長いお別れ
二度の世界的な戦争の後、数十回数百回の殺し合いが起きた。今でも世界のどこかで誰かが理不尽に死んでいる。その間、都市は発展した。馬車はガソリンで走る自動車と姿を変え、ぬかるみの道はアスファルトで埋められ、ビル全体には眩しいガラスがはめ込まれ、すでに列車からは煙が消えて、青空にはプロペラのない飛行機が飛んだ。船は相変わらず船だが。人々はよく整えられた芝生の上で日光浴をしていた。かつては地方から出てきた宿無しで埋め尽くされていたのが、いつの頃からか姿を消した。イシグロは今も生臭い川沿いのベンチで、新聞を読んだ。
ヘレン・ロイロット伯爵死去
享年103歳。郊外のヘレン・ロイロット記念病院にて心不全のために死去する。
女性の権利のために尽力する。
著書多数。
結構な枠を割いて、政治家、経営者、女性の権利のために活動した波乱万丈の人生がつづられていた。数々の慈善活動を通じて世界へ平和を発信した偉人とも。
イシグロには気の強い、お転婆娘をそのまま婆さんにした人でしかなかった。あれからずっと付き合いが続いた。死神として消える術も持った後も彼女とは普通に話した。
葬儀はロイロット家発祥地に建てられ、今は寄付された公会堂で催されるとのことだ。
「別れか……」
イシグロは新聞を小脇にして、川沿いを歩いた。偲ぶ人々の中、公会堂に体をねじ込むように入ると、最後尾の隅の椅子に腰を掛けた。エントラスでは、葬儀に訪れた著名人が、カメラマンと新聞記者を前にして悔みを口にし、プラチナに近い色をした長い髪の女性が記者に囲まれて答えた。
「ホテル王クルーナ伯爵夫人、ロイロット伯爵についてお聞かせください」
「わたしでよろしければ。彼女はわたしたちを導いてくれました。これからもずっとそうしてくれると思います。わたしには祖母のような存在でした。強く、厳しく、やさしい」
「最後に会われたのは?」
「今朝です」
「死神伯爵と呼ばれていたことには?」
「だって死神とお友だちでしたもの」
初老の彼女は笑うと、優雅な立ち振る舞いで人混みを避けて隣に腰を掛けた。
「昔のままね」
「覚えてくれてるのか」
「忘れるもんですか。今も姿は消せないの?」
「もう消せるが……消えてると探してもらえない。だから今は人として暮らしてる。面倒なことも多いが」
「ロベルト、元気なの?」
「世界のどこかで薔薇を育ててる。どの世界かはわからない。フリーダム号もどこにいるんだか。奴は生来の楽天主義者だ。今頃どこかで若い子を乗せてる」
「わたしじゃ不満だったのかしら。ママは三年前に他界したのよ」
「初耳だ。彼女は幸せだったか?」
「きっと。機嫌よくなると、すぐにあなたのこと話してた。わたしもだけど」
「記憶は消されてないのか」
イシグロは、ロベルトからもらったシガレットケースから煙草を出した。紙の上から匂いを嗅ぎながら昔を思い出した。セラに、あなたの記憶を消させるくらいなら、この場で死ぬと話したという。
「そりゃ脅しだ」
「渋々だけど応じてくれたわ。他言しないこと。言われたけど、あなたなら話していいわね。おかげでわたしたちは強く生きてこられた」
「君たちが強かったんだよ。それにそっちは神に祝福されし国だろ?」
「そんなものはないわ」
喪服の紳士が現れた。ハルトだ。歳を重ねたが、どこかしら面影がある。後ろにはレメディオスに似た二人の妙齢の女性はどこかアマランタとマリアに似ていた。
「娘よ、こちらは孫もいるわ」
レメディオスはハルトに向いた。
「あなたも覚えてる?わたしが誘拐された夜のこと」
ハルトは目尻に皺を寄せた。
「あぁ、忘れん。変わらないね」
「レメディオスをかどわかすことを知っていたら撃っていたよ」
イシグロは冗談で答えた。
「それでも奪いましたよ」
「弱っちいくせに」
苦笑したハルトは、キリッと表情を変えてイシグロに力強い握手をしてきた。
「今あるのはあなたのおかげです」
「かんばった者の手だ」
「恐縮です」
レメディオスはイシグロに娘と孫を紹介してくれた。孫は娘にならい、ちょこんと礼のマネをしてくれた。娘はまさか死神が本当にいるの?と驚いていた。イシグロは少しほほ笑んで会釈で返した。
「レメディオス、ゆっくり話して。僕は娘たち夫人に挨拶してくる」
彼は二人の娘と娘婿を連れて人混みに消えた。イシグロは幸せなんだろうなと思いながら、彼らの背を眺めていた。
「煙草はやめてないのね。こんなおばさんになっても、あの頃を思い出して落ち着くのよね。まだセラとは仲良く?」
「ここ五十年くらい会ってない。彼女はあちこち忙しいんだろうな」
「浮気はしてないのね」
後ろから首に抱きついてきた。
マリアだ。
「ようやく会えたわ」
「コミカライズ版の作者を信じていてよかったよ」
「わたしも」
「課金すればよかったんだ」
おわり




