01 次なる依頼
荒れた森道を、荷馬車が軋む音を立てながら進んでいた。
馬の足元には湿った落ち葉が積もり、車輪は泥に沈みながらも、前へ進む。
手綱を握る男の顔には、緊張の色が浮かんでいた。
彼の名はトラヴィス・カーウェル。
荷馬車を操るその手に力を込めながら、正面を向いたまま、隣に腰掛ける女性に声を掛ける。
「ミレイナ、まだ大丈夫そうか……?」
声を掛けられた女性は、彼の妻であるミレイナ・カーウェル。
その声には恐怖と緊張が少し混じっていたが、ミレイナはトラヴィスと正反対の強気な性格だった。
鋭い目で森の奥を睨みながら答える。
「……まだ距離はあるけど、近くなってきてるね。あんたらも、気を抜くんじゃないよ?」
荷台の後方で屈んでいた護衛の二人は、荷台の揺れに身を委ねながらも、手元の武器をしっかりと握っていた。
一人はずっしりとした体躯の男で、その体格には似合わない細身の剣を愛用している。
それはごく一般的な長剣だが、手入れが行き届いており、それだけで優秀な護衛だと分かる。
もう一人は女性だった。女性にしては背が高く、手には弓を握っている。
彼女はいつでも先手を打てるよう、矢を番えたまま森の方を睨んでいた。
数多の死線をくぐり抜けてきた二人でも、緊張のあまり額に汗が滲んでいる。
森の奥から、何かがこちらを見ながら駆けてきている。
遠くの方で枝が揺れ、風が鳴る。
だが、荷馬車はその気配を振り切り、森の出口へと差しかかっていた。
ミレイナは、荷台に腰掛けている赤髪の青年を見ながら、静かに呟いた。
「今回もアドのおかげだね……」
アドと呼ばれている青年の名前はアドルフ・マーク。
どこにでもいる孤児の青年。だが、この世界では珍しい赤髪を持っていた。
「乾杯!!」
木製のジョッキがぶつかり合い、笑い声が飛び交う。
ミレイナは腰に手を当て、満足げに酒をあおった。
「命あっての商売だよ。今日は飲んでもバチは当たらないねぇ!」
その言葉に護衛の二人も掛け合う。
「姐さんの言う通りだ!」
「本当に死ぬかと思ったわ!」
森での逃亡劇と依頼達成の高揚感から、酒が進む。
いかにも護衛らしい体格の男の名はガルド。
スラっとした体つきの女性はリナス。
二人とも、カーウェル夫妻が営む行商の護衛を長年務めている。
護衛任務が終われば解散が常識のこの世界では、珍しい関係性と言えるだろう。
「これもアドのおかげだな!」
ガルドがテーブルの肉に手を伸ばしながら、口を開いた。
その言葉に、リナスも大きく首を縦に振る。
「俺はたいしたことはしてないよ、ガルド」
アドルフは、エールの代わりに果実酒を飲んでいた。苦いのは苦手らしい。
そんな謙遜した態度に、ガルドが絡む。
「突然『魔物が近い!』なんて言ったときは、正直信じちゃいなかったが……」
「姐さんに怒鳴られて馬車に乗り込んで逃げてたら、本当に追われちまったからなぁ。いやぁ、本当にすげぇよ、アドは!」
そう言いながら背中をバシバシと叩き始め、アドルフは口に含んだ果実酒を少し吹き出してしまう。
「ぶふっ……痛いってば!」
「あぁ、わりぃわりぃ。ちょっと力が入っちまった!」
「まぁ俺も山賊が相手だったら、男を見せられたんだが……魔物は専門外だからな!」
「まぁこの世の中、魔物専門の職なんて無いんだけどな! ガハハハッ!」
魔物――。
非常に凶悪な存在で、見た目こそ動物に似ているが、その本質はまったく異なる。
生息域も定かでないが、七支樹がある国の近くでは、滅多に姿を見かけることはない。
その為、魔物への対策もほとんど発展していない。
護衛が身につけるべき能力として、魔物への対処は必要とされていないのが現状だ。
むしろ、野盗や山賊など、魔物よりも遭遇しやすい脅威への対応こそが、護衛としての価値を高める。
魔物に遭遇したら、全力で逃げる――それがこの世界の常識であり、絶対の鉄則だ。
だが、魔物を倒すことには大きなメリットがあると言われている。
