44 交易町モラディア
帆を張った船がゆっくりと動き出す。
そして徐々に河の流れにも、風にも乗り、その船は加速していった。
船に乗った経験がなかったアドルフにとって、自分の頬に当たる風は新鮮なものだった。
その風は、とても強く頬を打ちつけているのに、気持ちが良い。
「ダリオン! こんな船もあるんだね!」
興奮が覚めないアドルフは、風に負けない声で話しかけた。
ダリオンも同じくいつもより声を張り上げる。
「あぁそうだね! まさかこんなに速かったとは!」
ダリオンもこの船に乗ったのは初めてのようだった。河沿いを走る荷馬車と比べるとその速さを実感できる。
本来、風任せの帆船がこれほど一定の速度を保ち、かつ逆風すら物ともせずに進むのは異常なことだ。
それもあのエーテルリムによる風魔法のおかげだろう。ラパンに滞在するときは、どちらかと言うとラパンにある固有の風魔法を見る機会は無かった。
よくよく考えてみれば、『風』の魔法がこれほど大々的に実用されている光景は珍しい。
交易で潤うラパンならではの、贅沢かつ合理的な魔法の使い道に、アドルフは改めて感銘を受けた。
「気持ちいいだろ? 俺も最近は事務仕事で乗る機会が減ってたからな……やっぱり船は良いよな」
親方と呼ばれた男が、興奮して嬉しそうな二人に声を掛ける。
「親方は、この仕事は長いんですか?」
アドルフは名前が分からず、親方と呼ぶ。その男はそれに豪快に笑って答えてくれる。
「あぁ! そうだな……もう二十年くらいになるな」
「二十年!? とても長いですね!」
それに少し照れながらも
「いや、そんなことはない。俺の親父は生涯現役とか言いながら、五十年近くはやってたからな……」
「ところでカイロス河で船に乗るのは初めてだろ? まぁ普通は乗れないんだがな……」
そこから親方はカイロス河から交易町モラディアまでについて教えてくれた。
このカイロス河の流域には、計十カ所の宿場が設置されているらしい。
たしかに河で一気に下ると言っても距離が距離である。
これだけ速い帆船を使っていたとしても、速さには限度がある。
だからこそ休息場所として、10カ所も設置されているんだとか。そしてその宿場の運営元がバルナバス商会とのことだった。
その宿場を利用する人間は限られるが、カイロス河を使っての運搬はほぼ毎日稼働している。
それに帰りはどうしても馬であっても、二週間はかかるだろう。
そういった意味でも中継地点がいくつも用意されているというのは、重要であると分かる。
そして今、アドルフとダリオンがこの船に乗っていられるのもそういったバルナバスの手引きがあるためだ。
(流石はバルナバスさんだ……)
一人感心しているところに、親方は最後に気になることがあるのか、妙な話をした。
「あんたらはラパンから来たんだろ? 最近ラパンで妙な連中を見なかったか?」
「妙な連中……もしかして黒茶のローブを着てた人たち?」
その服装の特徴に合致したのか親方は
「そいつらだ! 最近やたら同じ服装をした奴らが、ラパンに向かっているのが見えてな」
「どう見たって怪しかっただろ? まぁラパンで何が起きようとも‘’魔装兵‘’がいるからな。何もできやしないがな」
話はそこで終わり、程なくして船員の一人が報告してくる。
「親方! もうじき暗くなるんで、今日のところは次の宿場までにしましょう!」
「おう、わかった! そんじゃ長い船旅になるが、楽しんでくれ!」
そう言って部下たちに指示を飛ばしにいった。
そこからの河下りは順調だった。
何か予期せぬ事があったと言えば、途中で船に不備があり、一時停泊することがあったくらいだ。
普通なら大問題であるが、親方と呼ばれている男は、部下に的確に指示を飛ばして即座に船は修繕された。その道二十年は伊達ではなかった。
それはとても不気味なほど静かで、穏やかだった。今考えれば、ラパンまでの道のりが過酷過ぎたとも言える。
そしてあっという間にカイロス河を下りきり、馬へと乗り換えた。
目指すは交易町モラディア。この大陸で南にある唯一の大きな町だ。
