45 静かな村
「いつもありがとね。リンちゃん」
そう言って、メイドは餌を与えて優しく隼を撫でた。
「リンちゃんって? この子の名前ですか?」
「はい。この子がこうやって働いてくれるのもラパンにいるピンという子がうちに来てからなんです」
メイドがピンの名前を出すと、普段は静かな隼もまるで言葉が分かるかのように、少しだけその喉笛を鳴らしてくれた。
どうやらあのピンが、この隼を手懐けているらしい。たしかに動物に好かれそうな性格はしていそうだが、もはやそれだけではないような気もした。
「バルナバスのメイド達は、本当に優秀な人ばかりなんだね」
ダリオンはそう言い、迷うことなく優しく隼を撫でる。
それに満足気にリンちゃんは目を細めた。
「流石は王子様……。私があんなに苦労したのが嘘みたいに、リンちゃんが懐いてる……」
それはメイドの心の声であったのかもしれないが、小声で漏れていた。
「普段は嫌がるんですか?」
「はい……最初、私は餌をあげることさえできなかったのですが、ピンと一緒に餌を与えてからは、すっかり私のことも受け入れてくれまして……」
「なるほど、そんな事が……」
それであれば、自分は何となく無理な気がした。
あの鋭いくちばしだ。下手に手を出せば、指を肉片と間違われてもおかしくない。
(本当は撫でてみたいけど、命が惜しい……)
アドルフが一人そうしていると、隼は次はお前の番だという目でこちらを見てきた。
そして自らその自慢の白いお腹をこちらに向けてくれる。
(いいのかな……?)
そして優しく、そっと撫でてやると、隼は気持ちよさそうに目を細めてくれた。
「実は私が特別避けられていたのかも……」
「あはは……」
すっかり自信をなくしたメイドであったが、
流石はバルナバス商会が誇るメイド。
その後の宿の手続きから、周辺の情報と、バルナバスからの新たな情報について説明をしてくれた。
その切替の早さは、恐らくエリンから得たものなのかもしれない。
そしてその晩だけはゆっくりと休息を取ることにした。夜になっても外の雨は止むことはない。
窓に向かって降りしきる雨の音が、子守唄のように部屋を満たしていた。二人は雨に打たれた泥のように、深く、心地よい眠りへと沈んでいった。
翌朝、早速聞き込みを始めた。
昨日教えてもらったバルナバスからの情報を元に、何件か手分けして回ることになった。
そのバルミンと思しき人物と接触したことがあるという商人。トラヴィスが行ったことのある小さな村。
あとは情報が集まりやすい酒場。この三つを対象に探すことになった。
「それじゃアド、また夕方には落ち合おう。何かあれば、バルナバスの宿に伝言を残そうか」
「わかった! それじゃまた宿で!」
アドルフはダリオンと別れ、早速その村について調べることにした。一応当てはある。
それは、ピンに用意してもらった古地図に載っていた。
トラヴィスたちと迷って、偶然着いた場所と最も合致する場所にその村の名前は書き記されていた。
『モノクロス』
それがその村の名前だった。普段、地名の意味など深く考えない者が大半だろう。
だが、名付けた者がそこに何らかの意味を込めたはずだと想像するのは、アドルフにとって嫌いな時間の過ごし方ではなかった。
そしてアドルフは、今は地図にない村へと足を運んだ。
昔は道だと思わせるような痕跡など、もうそこには無かった。
「ピンはどれだけ古いものを持ってきたんだ?」
そんな疑問が浮かびつつ、足を動かす。
周りの木々や草は、雨季を待っていたかのように、その手を一杯に伸ばしていた。
もちろんその手にアドルフの足は何度も絡め取られている。
いくら南だからと言っても、降り続ける雨に体を晒し続ければ体の熱は逃げていってしまう。
一度暖を取れる場所を探そう。そう思った時だった。
鬱蒼と生い茂る木々から、見渡せるほどの平原へと出た。
そこに小さな家が建ち並ぶ村を見つけた。
雨に晒されながらも、何とか木陰で降りしきる雨から地図を守るように小さく広げる。
「あそこなのかな……?」
あの森のような場所を通ってきたため、多少の方向感覚が狂ってもおかしくないと思うが、アドルフはそうは思わなかった。
アドルフはその村に足を踏み入れる。
村はひどく寂れていて、人の姿は見えない。
「誰かいませんか?」
少しだけ声を張り上げるが、返事は返ってこない。響くのは、雨が家の屋根や地面を打つ音だけ。
だが微かに聞こえた。
「誰か――いらっ――るのですか?」
その声はとても小さくか細い声だった。
向こうから顔を出してくれるような雰囲気ではなかったため、アドルフは声のした方へと急いで向かう。
「はい! 少しお伺いしたいことがあるのですが!」
相手にも自分の位置が分かるように、再度声を張り上げた。
「こちらにおります」
そのか細い声は、目の前の小さな家から聞こえた。
「入ってもいいですか?」
「はい、その前にお名前だけ聞かせてくれませんか?」
ここで名乗らないのも変だと思いアドルフは自分の名前を名乗った。
「アドルフ・マークと言います」
「アドルフさん……ですね。どうぞお入りください」
そしてアドルフはドアをゆっくりと開けた。
その家の玄関は背が低く、アドルフは身を屈めて部屋へと入った。
廊下が少し続いた先から物音がした。
声の主はきっと向こうの部屋にいるのだろう。
室内は特に灯りはなく、ただ雨雲の中をすり抜けた光のみがぼんやりと部屋を照らしていた。
そしてその部屋の奥にポツリとソファーが置いてあり、そこに髪の長い少女がこちらに背を向けて座っているのが見えた。
どうやらあのか細い声の正体はあの少女で間違いなさそうだった。
その髪は分厚いカーテンに遮られた微かな光を吸い込んで、エメラルドとラピスラズリを溶かし合わせたような不思議な色に輝いていた。
そして入ってきたことが分かったのか、その少女は背を向けたまま、こちらに来るように手振りで案内してくれる。
「どうぞ、こちらへ座ってください」
アドルフは慌てて、乾いた布を取り出し、出来る限り、衣服に付いた汚れを落としていった。
少女は、その擦れる布の音を聞いて、少し安心したように胸に手をあてる。
「アドルフさん、どうぞ気になさらず。どうせ、この椅子を使ってくれる者はそうはいませんから」
そう言って少し笑いながら、再度手招きした。
そしてアドルフは恐る恐るその少女の前の椅子に腰掛けた。
そして少女を正面から見る。
透き通るような白い肌で、華奢な身体に整った顔をしていた。そして彼女の両目は黒い布で覆われていた。
「すみません。こんなずぶ濡れなのにあげてもらって……」
「いえいえ、何も問題ございませんよ?」
彼女にとって、当たり前であるのか、会話を続けた。
アドルフが少しその黒い布を見ていると、その間を察して彼女は手を胸に当て言った。
「私の名前は――カイナ。そして見て頂いている通り、この目は見えないのです」
どうやら目が見えないらしい。それにどう返事をしていいか迷いつつも気になっていることを聞いた。
「そうだったんですね……。カイナさん以外に村の人はいないんですか?」
アドルフから見れば、誰も住まなくなった村のように思えた。
しかも居なくなってから、大分年数が経っているように感じていた。
その返答に少し困った顔を浮かべながら、
「私の他に一人だけ、私の兄がおります。……ですが、昨日から戻っていないのです」
【あとがき】
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