42 ゼルヴァン・レオフォード
ダリオンがお土産と言ったそれは、古い本だった。
「アドリアン兄上との外遊先で見つけたものです! きっとゼルヴァン兄上なら読めると思い、お土産にと!」
その見たこともない文字にゼルヴァンの目は輝いた。
「流石は我が弟だ! 将来は立派な王子になること間違いないな!」
その言葉に反応したインダは、今度はこめかみを押さえながら呟く。
「ゼルヴァン様も『立派な王子』になるのですよ……」
当然インダの声はゼルヴァンの耳には入らず、既にダリオンを自分の膝に乗せて、その古い本を広げようとしていた。しかし、その前にダリオンは感嘆の声を漏らす。
「わぁー! 綺麗な絵ですね兄上! やっぱりゼルヴァン兄上の才能は大陸一です!」
そんなことを言ってくれる弟をゼルヴァンは優しく撫でる。
「ありがとう。ちょうどそこの小鳥を描いていたんだ……。けど、先程インダの声にびっくりして、もう居なくなってしまったね……」
「そうなんですね……」
王子二人して、明け放たれた窓の方を憂うように見ていた。
その様子に、何も悪くはないインダは謝る。
「ダリオン様! 申し訳ございません!」
当然のようにゼルヴァンへの謝罪はない。
「私に対しての謝罪ではないんだね……」
そう呟くゼルヴァンの声もインダには届いていないようだった。
「インダは、別に悪くないよ! いつも兄上のお部屋を掃除してくれてるしね! いつもありがとう!」
代わりにハッキリとしたダリオンの声がインダの耳へと届く。
「あぁ……。私はこれからダリオン様にお仕え致します!」
その真っすぐなインダの目に、またもゼルヴァンは苦笑した。
そしてその申し出は、丁寧に断られてしまう。
「でも、インダが居なくなったら兄上はきっと困るよ?」
インダよりも真っすぐな目をしたダリオンの目に当てられ、その眩しさにあえなくインダも折れるしか無かった。
「うぅ……このインダ、ダリオン様がそう仰るのであればもう少し頑張ってみます……」
「それでは、私はゼルヴァン様が散らかした別のお部屋を掃除して参ります! それでは失礼します」
そう言ってインダは二人に対して、丁寧にお辞儀をしたあとに部屋から出ていった。
「だんだんインダは、私の扱いが雑になってきたなぁ」
だが、別にゼルヴァンの気は悪くなっていない。むしろ居心地が良いくらいであった。
「ダリオン、そう気を落とす必要はないよ! 後で私があの小鳥を呼んであげるから」
「これもまだ描き終えてはないからね……」
その言葉にダリオンは目を輝かせた。
「兄上は、鳥さんを呼べるんですか?!」
それに自信満々にゼルヴァンは大きく頷いた。
「もちろんだよ! 帝国の王族たる者、それくらいは出来るものさ! ダリオンもきっと出来るようになるさ!」
「流石は兄上です!」
そんなやり取りのあと、ゼルヴァンは再度、ダリオンから渡された古い本に視線を落とした。
そして表紙の文字に似た紋様をじっくりと観察する。そして、ゆっくりと本を捲っていった。
ダリオンもゼルヴァンの真似をして、流れゆくページをじっと見ていた。
お土産として持ってきたダリオンであったが、この外遊から戻ってくるときにも、何度も手に取って、あれこれ想像しながら眺めたが、ダリオンにはさっぱり分からなかった。
決してダリオンに学がないから、読めないのではない。むしろダリオンはそこらの士官学校にいる生徒より優秀だろう。
むしろこの本を読むことができるのは本来、この特殊な言語を知っている者だけだ。
だがこの帝国で、あるいはこの大陸で唯一読める人物がいるとすれば、それが誰なのかだけは知っている。
ゼルヴァン・レオフォード。
この世の文化や芸術に関して、深い知見を持ち、また一目見ただけで、それらを解釈、理解できる者。それは一個人の解釈に過ぎないと思うかもしれない。だが、ダリオンは思う。
第一王子であるアドリアンが武の天才なら、第二王子であるゼルヴァンは間違いなく文の天才であると。
だからこそこういった事に関しては、この尊敬する兄の一人であるゼルヴァン以外には解けないと。
