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02 夢

 酒場での喧騒が落ち着いた後、トラヴィスとミレイナは店を出て、近くの宿の一室に戻っていた。


 アドルフは、酔いつぶれた二人の世話をするため、もう少し酒場に残ると言っていた。

外の夜風は涼しく、先ほどまでの熱気が嘘のように静まり返っている。


 ガルドとリナスには、先ほど依頼の話を伝え終えたばかりだ。

二人とも最初は冗談かと思ったような顔をしていたが、報酬の額を聞いた途端、空気が変わった。


「命がけの仕事ってことだな」


 ガルドは笑っていたが、その目は真剣だった。


「詳細が分からないのは気になるけど……まあ、面白そうじゃない?」


 リナスも軽く受け流していたが、その目にはわずかな警戒の色が見えた。


 その背中を見送ったミレイナは、溜め息をつきながらトラヴィスに向き直る。

二人きりになった部屋の中で、ようやく本音を語る時間が訪れた。


「報酬は……通常の十倍。しかも、半分は前金で支払うって話だ」


 トラヴィスがそう言いながら、少しだけ視線を伏せる。

ミレイナは腕を組み、眉をひそめた。


「そんな報酬、どう考えても怪しいわ。何を運ぶのかも教えないなんて、危険すぎる。


 今回の依頼だって、輸送だったとはいえ通常とは違うルートを指定されたし……あの依頼主、本当に信用していいの?」


 しばらく沈黙が続いた後、トラヴィスがぽつりと口を開いた。


「ああ、確かにミレイナの言う通りだ……だが報酬はちゃんと支払ってくれた。……そして今回の行き先はラパンなんだ。

あの貿易都市ラパン。俺が……いつか店を持ちたいって言ってた場所だよ」


 ミレイナが目を細める。


「……それは知ってる。でも、夢のために命を賭けるの?」


 トラヴィスは、少しだけ笑った。けれどその笑みは、どこか不器用だった。


「俺は……いつも慎重で、無理はしないって言われてきた。自分でもそう思ってる。

でも、今回だけは……違う気がするんだ。この依頼が、俺たちの未来を変えるかもしれないって……そう思ってる」


 ミレイナはしばらく黙っていたが、やがてため息をついた。


「……分かったよ、トラヴィス。受けてもいい。でも、条件がある」


 トラヴィスが驚いたように顔を上げる。


「少しでも危険な兆候があったら、すぐに中止する。何かあったら、即座に撤退。命を優先する。それが絶対条件よ」


 トラヴィスは、ゆっくりと、そして真剣にうなずいた。


「ああ……それは、俺も同じ気持ちだ」


 そしてこの話は終わりとばかりにミレイナの視線は、窓の外を見つめた。

その目に浮かぶのは、かつて失った息子――カイランの面影。


 十歳。何の予兆もなく、突然この世を去った。

あの日から、ミレイナの心は深く沈んだ。

トラヴィスもまた、彼女を支えるためにすべてを変えてくれた。


 店を売り、荷馬車を買い、旅に出た。

傷心旅行のような行商だったが、思いのほか需要は高く、すぐに軌道に乗った。


 そして、ある日訪れた辺境の村が、私たちの人生を変えた。


 その村には、異常な光景が広がっていた。

焼け焦げた地面、氷に閉ざされた家、雷に裂かれた木々。


 強力な魔物に襲われて村が壊滅することは珍しくないが、あれほどの惨状は見たことがなかった。

まるで、いくつもの災厄が一度に襲ったようだった。


 そんな中、かすかな声が聞こえた。

駆け寄ると、一人の子どもが倒れていた。


 息はあったが、今にも消えそうで、トラヴィスと二人で必死に看病したのを覚えている。

何としても助けたい。それは一度母になったミレイナの強い意思だった。


 看病の甲斐あって、その赤髪の少年は、十日間の命の瀬戸際を越えて、ようやく目を覚ました。


ミレイナは少年に、優しく問いかける。


「……自分の名前、分かるかい?」


 少年は、意識がはっきりしていない中でも自分の名前だけは分かった。


「アドルフ……。アドルフ・マーク」


 アドルフは自分の名前以外、何も思い出せなかった。それでもミレイナは、それでいいと思った。

あんな異常な村で起きたことなど、忘れてしまった方がアドルフのためだと感じたからだ。


それからは、トラヴィスとミレイナの“二番目の息子”として迎え入れた。


 あの子を拾って、もう三年が経つ。月日が経つのは早い。

少しずつアドルフに行商人としての仕事を教えた。

今では家族としても、一商人としても欠かせない存在になった。


 アドルフは周囲の子どもたちと比べても、異常なほど呑み込みが早かった。

昔は商人の息子だったのかもしれない――そんな話を、トラヴィスとよくしたものだ。


 そして少しずつ、アドルフのことが分かってきた頃、彼が抱えるトラウマの片鱗も見え始めた。


 ある日、護衛のガルドが、アドルフの体に微細な刃物の傷がいくつも刻まれていることに気づいた。

一瞬、暗い想像もよぎったが、そういうことではなかったらしい。

 

 ガルド曰く、それは鍛錬の跡だという。


 最初は不思議に思えた。アドルフの正確な年齢は分からないが、保護した時は十五歳前後に見えた。

剣の鍛錬をしていてもおかしくはないが、真剣を使うには少し早い気もする。


 それも、ガルドの見立てでは、相当な数をこなしているように見えるという。

そしてガルドは提案してきてくれた。

 

「アドに剣の稽古をしてみてもいいか?」


 山賊にも出くわす危険な職だからこそ、自己防衛は出来るに越したことはない。

もちろんその提案をトラヴィスもミレイナも止めはしなかった。


 そうして何の疑いもなく稽古が始まったが、アドルフが剣を握った瞬間、異変が起きた。

手が震えた。剣を握れないほどの激しい震えだった。


 そして、理由も分からぬまま、アドルフの目には涙がぽたぽたと零れ落ちた。


 何かを思い出したのかもしれない。だが、それはアドルフにとって、良くない記憶だったのだろう。

その光景を見て以来、ミレイナはアドルフに剣を持たせるのをやめさせた。


 そしてその晩から、アドルフは夢に魘されるようになった。

靄のかかった人物が、村を、家族を、炎と氷で滅ぼしていく――そんな悪夢。


 今も時々、魘されている。剣を握ったことが、きっかけになったのは間違いない。

だが、同時に蘇ったのは悪夢だけではなかった。


 それは、魔物に関する記憶だった。

恐怖ではなく、知識として戻ってきたもの。


 今の時代、魔物に関する知識を持つ者はいない。

魔物を識別するための名称も、あってないようなもの。


 魔石を落とす生物は、すべて“魔物”として一括りにされている。


 だが、アドルフは違った。

魔物の固有名、習性、生息地――それらを異常なほど詳しく知っていた。


 まるで、体に染みついているかのように。

必要な時に、膨大な知識の扉が自然と開くような感覚だった。


 今回の依頼で起きた魔物の襲撃も、アドルフの察知がなければ逃げ切れなかったかもしれない。


 本当は、何者だったのか。


 ミレイナは何度も考えた。だが、答えを探すことはしなかった。

心の傷を抉るようなことはしたくなかった。


 あの子だけは、絶対に危険に晒さない。

 

 だからこそ今回の依頼に対して、今までの人生で最大級の警鐘が鳴っている感覚を、ミレイナは無視できなかった。

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