魔石と呼ばれる貴重な石を落とすらしい。
その魔石に七支樹から放たれる魔力を込め、専用の魔道具に嵌め込むことで、七支樹固有の魔法を扱えるようになる。
だが、実際に魔石を取れるかどうかも噂話くらいのものだ。魔物を狩るという文化すらない。
この世界では既に出回っている魔石を再利用しているのが現状だろう。
そしてこの店にいる全員の腕には、同じデザインの腕輪が嵌められていた。
中央に魔石を嵌め込めるような形状をした、軽量の魔道具――その名はエーテルリム。
おそらく、どの国でも同じデザインのものが広く流通しているはずだ。
エーテルリムには固有の魔法が一つだけ登録されている。例外もあるとは聞く。
もし異なるデザインのものがあれば、それは大衆向けではなく、戦闘用か貴族向けの高級品に違いない。
アドルフが店内を見渡すと、料理を担当している店員は赤色をした火の魔石を嵌めていた。
おそらく、簡易な火起こしに使っているのだろう。
食事を運ぶウェイトレスたちは、青色をした水の魔石を嵌めている。
皿洗いや飲料用の水の提供など、水に関する作業に使っているのだ。
魔石の魔力は七支樹の近くなら、魔力が供給され続け、実質無制限に魔法を行使できる。皿洗いにも水汲みにも困らない。
そして魔石にも七支樹と同様に特性がある。
火の魔石には火の七支樹からの魔力が最も効率よく充填される。
異なる特性の魔力では充填効率が落ちるため、環境によっては充填に時間がかかる。
けれど、皿洗いやちょっとした飲み水を出す程度のものであれば、充填の時間にそんなに差異はない。
だからこそ、水の魔石は重宝されるため、かなりの数が流通していた。
ウェイトレスたちに視線を向けていたアドルフの前に、突然リナスが割り込んできた。
「なにアド、あの子が気になるの?こんなに美人なお姉さんをほっといて、ひどいわね!」
そう言いながら、彼の首元に抱きついてくる。
酒が回っているのか、リナスの腕に力が入り、首が少し締まって苦しくなる。
「リナスッ!く……!くるしい……!」
首に回された細い腕を何度か叩いて抗議するが、リナスはまったく気にしていない。
「美女が抱きついてるんだから、我慢しなさい!フンだ!」
そう言いながら、もう片方の手でジョッキを煽る。
そこへ、報告を終えたトラヴィスが店に入ってくる。
「お、今日も絡まれてるね。若いうちにいろいろ経験するといいからね」
どうやら、助けに入るつもりはなさそうだ。
だが、ミレイナは違った。
「リナス!あんた、うちのアドに手を出したら、もう雇わないからね!」
「えッ!そんなぁ!でも……じゃあ最後らへんなら……」
その言葉にミレイナの目が鋭くなる。
さすがに冗談が過ぎたと思ったのか、リナスは慌てて訂正する。
「ミレイナ! 今のは半分冗談よぉ!」
「半分……!?」
すごい剣幕で、ミレイナはリナスに睨みを飛ばした。
いつものことだが、ここでようやくトラヴィスが場を収める。
「まぁまぁ、それくらいにして。大事な報酬の話だ」
そう言って、トラヴィスは少し重みを感じる包みをテーブルに二つ置いた。
「こっちがガルド、こっちがリナスの分だ。ちゃんと確認してくれ」
ガルドが包みを手に取ると、その重みだけで今回の仕事が成功だったことが伝わってきた。
「トラヴィス、結構入ってるが……本当にこんなにもらっていいのか? まぁ、こっちは嬉しいんだけどよぉ……」
リナスも酔ってはいるが、金勘定はしっかりしているようだ。
リナスの包みにも、ガルドと同じくらいの報酬が入っていることが容易に想像できた。
「まぁ、いつも世話になってる二人だから特別と言いたいところだけど……今回の依頼の成功で、もっとでかい依頼が来たんだ」
「「でかい依頼……?」」
その言葉に、ミレイナはほんの少しだけ怪訝そうな表情を浮かべた。
トラヴィスは声を潜めて、テーブルに顔を寄せながら依頼の内容を語り始めた。