数日間、休息を取りながら二人は馬を走らせ続けた。
「ダリオン、もうすぐのはずだよ」
事前にピンにお願いしていた地図を広げて、
周りの景色と比べながら、現在位置を丁寧に確認して伝える。
「アドは地図を読むのが上手いからな。アドが言うならそうなんだろ」
本来であれば、地図があってもそう簡単には目的の場所にはたどり着けない。
地図はおおよその配置を指し示すものであって、精確なものなどそうあるものではない。
しかしアドルフの地図は、あのバルナバスの事務所で見たものを参考にしつつ、ピンに集めさせた地図を反映させた独自の地図だった。
これはただの素人が作った地図ではない。
彼はこの世界でも特異である、魔物に対峙するための知識を持った青年なのだから。
いったいどこにそんな時間があったのかダリオンには分からないが、きっと自分の護衛を決意してくれた日から、いろいろと準備を進めていたのかもしれない。
そう思いながら、ダリオンは心底頼りになる友だと思った。
そんな時にぽつりぽつりと水滴が落ちてきて、
アドルフの肩を少しずつ湿らしていった。
「……雨? もしかすると、モラディアは雨季なのかもしれないね」
ダリオンが聞き返す。
「雨季? 南には何か特殊な気候があるのか?」
「うん。南は雨季と乾季を繰り返す地域らしいよ。正直今がどの時期にあたるかまでは調べられなかったんだ……。もしかしたら、滞在中はずっと雨になるかもね」
「そうか。それはどうにもならないことだな……」
そして二人は幸運なことに、雨足が強まる時に町を見つけた。いや街と表現すべきかもしれない。
「想像以上にでかいな……」
ダリオンがポツリと呟く。
雨に打たれたその街こそ、この大陸の南で最も大きい交易の街モラディアだった。
その街に門はなく、柵はなく、常に何処からでも入る事が出来るような開かれた街だった。
そして街の人たちは雨が来るのが分かっていたのか、大きな壺を家や店の前に置いていた。きっと雨水を貯めておくためのものだろう。
子ども達も待ちに待った雨なのか。自分達とは違って、喜んでずぶ濡れになりながら、小さな口を空に向かって大きく開いていた。
その子どもの姿を周囲の大人たちも温かい目で見守っている。
その光景だけで、雨という恵みに感謝している街だとすぐに分かる。
そういった機微に関しては、人一倍感じることができるのがダリオンという人間でもある。
「アド、この街にもバルナバスの宿があるはずだから、まずはそこに向かおう」
程なくして、コンパスに小鹿のレリーフが彫られている店を見つけた。バルナバスの宿だ。
入るとすぐに、いつも通りのメイド姿の店員が出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。碧い髪と、赤い髪……ダリオン様とアドルフ様でお間違いないでしょうか?」
丁寧にお辞儀をしたあとに、メイドは確認してくる。
「そうだよ。もうバルナバスから連絡が入っているのか? すごいね」
たしかにダリオンの言うとおりだ。
自分達は、カイロス河を使ってここまで来ている。
それこそ馬でも休息のことを考えると、自分たちの方が早いし、南に行くと決まってからも、出立は割と早い方だった気がした。
「バルナバス様とのやり取り、この子を使っているのです」
そう言って指し示した部屋の隅に、一羽の鳥が窓から外を眺めていた。
その立ち姿は凛としていて、特徴的とも言えるその羽根は、雨に濡れたかのような黒い斑点に覆われていた。
対照的に白が目立つ腹部にも、まるで精緻な意匠として黒い斑点が描かれている。
その鋭い眼光は、降りしきる雨の向こうにある次なる目的地を、既に捉えているかのようだった。
アドルフがぽつりと呟く。
「隼……かな?」
「よくお分かりになりますね。はい、この子はハヤブサと呼ばれる鳥らしいのです」
「恥ずかしながら、私はあまり詳しくないのですが、この子に文をとどけてもらっているのです」
【あとがき】
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