村に片目の巨人が生まれました。
とても強く山をも動かせるような巨躯と、誰にも負けない強靭な身体を持った巨人が。
村人たちは、それを不気味に思いつつも、こちらに手を出さない巨人に様々なことをお願いしました。
「河をここまで引いてほしい」「田畑を踏みならしてほしい」
その巨人は快くその願いを聞き入れたそうです。
そしてしばらくしてその巨人は死にました。
ですが、物語はそこで終わりませんでした。
巨人が土に還るたび、村には決まって片目を失った子が生まれ、その子はやがて巨人へと姿を変えました。
「村を永遠に守る力」という願いは、巨人が死んでもなお、新たな肉体を器として求め続けたのです。
男が望んだ「永遠」は、その意図とは裏腹に、逃れられぬ血の輪廻としてこの村に根付いてしまいました。
そして村人は巨人になる子を神の子として崇め、巨人とはいえ、人から生まれた子であるその巨人と共生しておりました。
幾体もの巨人が生まれた後の時代、片目として生まれた、ある子供は、酷い虐めを受けたようです。
そしてその子供が巨人へと姿を変えた時、この村を襲うようになりました。
それは当然の報いのように思えますが、村人はとある英雄に巨人討伐の依頼を出しました。
その英雄は一切の報酬を望まず、ただ静かにその物語を終わらせました。
巨人を殺すだけでなく、「片目の巨人が生まれる」という世界の理そのものを消し去りました。
以来、この村に片目の子は生まれなくなりました。
巨人は生まれなくなりました。
そしてそんな巨人が生まれていた村のことを誰かがこう名付けました。片目の村――モノクロスと。
カイナがゆっくりと顔をあげた。
「そして今もこの伝承は、私の生きていた時代にまで引き継がれておりました」
「子供を怖がらせるおとぎ話のようなものです。……ですが、実際に生まれてはいけなかったのです。この村で――"片目"は」
「英雄様が断ち切ったはずの物語が、私の産声とともに再び芽吹いてしまった。村の人々にとって、それは希望ではなく、終わったはずの災厄が戻ってきた予兆でしかありませんでした」
「私が生まれてから、私の両親は私を……『呪い』から必死に庇い、その果てに命を落としました」
「怯えきった村人たちがこの地を捨て去ったのは、その後のことです。すべて、兄から聞きました」
そしてカイナは右目を押さえながら言った。
「そしてこの右目は数年前までは、普通に見えていたのです。ですが、この目は急に光を強烈な痛みとして受け取るようになり、今はこのようになっているということです」
そう言い終えると最後にカイナは微笑んだ。
「……ふふ。せっかく雨宿りに立ち寄られたのに、こんなに暗い話を聞かせてしまいましたね。ごめんなさい、アドルフさん。外の雨まで引き込んでしまったみたいで」
カイナはいたずらがバレた子供のように、少しだけ首を傾げてみせた。
重い沈黙を拭い去ろうとするその言葉は、彼女なりの精一杯の「もてなし」だった。
「さあ、冷めないうちにお茶をどうぞ」
その微笑みは小さな彼女にとって、強がりのようにも見えたが、カイナは恐らく既にそれらを乗り越えたのかもしれないとも思えた。
「いえ、カイナさんこそ……見ず知らずの自分なんかに話してくれてありがとうございます」
アドルフは、見えていないカイナに対して深々と頭を下げた。それはそんな壮絶な過去を自分に話してくれたことへの感謝とその勇気に対する敬意だったのかもしれない。
誰かに自分の過去を話すというのは、とても力が要ることだ。とても勇気が要ることだ。
それは過去の記憶を思い出したアドルフだから共感できたことかもしれない。
「あのアドルフさん。私のことは、どうか呼び捨てにしてください。『さん』付けで呼ばれるのは、少し照れくさくて……あと敬語も……」
カイナはそう言うと、恥ずかしそうに自分の髪を耳にかけた。
