39 小さなメイド
カエデからラパンに向かう街道に一頭の馬が神馬のごとき速さで駆けていた。
よく見ると騎乗している人物はメイド服を着こんでいる。
馬にメイドが乗っているという光景自体が異常であるが、その街道をよく通る人なら、その騎乗している人物のことを良く知っている。
止まらぬ馬に向かって、「ほれ!」いつものことのように年老いた行商人がリンゴを二つ投げた。
一つは手で受け取り、もう一つはそのまま口で齧り付いた。
「あひあおう!」
とんでもない速さで駆けているのに、後ろを向きながら手を振ってお礼を言ってくる。
そんな少女の笑顔に行商人も満更ではなさそうな顔をしていた。
最初にそんな光景を見たら、落馬しないか心配になるだろう。何せ馬に乗っているのは、年若い少女である。
だが、なんのことはなくその少女は前へと器用にくるりと向き直り、手綱を握りながらラパンへと馬を走らせた。
少女の名前はピン。バルナバス商会が誇るメイドの一人だ。
ピンは昨日、バルナバス様の客人であるアドルフからあるお願いをされた。
これからアドルフ達が向かう南についての情報を集めてほしいということだった。
ピンはそれを聞いて、今ラパンに超特急で帰っていた。目指す場所は、"南に詳しいおじさん"の家である。
ピンの頭の中では、"名前"ではなく"情報"で頭に入っている。
なので、アドルフの事は、優しそうな赤髪のお兄ちゃんということになっている。
バルナバスやエリンなどは、名前として記憶している。
ちなみに道中で良くリンゴをくれる行商人は、"りんごおじさん"として記憶されていた。
そしてものの数時間で、ラパンまで到着した。
「よぉし! いいこいいこ!」
ピンは馬をわしゃわしゃ撫でると、馬も嬉しそうに鼻を鳴らした。
ピンの乗っているこの馬は、通常の個体より一回り大きかった。
そしてこの距離を一息で走り切れる馬はそうはいない。というよりまずいないだろう。
この馬は地元でも有名な暴れ馬だった。
とある貴族が競走馬として良い値で買い取ったが、その暴れっぷりに騎乗できるものが誰一人居なかった。
仕方なく処分されそうなところをピンが貰ったという経緯がある。
貰えたのは、貴族がピンを気に入って「お嬢ちゃんが乗れたら差し上げるよ」と冗談交じりに言ったところからだった。
貴族としては、本当に冗談のつもりだったが、ピンは遠慮なく馬に近寄っていった。誰もが危ないから離れた方が良いと助言したが、馬はなんのこともなく、彼女を乗せた。それが当たり前であるかのように。
そして神馬のごとき速さで、貴族の庭を駆けたという話は、一時ラパン中で噂されるほどだった。
騎乗したのがメイドという嘘みたいな話もついて。
その貴族も、その馬が走る姿を見れて、大変に満足していたという。以来、その馬はピンがお世話をしている。
ちなみに名前は"ピク"という可愛らしい名前を付けている。
耳がピクピク動いているからというのが理由らしい。
その可愛らしい名前とは真逆で、将軍や王族などが乗る軍馬のように誇らしい顔付きをしている。
それこそ馬鎧などを身に着けさせれば、その騎乗者は軍神として映るだろう。
そんな勇ましいピクに貰ったリンゴを与え、ピンは"南に詳しいおじさん"の家にやってきた。
そこは家というより、古い書店をやっているお店だった。店に入るなり、店中にピンの声が響く。
「おじさん! いる?」
そして奥からゆっくりと初老の男性が顔を覗かせた。
「おや、ピンちゃん! よく来たね。あら、あのでかいお馬さんも一緒なんだね。今日はどうしたんだい?」
そして、ピンは小さなメモ帳を取り出して、"南に詳しいおじさん"にお願いする。
「おじさん、南の方について教えて!」
「南……? この大陸の南側についてでいいのかい?」
「うん! 出来れば地図が載っているのがいい!」
「んーなるほど、誰かからのお遣いなんだね。ちょっと待っててね」
"南に詳しいおじさん"は、ピンとも付き合いが長いのか、一人で勝手に推察して、書棚を一つ一つ確認してくれる。そして何冊か手にとっては、書棚に戻すを繰り返し、やがて二冊の本と長細い丸まった紙を渡してきた。
「こっちの二冊があれば、南全域を網羅できる書物で、こっちがちょっと古いけど、十年前くらいに書いた地図ね。
お代は良いよ。バルナバスさんには世話になってるからね」
「ありがとう!おじさん」
「気を付けて帰るんだよ」
親戚のおじさんくらいの感覚で、本を受け取ったピンはまたも馬に跨って走りだしていった。
途中で、馬を譲ってもらった貴族の家でピクに干し草を食べさせ、すっかり回復しきったピクは再度走れる顔つきになっていた。
ピンはラパンにおいて、エリンと並ぶ人気者でもある。
特にご年配からの人気は異常だ。みんな一様にピンのことを姪っ子や孫といった感覚で接している。
そしてピンに馬を譲った貴族も、「ここにある草ならいつでも食べさせていいからね」と言われている。
特別待遇もいいとこであるが、一応バルナバス商会のメイドではある。
そしてその日は、もう日も暮れてしまったため、流石にラパンにあるバルナバスの事務所に戻ることにした。
屋敷のような事務所で、廊下を歩いていたら後ろから声を掛けられる。
「ピンちゃん、今日はエリンちゃんと一緒じゃなかったの? あら、頭に干し草が付いてるわね」
髪に付いていた干し草を優しく取り、少し乱れたピンの髪を優しく梳かしてくれる。
上品な雰囲気を持つその人物は、昔メイド長を務めていたこともあるヘレンだった。
今はバルナバスの事務所の管理と、バルナバスの補佐役としてこの事務所で働いている。そしてバルナバスの妻でもある。
「ヘレンお姉さま! すいません以後気を付けます!」
「あと、明日またエリンお姉ちゃんのところに戻ります! お遣いの途中なのです!」
エリンの時のように、ピシッと敬礼をかます。
その愛嬌たっぷりの敬礼にフフっと笑いながら、
「じゃあ、カエデからわざわざこっちに帰ってきたのね。偉いわねピン」
ピンの頭を優しく撫でると、目を閉じながらムフフと声を出してピンは喜んだ。
尻尾が付いていたら、きっとぶんぶん振れているだろう。
「ゆっくり休むのよ」
ヘレンにたくさん撫でてもらってから、ピンは眠りについた。
明日はまたカエデに行かないといけない。
「赤髪のお兄ちゃんに、届けな……くぁー」
その日ピンは昼過ぎまで寝てしまった。
「フガッ!」
翌日、あまりに戻ってこないピンを心配したエリンは、ピンが戻ってくるなりカエデで少し怒られるのは別のお話。そして彼女はいつも通り、上官に敬礼をした。
【あとがき】
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