25 絵本の悪者
――エルフ。
アドルフには、その名前に聞き覚えがあった。
母が読んでくれた絵本で悪者として登場していた名前だ。
てっきり"エルフ"とは、人の名前かと思っていた。
悪者として登場することだけ覚えている。そしてとても強く描かれているからこそ、その名前を憶えていたのかもしれない。
なぜ強かったかの理由については覚えていない。
けどその"エルフ"というのも体内に魔力を宿していることになる。
「ということはその"エルフ"という人たちも魔法を使えるんですか?」
ドロミンは頷いた。
「うん、そうだよ。彼らも魔法を魔道具無しで扱える。
けど、もう随分とエルフとは会ってないからね。今は正直分からないかな」
辺境の村で育ったアドルフにとっては、ほとんどが未知であり、そのエルフに対しても特に気になることはなかった。
そして至極当然の疑問が、アドルフの頭に浮かぶ。
「ということは、先生もエルフ? なんですか? あと、人にも魔力は宿るんでしょうか?」
その問いにドロミンは腕を組み、顎に手を添えて思案した。
「んー。まず私が"エルフ"かと言われると、それは違うね」
「あと人にも魔力が宿るのかという問いに関しては、半分正解で半分不正解。というかほとんど不正解かな?」
「なるほど……?」
分かったような分かっていないような反応になってしまったが、
どうやらドロミンは"エルフ"ではないらしい。
またドロミンの返答から人間には魔力は宿りにくいということは分かった。
そもそも魔力が宿らないのが当たり前なのかもしれない。
この小さな村では、魔導具無しで魔法を使う人はいない。
帝国などの大都市ならもしかしたら、一人や二人、いやもっとその数はいるのかもしれないけど。
そしてアドルフが考えていそうなことへの回答をドロミンが話し出す。
「私が言えるのは、人間が魔力を持つのは極めて稀だ」
「もしかしたら魔導国家イレインなら、一人くらいいるのかもしれないけどね」
――魔導国家イレイン。
この辺境の村のさらに大きく北に行った場所にある国だ。
とても寒い地域と聞く。
ここを通る商人の中でも魔導国家イレインに行く人は限られる。
だが、魔導国家イレインに向かう商人などは、時期が真夏だとしても、とんでもなく分厚い毛皮を積んでいるのを何回か見たことがある。
それだけでその地域の気候が極寒であると分かる。
今のアドルフにとっては、よく分からないことで、いくらそれについて考えても仕方ないだろう。
そしてドロミンは手を叩く。
「よし! それじゃあ……とりあえずはやってみよう!」
かなり軽い感じで言うドロミンであったが、それはアドルフにとって良いことだ。
(もしかしたら難しく考えすぎていたのかもしれない……)
「はい! お願いします……!」
そして魔法の授業が始まった。
「アド、まずはエーテルリムがどういった物か知っているかい?」
その質問に深い意図はなく、単純な答えを返す。
「魔法が使える道具です」
それにドロミンは頷く。
「そう、そして魔石に魔力があれば、魔法を扱える。そこまでは大丈夫だね?」
それは世界の常識であり、当たり前のことだ。
アドルフは黙ったまま頷き、ドロミンの話を聞いた。
「そしてエーテルリムには、魔法が登録されている。その魔法を発動するのに魔石の魔力を借りているということだね」
「はい。だからこそ、魔法を放つには使用制限もあれば、同じエーテルリムからは決まった魔法しかでません」
そこまで自分で回答したアドルフは何かに引っかかる。
(じゃあどうやって先生は魔法を使っているんだ……?)
アドルフのその顔を見て、ドロミンは見透かしたように答える。
「アドはやっぱり優秀だね。そう、じゃあ私は、ドロミンという者はどうやって魔法を使っているでしょう?」
その問いにアドルフは何も思い浮かばなかった。
理屈は分からないけど、先生は充填された魔石のようなモノだ。
だからあとはエーテルリムの役割だけ果たせばいい。
エーテルリムの役割は、魔法を登録すること。
(そもそもどうやって登録されているんだ?)
