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守護天使の悲しみ

 フリーダム号のおかげで、レメディオスとアマランタは、少し早く来ることができた。レメディオスがカルディに近づいた。


「カルディ、あなたはパパとの約束を果たしてくれた。もう自由よ。これからは世界中があなたのやさしさを必要としてる」


 カルディは無言で俯いた。

 レメディオスは、石化したカルディの頬に手を触れた。


「もういいの、あなたはわたしに尽くす必要はないのよ。だから……」


 イシグロの首の鍵が熱を帯びた。

 暗い空間に錆た檻が現れた。

 やがて檻の扉が自然に開いた。

 二人は気づいた。レメディオスが何か言いかけるのを、アマランタが髪を撫でてやめさせた。カルディはイシグロを見た。


「同性でも惚れ惚れする姿だな」

「あなたはロベルトの弟子だね。ロベルトの匂いがする。僕は煤けたのか」

「どうかな。何にしても自分を変えられるんだ」

「僕はライアンからレメディオスのことを頼まれた。でも彼女に拒否された」

「おまえのためだ」

「僕のために?」

「そうだ。レメディオスもロベルトもおまえが穢れないようにしたいんじゃない。己の翼で飛ぶんだ」

「己の翼……」

「おまえは放たれた」

「そうだな。もし赦されるなら、またいつか、レメディオス様、あなたにお仕えしとうございます」


 カルディはうやうやしく答えると、みずから錆びた檻へと入った。イシグロは扉を閉めた。互いに見つめた。こいつはライアンとの約束しか考えていない。もし暴れられれば止める自信はない。

 鍵をかけた。

 セラが聞こえないように安堵にも似た溜息を吐いた。


「アマランタ、レメディオス、ここからは人でないものたちの話になる。申し訳ないが上て待っていてくれないか。ロイロット伯爵夫人が迎えてくれる。俺も後でココアが飲みたいと伝えてくれ。今夜は遅いがママも許してくれる」

「レメディオスはわかるわ。でも……」

「これからレメディオスと一緒に人として幸せに暮らすんだ」

「あなたも人の姿をしてるわ。一緒に行くこともできる。なぜなの?」

「俺はここに出ていない」


 イシグロは小説を見せた。はなっからアマランタにもレメディオスにも見えない存在として駆け抜けた。

 イシグロは、アマランタが屋敷の一階へ通じる階段を上げるのを見ていた。階段の足音が消え、鎧戸に鍵をかけた音がした。

 イシグロは伯爵を見た。


「貴様、私に刃向かうとはな。たかだかアマランタと小娘のためにすべて敵に?」

「そうだよ」


 拳銃に弾を込めると、伯爵は仕込み銃の引き金を引いた。


「残念。ハズレだ。他に話したいことがあるんなら聞いてやる。これはサービスだ」

「私も暗黒街で生き抜いてきた。何度も命を狙われたが死んでいない。なぜかわかるか?」


 イシグロは煙草に火をつけた。


「私には守護天使が就いている」


 セラが深い溜息を吐き、イシグロは粗末な椅子を引き出して、腰を掛けると、悠々と足を組んだ。

 煙草をくわえたまま話した。


「ウォルターハウスの守護天使はライアンの娘が継いでいたんだ」

 

 イシグロは何とはなしに小説に目を通した。灰が落ちた。

 

「これまでおまえが人を不幸にして好きなことをして、なおかつ死なずに済んだのはカルディのおかげなわけだが、戦地に赴く前にライアンは、すべての権利をレメディオスに譲渡した」


 ポケットからロベルトに預けられた弾丸の付いた弾を取り出した。これはカルディのために渡された弾丸だ。しかし使わずに済んだのは不幸中の幸いだった。


「おまえや前妻、妹のソフィアに渡さないためにだ。そしてレメディオスは今、契約を解除した。ここで見ていただろ?」

「私がカルディに命じたんだ。新しい世界を支配しようとな。奴は承諾した」

「天使も天秤にかける。ライアンを信じたんだよ」


 イシグロは伯爵に銃口を向けた。


「このとっておきの弾丸も使わずに済んだんだ。カルディは理解してくれた。これからは天使どもで話し合うんだろうな」

「私を殺せば貴様はずっと追われることになるんだぞ。私と組まないか」

「いらん」


 イシグロは引き金を引いた。ブレンディア伯爵の頭が、小説ごと吹き飛ばされた。洞窟の壁に打ち付けられ、紙の破片が散らばった。


「セラ、カルディはどうなるんだ」

「わからないわ」

「そうか」


 後日、アマランタとレメディオスは「神に祝福された土地」へと旅立った。

 春になると、ブレンディアの屋敷の薔薇が咲いた。イシグロは六角形の屋根の下、ウイスキーのグラスを片手にくつろいでいた。テーブルの上には紫の弾丸がある。


「カルディはどうなる」

「天使のことは私にはわからん」

「カネは?」

「稼いだカネは新しい薔薇の種と肥料代に消える」


 ロベルトは、エプロンについた泥を払い落とすと、薔薇の庭を惚れ惚れと見つめていた。


「おまえも行けばよかったのに」

「行く理由がない。向こうは神に祝福された地だろ。俺なんて出る幕はない。それにレメディオスもアマランタも今の人生を生きるべきだ」

「前世の記憶を消したのか?」

「セラがしてくれた。レベッカとミランはセラが鍛えるらしい。レメディオスとアマランタは、きっと幸せになれるさ」

 

 イシグロは空っぽになったショットグラスにウイスキーを注いだ。琥珀色の液体を青空にかざした。


「で、おまえはこれからどうする」

「考えてない。俺にはこの青空は眩しすぎる。ウイスキーを通したくらいが丁度いい。あんたはどうするんだ?」

「これまでと変わらんさ。ここで薔薇の世話をする。まさか待ち続けるのか?」

「いずれ会える日が来るさ」

「おまえは底抜けのロマンティストだ」


 これからも人々は、ときどき天使の存在を聖なる使いとして思い出した。いつしか天使たちは人々の心に棲むことに成功したのだ。死神は忌み嫌われた。皆、遠ざけようと必死だ。ムダなことを……と思う。

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