カイナは兄以外と話す機会は、ほとんどない。というよりまずない。
けれど、こうして誰かと話せる機会があるのに、少し距離があるような呼び方が寂しくも思っていた。
「うん! それじゃあこれからは“カイナ”と呼ぶね!」
「はい!」
それは今日一番の、いやここ数年で見せた眩しいほどの笑顔だった。
尚更、カイナの兄を見つけたいとアドルフは思う。そして肝心な事を聞きそびれていたことを思い出した。
「カイナ……そういえばお兄さんの名前を聞きそびれてたよ」
「あら、言ってませんでしたっけ? 兄の名は――バルミンです。バルミン・アイアンパース」
アドルフと別れた後、雨が降る街道をダリオンは一人歩いていた。宿で用意されたローブもすっかり雨を吸い、重くなった頃にその店を見つけた。
「ここかな?」
掲げられた看板は古び、一見しただけでは何を生業にしているか判然としない。
けれど、ダリオンは迷わず扉を押し開けた。カランカランと、どこか懐かしい呼び鈴の音が店内に響く。
店内は外観とは違い、隅々まで清掃され、アクセサリーや小物が整理されて置かれているのが見える。
「いらっしゃい」
店の奥から、品の良い老婦人が出てきた。
「失礼。少しお時間をいただけますか?」
その丁寧なダリオンの話し方に優しく老婦人も答える。
「えぇ私で分かることであれば、何でも……」
そこで言葉が切れ、老婦人はダリオンの特徴的な碧い髪を見て首を傾げた。
「あれ、あなたのその碧い髪、もしかして……風車村の出身かしら?」
それにダリオンは答える。
「それは私の母が育った村ですね」
ダリオンの母は貴族でもなければ、王族の血を引いている者でもない。ただの平民である。
そしてそんなダリオンの母であるが育った村の名前が“風車村”。
その村の名前は、ありふれた民話に由来している。
かつて、風を呼ぶ美しい巫女が丘の村で舞を捧げ、以来、そこには大きな風車を回し続けるほどの風が舞い込むようになったという。
その巫女の髪こそが、雲一つない青空を映したような碧色だった。
ダリオンの母、マルグリット・エルノアにもその色は受け継がれていた。それは彼女が特別だったからではない。
その村に咲く花のように、村娘の多くがその美しい碧髪を誇りとしていたのだ。ダリオンの髪に宿る色もまた、間違いなく母譲りのものだった。
老婦人はしばらくダリオンの髪をじっと見つめていたが、やがてパッと顔を輝かせ、はしゃぐように声を上げた。
「あら! お母様が風車村の出身なのね。どうりで男振りが良いわけだわ、お母様に感謝しなきゃね!」
彼女はまるで昨日のことのように、楽しげに身振り手振りを交える。
「もう何十年も前だけど、旦那とあの村に行ったことがあるのよ。みんな綺麗な人ばかりで驚いたわ。あの時のうちの旦那の鼻の下を伸ばした顔ったら、今思い出しても腹が立つくらいなんだから!」
そして老婦人は、少し目を輝かせながら話す。
「でも、女の私でも見惚れてしまう子が一人居たのを覚えてるわ……」
「とても綺麗な舞いをしていて……まさにそうね、天女という言葉を使いたくなるような美しい舞を踊ってくれていたわ……」
語る老婦人の表情は、まるで遠い昔に見た奇跡を今も大切に胸に抱いているかのようだった。その眼差しは目の前の青年の碧を通して、数十年という時間を飛び越え、風の吹き抜ける丘の上の光景を捉えている。
ダリオンは何も言わず、ただ静かに彼女の言葉を聴いていた。
その舞がどのようなものであったのか、彼女がどのような声をしていたのか。
ダリオンが口を挟むことで、その完成された美しい記憶を壊してしまわぬよう、ただ穏やかに相槌を打つ。
「……そうですか。そこまでの方だったのですね」
ダリオンの落ち着いた声が、店内に漂う懐旧の情をそっと肯定するように響いた。
【あとがき】
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