契りの残響
森の入り口で、イルムガルトは歩みを止め、懐から一つの首飾りを取り出した。
鈍い銀色を放つその薄板には、深く、複雑な曲線が刻まれている。森の精霊の守護を象徴する、古き「徴」であった。
「クララ様、このペンダントを。……何があっても、これを身から離してはなりません。これが貴女様の魂を繋ぎ止める、最後の楔となるはずですから」
その声の重さに、クララは小さく頷いた。
「イルムガルト、ありがとう。心強いわ」
「さあ、クララ。行こう。僕が必ずお前を守る」
ルーカスが妹の肩を抱くようにして、一行は森の深奥へと足を踏み入れた。
頭上を覆う巨木の葉が、日の光を断ち切る。足元には湿った苔が広がり、一歩進むごとに、この世の理から切り離されていくような静寂が深まっていく。
やがて、木々の隙間に、不自然なほどぽっかりと開けた空間が現れた。その中央に、古びた石造りの祠が、うずくまる獣のように鎮座していた。
「……これが、祠。なんて小さくて、寂しい場所なのかしら」
クララは吐息とともに呟いた。五百年の歳月を、この小さな箱の中で過ごしてきた者の孤独を思い、彼女の胸は疼くように痛んだ。
「そうか。お前にとっては、これが初めて見る祠なのだな」
「ええ。今までは、お父様に森へ入ることを厳しく禁じられておりましたもの。……実はね、昨日の夢でも、ニックス様は『森は危ない、来てはいけない』と仰っていたのですよ。でも、お兄様とイルムガルトさんが同行してくださると伝えたら、ようやくお許しくださったの」
ルーカスとイルムガルトは、一瞬、凍りついたように顔を見合わせた。
精霊が「許した」のではない。同行者が魔法の使い手であると知り、あえて引き入れたのではないか――そんな暗い予感が二人の背筋を走る。
「……この祠には、小さな扉がついているのですね。この奥に、あの方は……」
クララが吸い寄せられるように、祠へと一歩踏み出す。
「クララ、触れてはいけない!」
ルーカスの鋭い制止の声が飛んだ。
だが、その時すでに、クララの指先は冷たい石の肌に触れていた。
(――ニックス……。もう、独りぼっちでいなくていいのよ)
彼女の心に灯ったその無垢な想いが、指先を通じて封印の奥底へと染み込んでいく。
その瞬間だった。
周囲の空気が不自然に歪み、突風が吹いたわけでもないのに、そこにいた全員の「内側」を、冷たい風が吹き抜けていった。
ヒュー、と。
鼓膜を突き刺すような、鋭く、それでいてどこか哀切を帯びた「葦笛」の音が響き渡る。
それはこの世の楽器が奏でる音色ではない。精霊が五百年の沈黙を破り、解き放たれた瞬間の、産声にも似た叫びであった。
石の扉に触れたクララの小さな手のひらから、淡い青い光が、波紋のように森へと広がっていった。




