32 夕日の町
エリンは町の入口付近に荷馬車を止め、荷馬車に乗っているアドルフ達に声を掛けた。
「みなさま、着きました。ここが夕日の町――カエデです」
そう言って、荷馬車の外へと誘う。山と山に挟まれた谷合にあるその町は、どこか落ち着きのある雰囲気という印象だ。
そしてアドルフ達の目を奪ったのは、町から見える大きな山々に茂る木々だった。
「きれい……」
木々の葉は、沈みゆく夕日の色を映したかのように艶やかな黄色を放ち、その中に紅の気配が静かに溶け込んで、山々を染め上げていた。
「確かに貴族や王族が来たがる訳ね」
「おれもこんなものを見られるとは思わなかったぜ!」
リナスとガルドも感嘆の声を上げている。
「母さん、見て! すごい綺麗だよ!」
「えぇ、とてもいい場所ね……」
アドルフ、ミレイナもその景色に目を奪われた。
この町は貿易都市ラパンに居た時と比べると、人通りは少ない。
それは当然の事ではあるが、今は夕刻ということもあり、より人通りは少なく感じた。
何の喧騒もないことが、この景色をより特別なものにしてくれているかのようだった。
(母さんも父さんもきっとここなら大丈夫……)
アドルフにとってそれは何の根拠もなかった。
けれど、この景色を見ていると、なぜだか安心して暮らしてもらえると心の底から確信できた。
そこから、エリンの案内で町の中心にある一つの家屋へと向かった。
「ここがトラヴィス様たちの拠点となります」
そこは決して小さくなく、ましてや抱えきれないほど大きくない家だった。
普通の二階建ての家に見えるが、一階部分はショーケースのようにガラス張りになっており、
一階でお店を開く想定で建てられていることが分かる。
屋内に入ると、隅々まで清掃されていることが分かった。
きっとバルナバスのメイド達が手入れしてくれていたのだろう。
そしてさっそくここに来た目的を果たす時がきた。
「母さん」
アドルフの呼びかけにミレイナは黙って頷いた。
そして荷台で寝かしていたトラヴィスを二階のベッドへと運び入れる。
ここまでの道のりでは馬車の揺れもあって、道中ではずっと咳込んでいた。トラヴィスの意識はまだ朦朧としている。
バルナバスが雇ってくれた医者に治療はしてもらったとはいえ、あの護衛中に受けたダメージは余程大きかったのだと分かる。
順調に回復へ向かっていることは確かだが、この状態が長引けば何が尾を引くか分からない。
そしてベッドにトラヴィスを寝かした後は、ガルドとリナスが家中のカーテンを閉め切りに行った。
念には念をということだ。そして部屋にはベッドで寝ているトラヴィスとミレイナ、そしてアドルフが残った。
「それじゃあやるわね……」
ミレイナが長細い箱を開け、そのエーテルリムを腕に嵌めた。
そしてダリオンから事前に渡された火の魔石をエーテルリムへと嵌め込む。
右手をトラヴィスの腹部へかざし、少しだけ深呼吸して魔力を注ぎ込むように目を閉じた。
次の瞬間、魔石が淡く光り出す。
そしてほんの一瞬だけ、光がトラヴィスの身体を包んだ。それは一瞬の出来事、光もさほど強烈ではない。
だがこの光がノヴァリス教国の誰かに伝われば事情は大きく変わる。だからこそ、ここまで慎重にやっているのだ。
そしてアドルフには到底理解できなかった。なぜ人を救える魔導具があるのに規制するのか。
なぜ父さんがこんな目に遭ったのにすぐに治療できないのか。まだ関わったこともないその教団に対して、アドルフは少し怒りが湧いた。
だが、そんな感情は次の瞬間には掻き消える。
トラヴィスの目がゆっくり開く。
「トラヴィス!」
ミレイナがトラヴィスの右手をぎゅっと握った。
「あぁ……ミレイナ……アドも」
トラヴィスは深く呼吸して、ベッドから身体を起こした。
そして体中に包帯が巻かれていることに気づく。所々血が滲んだ跡もあった。
しかし不思議と痛みはない。
「父さん……良かった」
そしてアドルフはトラヴィスに抱きついた。
「アド……。お前今、『父さん』って……。そうかそうか……。心配かけたね」
そしてトラヴィスはミレイナとアドルフを見つめ、家族三人で抱き合った。
トラヴィスが無事に起きたことをガルドとリナスにも教え、トラヴィスには今までの経緯を説明した。
護衛任務を達成したこと。負傷したトラヴィスをラパンから少し外れた町へと移動させた経緯など。
もちろんこれからについても話した。