そして遂に、ゼルヴァンが最後のページを捲り終えた。それは幾許かの時間だったのだろうか。ほんの一瞬だったと思えた。
そしてゼルヴァンは口を開く。
「ダリオン、これはなかなか面白いものを持ってきたね。これはどこで見つけてきたんだい?」
「これはベルナに立ち寄った際に、露店で見つけました!」
ベルナとは、レオフォード帝国よりやや東にある交易町の一つである。
「ベルナね……。…………」
少しだけ思案しているゼルヴァンにダリオンが聞く。
「兄上、結局この本には何が書かれていたのですか?」
「……ある"物語"について書かれていた。あるいは"歴史"と言ってもいい」
ゼルヴァンは「んー」と小さく首を傾げ、記憶を整理するように言葉を継いだ。
「恐らく、相当に古い。話の内容は……そうだね、……"背が高い女性と夫婦"になったという話だったよ。夫婦になってから、その生涯を終えるまでの物語が記されていた」
とても抽象的な言葉であるがダリオンは大きく頷く。
「この物語で出てくるのは、たったの二人。その夫婦のお話。夫婦となってからは、どうやら西の方へ住んでいたようだね。そこでひっそりと生き、子供を産み、妻は病気になり、遂には救うことができず亡くなったという話だった」
その内容はどこにでも転がっているような物語だ。だが、ゼルヴァンにはこの作者が何故これを書き残したかったのか理解している。
「それは悲しいお話ですね……。すみません兄上」
ダリオンはそれを聞いて、少し申し訳なく思った。本の内容がダリオンには分からないとはいえ、ゼルヴァンに悲しい物語を読ませてしまったことに少し落ち込んだようだった。
気に病むダリオンの頭をゼルヴァンは優しく撫でる。
「いや、ダリオンが謝ることじゃないよ。それにさっきも言っただろ?これは"物語"でもあって"歴史"かもしれないって。この本は恐らく創作ではない気がするんだ。こればっかりは正直、勘だけどね」
ゼルヴァンはそう言って笑い、膝に乗せたダリオンを持ち上げてゆっくりと下ろした。
「それじゃダリオン! 鳥さんを呼ぼうか。読書も終わったし、この絵を完成させたいからね!」
ゼルヴァンの笑った顔を見てダリオンも先程の憂いはなくなったのか元気に返事をした。
「はい! 兄上!」
そして王子二人がベランダへと出る。
「兄上、ところでどうやって鳥さんを呼ぶのですか?」
それはごく当然の疑問である。
ゼルヴァンは話すより先に実践してみせてくれた。
「ん? まぁ見ててね」
そして、ゼルヴァンは小さいながらも、音が高い口笛を一回吹いた。
すると、ベランダから見える木から一羽の小鳥が飛んでくる。
「兄上! 鳥さんが!」
「ほら、来たでしょ?」
そしてその小鳥はゆっくりと滑空しながら、上手にベランダの手摺へと足を落ち着かせた。
そして止まった鳥をゼルヴァンが優しく撫でる。その光景にダリオンは興奮した。
「兄上は、動物とおしゃべりできるんですか!? すごい!」
その言葉に少し照れながら、ゼルヴァンは人差し指をゆっくりと鼻先に立てた。
その仕草に、ダリオンは急いで両の手で口を押さえる。
「(ダリオンもいつか出来るようになるさ。……ほら、優しくね)」
小声でそう言って手のひらに乗せた小鳥をダリオンに優しく渡してきた。
「(あにうえ、凄いです! こんなにも近くで触れたのは初めてです!)」
ダリオンもゼルヴァンに合わせてボリュームを抑えているが、興奮は抑えきれていないようだった。
そしてゼルヴァンはゆっくりと手摺に戻すようにと、身振りで教えてくれる。
だがダリオンからしたら、少し手摺の方が背が高い。
そんな可愛い弟の苦戦している姿に、自然と笑みが零れたゼルヴァンは、遂には優しくダリオンのことを持ち上げた。
そしてダリオンの手のひらと手摺の高さが揃うと、小鳥はピョンと手摺へと飛び乗り、毛繕いを始める。
そのまま二人は慎重に音を立てず、部屋へと戻った。
【あとがき】
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