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お守り

 昼の光が白く降り注ぐ時間になっても、私の身体にこびりついた夜の冷えは消えなかった。

 重い瞼を引きずるようにして過ごしていると、部屋の扉が静かに開き、イルムガルト先生が姿を見せた。


「昨夜も、眠れなかったそうですね」


 その声は、乾いた砂に水が染み込むような、落ち着いた響きを帯びていた。

 私は力なく頷き、窓の外に広がる深い緑の天蓋を仰いだ。


「はい……。森から呼ばれているような気がして、一晩中、布団の中で小鹿のように丸まって震えておりました。あの闇の奥から、無数の手が伸びてくるような心地がして」


 先生は私のそばに歩み寄り、その涼やかな眼差しで私をじっと見つめた。彼女の纏う空気は、不思議と森のざわめきを遮断してくれる。


「それは、難儀をなさいましたね。……ところで、クララ様。ひとつ伺ってもよろしいですか。なぜ、あなたは私を『先生』と呼ぶのですか? 屋敷の他の者たちは、皆、私を『さん』付けで呼びますが」


 唐突な問いだった。私は少し考え、胸の奥にある、言葉にならない感覚をなぞってみる。


「なぜでしょう……。ただ、なんとなく。あなたに教えを請うているような、守られているような、そんな響きが私には一番しっくりくるのです」


「さようですか。しっくりくる、というのは、この世のことわりにおいては何よりも確かな指針となるものです」


 先生はわずかに口角を上げると、懐からひとつの包みを取り出した。

 中から現れたのは、古びた革紐に通された、鈍い光を放つ小さな石の守りだった。表面には見たこともない複雑な紋様が刻まれ、触れずとも、そこから微かな、だが強靭な熱が放たれているのがわかる。


「今日はこれをお持ちしました。森が騒がしい夜、これを首から下げてお休みください。あのざわめきを完全に消すことはできずとも、あなたの魂を繋ぎ止める『錨』にはなってくれるはずです」


 私はその守りを両手で受け取った。石は驚くほど重く、そして冷たかった。


「……先生。先生は、あの森に潜んでいるものの正体をご存じなのですか?」


 私の問いに、先生はすぐには答えなかった。ただ、窓の外で風に揺れる梢を、まるで遠い異国の文字を読むような目で見つめている。


「正体、と言われると難しい。それは名前のある魔物というよりは、この土地が溜め込んできた記憶のようなもの。私にもその『気配』は感じられますが、それが何を求めているのかまでは分かりません」


「今から、この守りを掛けてもいいですか?」


 焦燥に駆られて聞き返した私に、先生がわずかに眉を寄せた。


「今も、何か感じていらっしゃるのですか」


「はい。足先が痺れるような……土の下から何かに指先を掴まれているような、そんな感覚が消えないのです」


 その言葉を聞いた瞬間、先生の瞳の奥に、鋭い光が宿った。


「そうですか。……あまり、猶予はないかもしれませんね」


「猶予?」


 聞き返したが、先生はそれには答えず、私の首に守りを掛けるのを手伝ってくれた。お守りの革紐が肌に触れた瞬間、足先の痺れが、引潮のようにわずかずつ遠のいていく。


「いえ、こちらの話です。クララ様、その守りを決して離さぬよう。今夜からは、お休みになるときでも肌身離

 さずお付けください」


 先生の言葉は、祈りのようでもあり、あるいは迫りくる嵐を告げる警告のようにも聞こえた。


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