トラヴィス、ミレイナ、ガルド、リナスは、この町で情報収集を兼ねて残ってもらうこと。
そしてアドルフがダリオンの護衛としてついていくことも。
「そうか……」
一連の話を聞いて、トラヴィスは驚く様子もなく、ただただ短く返事をした。
そしてトラヴィスはアドルフに問いかける。
「アド、それは自分で決めたんだね?」
それはミレイナにもガルドにも問われたこと。だからこそもう迷いはない。
「はい、父さん!」
その返事に満足そうにトラヴィスは微笑んだ。
そしてトラヴィスはリナスの方へ向く。
「リナス、ちゃんと見送るんだよ?」
なぜリナスだけにそう言ったのか、その時は分からなかった。
「分かってるわよ……。だってアドが自分で決めたことなんだもん」
そう言って、リナスは部屋を出ていった。
リナスは近くにあるベンチへと腰かけた。
既に夕日は沈んでしまい、赤い空がぼんやりと明かりを照らしている。
(アドが護衛か……)
なんとなくそんな気がしていた。
過酷な旅を終えた後のアドルフは、どこか大きくなった気がしたのだ。
ダリオンの護衛になることは、ミレイナやガルドからは聞いていた。
そしてそれはリナスやガルドの後ろに居て、常に守ってあげていたアドルフはもう居なくなってしまったということでもあった。
いっそのこと……記憶が戻らなければ……。そんな考えが過ぎったことで、リナスは両膝を抱えた。
「私って最低かも……」
先ほどより、少し冷たい風が髪を撫でた。そんな時に後ろから声がする。
「リナス!」
アドルフがこっちに向かって走ってくる。
「ここに居たんだ。寒くなるよ? 家に入ろうよ」
その優しい言葉に、リナスは顔を両膝に埋めた。こんな顔を見せたくない。
「今はこうしてたいの」
それを聞くとアドルフは家の前に止めていた荷馬車の方へ駆け寄り、何かを取り出してきた。
「じゃあせめてこれでも被ってないと、風邪引くよ?」
アドルフは普段野営などで使っているブランケットをリナスに被せた。
その追い打ちにリナスはアドルフの手を引っ張って、無理やり隣に座らせブランケットの中にアドルフを入れた。
「リ、リナス!?」
「うるさい、もう少しここにいなさい」
そしてリナスは顔を自分の膝に埋めたまま口を開いた。
「アドが悪いんだから。勝手に護衛になっちゃうし……。綺麗なメイドさんと仲良くなるし……。お姉ちゃんは私なのに……」
最後の方は聞き取れないが、どうやら護衛に行くことを怒っているようだった。
「ごめんリナス、何の相談もしないで決めて…」
その言葉に少し顔を上げてアドルフを睨んだ。
「そうよ。わたしに何の相談もないなんて…」
「ご、ごめんて」
別にアドルフが謝るようなことではないのは、リナスも分かっている。
でももう少し相談してくれてもいいじゃない。頼ってくれてもいいじゃない。
私だってミレイナやトラヴィスと同じくらいアドルフのことを心配しているし、ガルドと同じくらい頼ってもらいたいと思ってる。
「私はアドのお姉ちゃんなんだから……」
その呟きにアドルフは答える。
「相談も無しに……ごめん。けど、勝手だけど……決められたのは、リナスとガルドが居たおかげなんだ。
リナス達が残って、父さんや母さんを守ってくれるっていう話が無かったら、きっとここに残っていたかもしれない。
むしろリナスやガルドじゃなきゃ、確実に残っていたと思う……」
それは嘘偽りのないアドルフの本音。その言葉にリナスの体温は上がった。
それは今、最も聞きたかった言葉なのかもしれない。
「アドのズル!」
「なんで!」
「ふん!」
リナスはアドルフに顔を向けない。
もしこんな顔を見せたら恥ずかしくて、それこそこの町からも出て行ってしまうかもしれない。
だから、リナスは既に沈んでしまった夕日のほうをぼんやりと見続けた。
既に赤い空ではなくなり、星の輝きが空に浮かび始めていた。
【あとがき】
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
本作は【毎週水曜日と日曜日の21:00】に定期更新しております。
もし「面白い」「続きが気になる」と思ってくださったら、
ページ下部にある【ブックマーク登録】や【評価(★★★★★)】で応援していただけると、毎日の執筆の大きな励みになります!
それでは、次回の更新もどうぞお楽しみに!




