12 最後の護衛
ヴァルクとガルドを残し、荷馬車はひたすら走り続けていた。
リナスは手綱を握りしめ、必死に先ほどの戦場から遠ざかろうとする。
心臓がうるさいほどに脈打ち、手のひらは汗でじっとりと濡れていた。
(心配だけど……ヴァルクもいる。あの人なら、きっと……!)
自分に言い聞かせるように、リナスは唇を噛んだ。
だが、胸の奥に渦巻く不安は、簡単には消えてくれない。
追手の気配は、まだない。
もしかすると、ヴァルクたちが全員倒したのかもしれない。
もう引き返してもいいのかもしれない――そう思った、その時だった。
幌の内側から、ミレイナが顔を出す。
その表情は、青ざめていた。
「馬が二頭、こっちに向かってきてる! ヴァルクとガルドじゃない……!」
その言葉に、リナスの背筋が凍る。
頭の中が一瞬真っ白になり、次の行動を選ぶまでに一拍の間が空いた。
「トラヴィスさん、手綱を代わって! 私が応戦する!」
声が震えていた。だが、今はそれを気にしている余裕はない。
「ああ、分かった!」
トラヴィスに手綱を託し、リナスは愛用の弓を手に取ろうとした――その時。
「伏せて!!」
アドルフが叫ぶ。その声に、リナスの体が反射的に動く。
アドルフはダリオンを荷馬車の床に押し倒し、リナスも咄嗟に身を屈めた。
次の瞬間、幌が破裂音とともに穴だらけになる。
水の魔法――湿った布地がそれを物語っていた。
(騎乗しながら魔法を……!?)
驚愕と恐怖が同時に押し寄せる。そして、荷馬車がぐらりと揺れた。
「トラヴィス!」
ミレイナの叫びが、鋭く響く。
ミレイナが駆け寄ると、トラヴィスの脇腹から血が滲んでいるのが見えた。
それでも彼は、必死に手綱を握り続けている。
「大丈夫だよ……ミレイナたちは、無事かい?」
声はかすれていたが、確かに優しさが込められていた。
「……ああ、みんな無事だよ。だから、もう休んで……」
「……そうか。良かっ……た……」
トラヴィスは、静かに横に倒れた。
「ト……トラヴィスさん!」
穴だらけとなった幌からアドルフも駆け寄る。
「ミレイナさん! トラヴィスさんを止血します!」
「アド、お願い……」
いつも強気なミレイナだが、トラヴィスから流れる血を見て自分でも動揺しているのが分かる。
けれど駆け寄ってきたアドルフの焦った顔を見て、母である自分が今は何をすべきか理解する。
(私が守らないと……)
ミレイナはトラヴィスから渡された手綱を強く握りなおす。
アドルフがトラヴィスを荷馬車の中へ運び入れた。
揺れる車体の中で、腹部を清潔な布で強く圧迫する。血が滲み出し、アドルフの額にも汗が垂れる。
(止めなきゃ……!)
涙をこらえながら、布を交換し続けるアドルフの姿に、ダリオンも何か手伝えないか訴えている。
ダリオンも気が気ではないのだ。
依頼主と護衛という立場ではあるが、一緒にここまで旅をしてきた一員であることには変わりはない。
一方、リナスは荷馬車の後方へ移動し、姿勢を整える。
穴だらけの幌の隙間から、矢じりをわずかに覗かせ息を整える。
(落ち着いて……狙って……)
そして、一射。
矢はまっすぐ追手の一人に向かうが、相手は剣でそれを弾き落とした。
「な……!」
その光景に、リナスの背筋が凍る。
(ただの追手じゃない……戦い慣れてる……!)
リナスは再び弓を番え、今度は"足"を狙って放つ。
矢が命中し、馬が暴れて追手の一人が落馬した。
(あと一人……!)
味方がやられたのを見て、もう一人は少し距離を置いた。
すかさず、けん制の為に矢を何本も射る。徐々に追手との距離が開いていく。
そしてリナスは呼吸に時間を掛ける。
それは次の一矢を絶対に外さないためだ。
より遠くなった距離を射るために、ゆっくりと一定の早さで弦を引き始めた。
それは本来、長弓で行う技法だ。
弦がこれ以上張れないところまでいくと、その姿勢のまま自分と相手を真っすぐに結ぶ。
(今ッ!)
