表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

03 輸送依頼前夜

  アドルフは、酔いつぶれたガルドとリナスを宿屋まで送り届けたあと、ひとりで荷馬車の整備をしていた。

 すでに夜も更けていたが、トラヴィスの話によれば、明日の依頼は”でかい依頼”らしい。

 

  ある程度荷物がまとまったところで、アドルフは荷台の端に腰掛け、静かに夜空を見上げた。

  

  星が瞬いている。風は涼しく、遠くで馬の鼻息が聞こえる。

 

 (明日から、また旅が始まる。いつも通りのはずなのに……)

 

 今回の依頼も十分に危険だった。魔物に襲われかけたのだ。

それ以上の危険など、そうそう起こるものではない。

 

 けれど、明日の依頼に関しては、根拠はないのに胸の奥がざわついていた。

何かが大きく変わってしまう――。そんな予感が、妙に強く残っていた。

 

 だからこそ、こんな夜中になっても落ち着かず、荷物の整理をしていたのだ。


 ふと、荷台に積んである荷物へ視線を移す。

その目は、一本の剣に吸い寄せられるように向けられた。

 

 (今日こそは……)

 

 アドルフはそっと剣を手に取り、構えてみる。

月明かりに照らされた剣身に、自分の顔がぼんやりと映り込む。

 

 そして、いつものように――手が震え始めた。

 

 体が拒絶しているのか、それとも強烈なトラウマから守ろうとする自衛本能なのか。

理由は分からない。ただ、震えによって剣は地面に落ち、乾いた金属音が夜に響いた。

 

 その音とともに、頭の中に一瞬だけ過去の映像がよぎる。

靄のかかった記憶の中で、確かに自分は剣を握っていた。

 

 (やっぱり昔は、握れてたんだ……)

 

 そして、いつも決まって同じ人物が正面に立っている。

曖昧な記憶の中で、必ずその人だけははっきりと映るのだ。

 

 黒髪の人物――だが、顔には靄がかかっていて、男か女かも分からない。

それでも、ひとつだけ確信があった。根拠はない。けれど、強い確信だった。

 

 この人のことを思い出せば、きっとすべてが繋がる。

 

 (あの人は……誰なんだろう)

 

 その問いは答えのないものだった。けれど、問わずにはいられなかった。

 

 (きっと剣を握れるようになれば……何か思い出せるのかもしれない)

 

 自分が誰なのか。どんな人間だったのか。最近は、以前にも増してよく考えるようになった。

ミレイナとトラヴィスに保護されたとき、アドルフには名前以外、何もなかった。

 

 それでも二人は、行商のこと、この世界のことを、まるで親が子に教えるように教えてくれた。

だからこそ、自分にできることは何でもしたかった。

 

 ガルドから剣の稽古に誘われたときは、本当に嬉しかった。

 

「アドは剣士だったのかもしれねぇな」


 そう言われたとき、胸が熱くなった。

 

 自分にも、誰かを守れる力があるのかもしれない――。そう思えるだけで、救われた気がした。

 

 だからこそ、稽古初日に剣を握って震えてしまった自分が、情けなくて仕方なかった。

育ててくれた二人に、少しでも役立ちたかったからこそ、余計に悔しかった。

 

 けれど、剣を持ったあの瞬間に、アドルフの一部が確かに“還ってきた”のも事実だった。

 

 (魔物に関する膨大な知識……)

 

 誰に、いつ、どうやって教わったのかは分からない。

 

 けれど、それが今、皆の役に立っている。決して記憶を取り戻すことは、悪いことばかりじゃない。

そして、もうひとつ気になることがあった。

 

 いや、正確には気になっていなかったことが、今になって気になり始めていた。

それは、魔法が使えないということ。

 

 アドルフ自身は、特に不自由を感じていなかった。だから最初は、違和感すら覚えなかった。

けれど、行商としてさまざまな地域を巡るうちに、周囲の反応の理由が分かってきた。

 

 誰もがこの腕輪――エーテルリムを使って、簡単な魔法を扱っていた。

貧しい村ですら、数人は身につけているほど普及した魔道具。

 

 充填された魔石があれば、誰でも魔法が使える。それが、この世界の常識だった。

 

 長らく護衛をしているガルドもリナスも、魔法が使えない人間なんて見たことがないと言っていた。

 

 だからこそ、魔法が使えないという事実も、自分という人間を知るための重要な手がかりだと思うようになった。

そんなことを考えていると、荷台の奥からミレイナの声が聞こえた。

  

「アド! 大丈夫かい……?」


 先ほど剣を落とした音が、思った以上に響いてしまったのだろう。

ミレイナが宿舎から出てきて、落ちた剣を拾い上げ、荷台の奥へと押し込んだ。

 

 アドルフは振り返り、少しだけ笑った。

 

「ごめんなさい、ミレイナさん。……もう大丈夫です」


 ミレイナは隣に腰を下ろし、夜空を見上げた。

  

「アド、また剣に触れたのかい……?」


 その言葉に、アドルフはゆっくりと頷いた。

  

「なにか……もうすぐ、なにか分かる気がするんです」


 ミレイナは少し心配そうに目を細めながら、優しく声をかける。

  

「無理するんじゃないよ? トラヴィスも私も、アドに倒れられたら困るからね」

 

「だから……急がなくていいんだよ?」


「……ありがとう、ミレイナさん」

 

「そんな暗い顔しないの! 明日は早いんだから、もう寝なさい」

 

「うん、わかりました。おやすみなさい」

 

 アドルフはミレイナに見送られながら、宿舎へと戻った。

すでに隣の部屋では、ガルドとリナスが眠っているようで、寝息だけが微かに聞こえる。

 

 アドルフは自分の寝床に腰を下ろし、毛布をかけながら、もう一度だけ窓の外を見た。

夜空には、さっきと同じ星が瞬いている。

 

 (きっと、何かが変わる。でも……今は、眠ろう)

 

 胸の奥に残るざわめきは消えなかったが、それでも今は目を閉じるしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