31 信頼
ダリオンは、地図に描かれたレオフォード帝国を見つめながら思案していた。
既にダリオンとヴァルクが帝国を抜け出してから、現在に至るまで一ヶ月ほど経っている。
帝国内の情勢については、表立ったことはないとバルナバスから報告を聞いたが、
こうしてダリオン達が逃げおおせていることは、オルヴィンにとって予想外のことであるには違いない。
だからこそ、次になにかしら動きがあってもおかしくない。
むしろダリオンを後回しにするという意味で捉えれば、帝国に集中し始めるかもしれない。
そういった意味も踏まえて、ダリオンはある決断をしようとしていた。
「ヴァルク……」
少し躊躇しながら、それが最良の選択だと信じてダリオンはヴァルクに提案した。
「私を置いて、帝国に戻ってはくれぬか?」
その言葉にアドルフが驚いた。そしてダリオンの話は続く。
「言葉が足らなかったな。私はいまこうして、ラパンまでたどり着けた。その大部分はヴァルクが居てくれたからこそだ。
またヴァルクを護衛に付けて下さったアドリアン兄上のおかげでもある……」
「そして恐らくだが、こうして逃げ切れたということは、オルヴィンが次に優先すべきは帝国の掌握のはずだ。
帝国内の情勢も私には正直分からない。だが、アドリアン兄上が信用できる人の数は多いに越したことはない」
「それに今は強い護衛も仲間になった。頼れる商人もいる」
その言葉にアドルフは少し照れながらも、責任が肩に乗った気がした。
バルナバスは満足げに、ダリオンとヴァルクに会釈で返している。
そして一呼吸置き、ダリオンはヴァルクの目を見て言う。
「だからこそヴァルク……兄上の元へ向かってはくれないか?」
それはダリオンが最も気にしていることの一つだったのかもしれない。
これまでダリオンはずっと家族のために動いてきた。それは今後も変わらないだろう。
だからこそ姉であるエリセアを心配し、二人の兄の事も同じくらい気に掛けている。
今は同じく追手を放たれたと思われるエリセアを心配して動いているが、ダリオンとしてはもちろん兄達も心配なのだ。
ヴァルクはそこまで黙って聞いていた。
そしてヴァルクはダリオンに向かって、片膝をつき跪礼した。
「その任、しかと務めさせていただきます」
そしてダリオンはヴァルクの肩に手を置いた。
「兄上をよろしく頼む」
そしてバルナバスの事務所での会議は終わった。
解散になった頃に、ヴァルクはアドルフに短く声を掛けた。
「アドルフ、殿下を頼んだぞ」
そう言って、ヴァルクは事務所を去っていった。
それはとても短い言葉だった。だがその言葉には確かな信頼の証と、責任をアドルフに託すという意思の表れでもある。
決してヴァルクと居た時間が長い訳ではない。日にちで言えば、たったの一ヶ月程だ。
だがヴァルクは、その日々でアドルフを信頼し、ダリオンの身を預けるのだと決めたのだ。
だからこそアドルフはそれになんとしても応えようと心の中で誓った。
その日の夜にヴァルクは貿易都市ラパンを発ったと後日聞くことになる。
そして会議の翌日、トラヴィスをラパンから離れた町に移動させる日がやってきた。
時刻は早朝だ。帝国を出発した時と同じように朝焼けが大地を照らし始める時間帯に、貿易都市ラパンの北門に一台の荷馬車が停まっていた。
そこには五人の人影が荷馬車の前に立っていた。
アドルフ、ミレイナ、ガルド、リナスのいつものメンバーに加え、メイド服を着ている人物が一人。
「皆さんお揃いですね。バルナバス商会のメイド、エリンと申します。よろしくお願いいたします」
そしていつものようにスカートの裾を両手でつまみ、優雅に持ち上げて一礼した。
その品性にリナスは少し見惚れる。
(き、綺麗な人……。)
世間から見れば、リナスの容姿も十分に美人といえる。
だがそんなリナスから見ても、エリンはその品性と相まって美しく見えた。
「エリンさん、今日はよろしくお願いします」