アドルフの首が折れるくらい曲がったまま、
考え込んでしまったときにドロミンが話す。
「本来の魔法というのは、こんな道具を使うものじゃないんだよ」
そう言ってアドルフの身に着けているエーテルリムを指差す。
「ましてやこんな石も使わないのが本来の魔法。
そしてその魔法を発動させるのは、その者がどれだけその魔法についてイメージできるかだ」
「イメージですか?」
「うん。イメージ。これに尽きる。私の手から火が出るイメージ」
「足を伝って、周りが凍るイメージ。コップに水が溢れるイメージ」
「これが魔法の正体だね。だからこそ、エーテルリムは魔法の大方のイメージを保存する道具と言える」
イメージを保存する道具。それまでは考えたこともなかった。
ただ火が出せる道具や飲み水が出てくる道具の認識でいた。
そしてドロミンはアドルフからエーテルリムを取り外した。
「最初はエーテルリムでやろうと思ったけど、アドはこっちのほうがいいかもしれない……」
エーテルリムに嵌められた火の魔石のみをアドルフの手に乗せる。
「本来の魔法を扱うのであれば、エーテルリムは必要ない。
むしろ大事なのは魔力なんだよ。魔力さえあればどんなことも叶ってしまう……」
少し俯いたドロミンの表情はアドルフからは見えなかった。顔を上げた頃にはいつもの優しいドロミンがそこにいた。
「よし。これで説明は以上! あとはやってみようか!」
そしてアドルフは左手で火の魔石を握りこむ。
目を閉じて集中する。聞こえるのはドロミンの声のみ。
「アド、魔石から魔力が体に流れ込むのを感じるんだ。光の管が体中にあるイメージだ。
そして、最後には手のひらに集まって火の玉が現れることを想像して」
左手で握り込んだ魔石から、不思議な何かが流れ込むのを感じる。
その瞬間、魔石が淡く光り出した。
それはエーテルリムで魔法を発現させる際に起こることと同じだった。
「そう! その調子!」
ドロミンも興奮していた。
(やっぱりアドなら、大丈夫そうだ。)
そして淡い光が強くなった瞬間、それは起こった。
魔石が眩い光を放った瞬間、音もなく砕け、砂となって指の隙間から零れ落ちた。
その光景にアドルフは驚愕したと同時に、ドロミンに謝った。
「先生! ごめんなさい! やっぱり上手くいきませんでした……」
必死に謝るアドルフに対して、ドロミンは固まっていた。
ドロミンはその砂になった魔石を見つめている。目を見開いたまま固まっている。
そして大粒の涙が、ドロミンの頬を伝った。
近くにいるのに、遠くから声が聞こえるような気分だった。
「せんせ……!……先生!」
「・・・・ッ!」
自分はいつまで固まっていたのだろう。
アドルフの声がようやくドロミンに届く。
「先生! 大丈夫ですか?」
慌てていつも通りに答えるが、涙はまだ頬を伝っていた。
「ごめんねアド。少し驚いちゃってね……」
ドロミンは、溢れんばかりの涙を拭った。
ドロミンを泣かせた原因が自分にあると思ったアドルフはドロミンに謝った。
「先生、ごめんなさい。あんなに詳しく教えてくれたのに……」
「やっぱり魔法は使えなかった。先生の魔石も壊してしまったし……」
落ち込むアドルフにドロミンは首を振る。
「いや、これはアドが悪いんじゃないよ」
「アドはどうやら"特別"みたいだ」
「特別……?」
そしてドロミンはアドルフを抱き寄せた。
咄嗟の事でアドルフも驚く。
「せ、先生どうしたんですか!? もう自分も子供じゃないですよ……?」
少し恥ずかしながらも、抵抗はしない。
ドロミンはアドルフを強く抱きしめ、赤い髪を何度も撫でた。
(赤い髪……もっと早く気づくべきだった……)
本当は心のどこかで、勘づいていたのかもしれない。
けれどまだドロミンは、“アドルフ”以外を探そうとしている。
もう、どこを探しても見つからない。何年待っても、探しても――。
だからこそもう一度、ドロミンは神を呪った。こんな運命にした神を憎んだ。
でも唯一の希望は、救いは、この子ならきっと大丈夫だという確信のみ。
それは、ドロミンの物語が静かに動き出した瞬間。
そして、彼女が最も書き記したくなかった物語の幕開けだった。
「アド、いつか……私を――」
その日、レオフォード帝国の北東に位置する、小さな村が一つ消えた。
生存者は僅か一名。通りすがりの商人によって、一人の青年が保護される。
赤い髪を持つその青年の名は――アドルフ・マーク。
【あとがき】
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