先ほどのけん制で射ていた矢とは違い、その矢は空気の膜を切り裂いて真っすぐに飛んでいく。
その矢は追手の鎧ごと貫いた。
その間にもアドルフとダリオンが、トラヴィスを止血しようと試みるが、一向に血は止まらない。
布はすぐに赤く染まり、交換しても交換しても、血が滲み出てくる。
アドルフの顔には焦りが滲み、ダリオンも唇を噛みしめていた。
そして、止まらない血を見て、何かを思い出したかのようにダリオンが思い切った提案をする。
「アド……。恐らくこのままじゃ、出血でトラヴィスさんはもたない……」
その言葉に、アドルフはとても苦しそうに頷いた。
だからこそ、ダリオンは続ける。
「だから、傷口を焼いて止血するしかないと思う」
ダリオンは自身のエーテルリムを見ながら言った。
「焼く……?」
アドルフが目を見開く。
だが、ダリオンはあくまで冷静に伝えた。
「昔、ヴァルクが教えてくれたんだ。出血がひどい兵士が前線で生き延びるために、剣を熱し、傷口を焼いて止血したって……」
それはアドルフたちには知られないような、極めて危険で緊急性のある処置だった。
だが、今はその“極めて危険な状態”であることを、アドルフにも理解できた。
そして何より、“ヴァルクが教えた”という事実が、アドルフにとっては確かな安心材料だった。
「ダリオン……お願い。トラヴィスさんを助けて!」
ダリオンは力強く頷く。
「アド、しっかりとトラヴィスさんを押さえておいてくれ。いくら気を失っているからと言っても、相当な痛みのはずだ。
動かれたら、それこそ出血もひどくなる……」
アドルフは力強く頷き、トラヴィスの身体を固定した。そしてダリオンに大きく頷いた。
ダリオンは荷馬車の床に転がっていた短剣を手に取り、意識をエーテルリムに集中する。
やがて魔石が赤く光り出し、ダリオンの手のひらに火が生み出された。
その火は、赤から紫、そして青へと滑らかに色を変えながら、まるで意志を持つかのように短剣の刃を包み込んだ。
やがて、刃が鈍く赤く染まり、焦げる金属の匂いが立ち上る。
「……いくよ」
ダリオンが小さく呟き、赤熱した刃をトラヴィスの傷口へと近づける。
その瞬間、焦げる肉の匂いが鼻を突き、ジュッという音が耳に焼き付いた。
トラヴィスの体がびくりと跳ねる。
意識はないはずなのに、痛みが神経を突き抜けたのだろう。
アドルフはその動きに驚きながらも、さらに力を込めて押さえつけた。
ミレイナは手綱に集中していたが、耳に届いた音に一瞬だけ顔をしかめた。
それでも、彼女は振り返らない。今は走り続けることが、彼らを守る唯一の手段だった。
「……終わった」
ダリオンが火を収めると、アドルフはすぐに冷たい水を染み込ませた布を傷口の周囲に当てた。
そしてなるべく綺麗な布で、すぐにトラヴィスの身体を巻き始める。
焼灼された傷口は、血の流れを止めていたが、皮膚は赤黒く変色し、痛々しい。
「上手くいった……」
アドルフの声は震えていた。
そしてすぐにトラヴィスの顔に近づき、呼吸を確認する。
トラヴィスの呼吸は、とても浅かったが、だが確かに続いている。
「ダリオン……ありがとう!」
そして応戦していたリナスがミレイナの方へと寄る。
「ミレイナ! 追手の足は止めたわ! 今はこちらからは見えない! 一旦荷馬車を止めて、トラヴィスを休ませましょう!」
「えぇ……」
荷馬車が止まり、荒れた呼吸の中にわずかな安堵が広がる。
だが、その安息は長くは続かない。
遠く離れた丘の向こう、二人の人影が静かにこちらへと向かっていた。
その気配に、まだ誰も気づいていない。
【あとがき】
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