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何かの準備

「このところ、イルムガルトさんはとんと部屋からお出にならないようだが……」


 家令のベルナーは、手元の帳簿から目を上げ、深い溜息とともに呟いた。主の居ぬ館の静寂を守るのが彼の役目だが、客人のあまりの静まりかえりようは、かえって胸に騒がしい予感を呼び起こす。


 傍らに控えていた女中頭のクラウゼが、静かに茶を注ぎ足しながら応じた。


「ええ。身の回りの世話をしている小間使いの話では、何やら絵とも図ともつかぬものを、一心に書きつけておられるとか」


「絵、だと?」


「なんでも、結界を強化するための魔法陣であるそうです。ただ筆を走らせるのではなく、その一筆、その一点にまで、ご自身の魔力を練り込み、封じ込めてゆく……。それゆえ、並大抵の体力では持たぬ作業なのだと、そう仰っていたようです」


 ベルナーは眉根を寄せ、窓の外の暮れなずむ庭に視線をやった。魔力を編むということは、己の身を削り、精霊の脈動に触れるということだ。その過酷さは、並の者には想像もつかぬだろう。


「……そういえば、クララ様は最近、随分とよくお休みになられているようだが」


 その言葉に、クラウゼの唇がわずかに綻んだ。


「そのことですが、リーゼに聞いた話では、イルムガルトさんから贈られた『お守り』を、肌身離さず身に着けておいでだとか。それがあれば、泥に沈むような深い眠りにつけるのだと、クララ様ご自身も喜んでおられるようです」


「そうか。お嬢様が、寝所にまで不安な気持ちを持ち込まなくなったというのは、何よりのことだ」


「本当に。もっと早くに、イルムガルトさんにお守りを作っていただけばよかったですわ」


 クラウゼの言葉は、安堵と、少しばかりの悔恨を孕んで響いた。


 風が、森の香りを運んでくる。見えない力で編まれた守護の糸が、この屋敷を、そして幼き主の夢を、静かに包み込んでいるようだった。


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