アドルフは普通に挨拶する。もう何度も会っているため慣れもあるのだろう。
「アドルフ様、おはようございます」
エリンの表情は一見すると真面目で少し固い印象を与えることが多い。
別に笑わないわけではないが、いわゆる仕事の顔付きになっている。
だがそんな印象を受けたリナスはエリンがアドルフに挨拶したときに、少し柔らかな表情になったことを見逃さなかった。
すぐさま、リナスはアドルフに小声で確認した。
「(アド、あの美人なメイドさんは知り合いなの?)」
なぜ小声で話しているのか分からないが、アドルフもリナスに合わせて小声で話しかけた。
「(エリンさんは、ここに来てからいろいろお世話してくれた人だよ。)」
説明になっているようでなっていないアドルフの返事に、今度はアドルフに聞こえない声量で、
「(アドは、やっぱりお姉さんキラーね……)」
と苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「リナスなんか言った?」
「ふん!なんでもないわよ!」
少し不機嫌になったリナスを見て、首を傾げてしまうアドルフたちを置いて、
エリンは今日の目的地について話した。
「本日、皆様をここラパンより北西に位置するカエデという町に案内させて頂きます。
一応こちらは、ミレイナ様にお預け致します」
そう言って、エリンはミレイナに長細い箱を渡した。その大きさから、何を渡されたか誰もが理解した。
軍事国家ジョルダーノの物と思われる特別なエーテルリム。そしてエリンが荷馬車の手綱を握った。
「それでは皆様、向かいましょう」
全員が頷き、荷馬車へと乗り込んだ。
しばらくトラヴィス達が滞在する予定の町の名前である"カエデ"というのは、少し寒い地域に根ざす木の名前だそうだ。
エリンは手綱を握りながら、後の幌に向けてこう続けた。
「わたくしも何度か行ったことがございます。その町の名前にもなっているカエデという木は、とても美しいと評判です。
そのおかげもあり、小さい村から観光の町へと発展したところでもあります。ラパンに滞在する王族や貴族も、お忍びで滞在する方も居るほどです」
アドルフはその話を聞いて、トラヴィスの療養にはとても良い場所に思えた。
「エリンさん、一つ聞きたいんですが、父さんと母さんが滞在する場所では、商いはできるのでしょうか?」
そのアドルフの質問に、ミレイナも顔を上げる。
エリンはその問いに頷く。
「バルナバス様、またダリオン様のご意向もあり、トラヴィス様とミレイナ様には今後ラパンに関わることの情報提供をして頂く上で、
行商ではなく、拠点を持った商いをして頂く予定です。先ほども申し上げた通り、王族や貴族も稀に滞在する町のため、必要な情報も集まりやすいとのことです」
アドルフは、その言葉にほんの少しだけではあるが、ダリオンに対してありがたいと思う一方で、どこか胸の奥に小さなざらつきのような感覚があることに気づいた。
(この考え方はよくないな……。)
すぐに忘れようと顔を少し振りながらも、そんな考えが過ぎった自分に対して少しだけ嫌悪感が湧く。
そして忘れようとエリンに別の話を聞いた。
「エリンさん、そのカエデという町に武器屋もありますか?」
「武器屋ですか? たしか三件ほどあります……。いや二件ですね」
珍しく訂正をしたエリンだったが、アドルフは特に気にしなかった。
ダリオンと南に行く日取りはまだ決まっていないが、これから王子の護衛を務めるのだ。それ相応の武器が要ると思っていたところだった。
今回の護衛任務で、アドルフも有り余る報酬をもらっているため、高価な武具を取り揃えられると思っていた。
そして丸一日かけて荷馬車は走り、既に日は西に沈みかけ、夕方となった時刻に町の影が姿を現した。
【あとがき】
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