第38話 ロザリアの違和感
リーズリットの屋敷には、家主にしか扱えない【秘密の結界】があるらしい。
カイから聞いた『護衛がいなくても良い理由』とは、こんな感じの話だった。
魔術に詳しくない騎士からすれば信じがたい話ではあるが、この屋敷が周囲と比べて『古い』ことが納得できる理由になったようだ。
元々リーズリット家は貴族でなく神官――つまり魔術師の家系だ。
現在はそれこそルキアにぐらいしか才能が発現しなかったようだが、昔は魔術師が本職の者のほうが多いほど、そちらに精通した家だった。
そして、その当時の人間が残した『切り札』が、カイが聞いた秘密の結界とやらなのだろう。
この少々古い屋敷を建て直したりしないのも、それが『屋敷そのものにかけられた魔術』であり『屋敷を壊せばもう戻せない』――建て直さないのでなく“できなかった”と考えれば、カイにもその価値が信じられたということだ。
「オレは魔術に詳しくないからわかんないけどさ、あと一時間ぐらい『リーズリットの血筋の人間』以外は屋敷に入れないみたいだぜ。発動前から中に居ればいいみたいだけど、出ちゃったからもう入れないな」
「……なるほど。結界はわからないが、魔術は発動してると思う」
「お、さすがだな」
詳細こそ掴めないが、ルキアの自宅同様“魔術があること”だけは感知できるレンが、屋敷を見上げて首肯する。
その様子にカイも安堵の笑みを返す――もちろん、二人共に赤髑髏と剣を交えながら、だ。
カイが加勢してからの戦況は、もはや圧倒的だった。
元々剣の腕自体は、レン一人にも敵わないほど差があったのだ。それを賊たちは、数で押して足止めしていた。
しかし、カイが加わったことでそれも効かなくなり、ちょうど話が終わったところで最後の一人が叩き伏せられる。
賊と呼ぶには勿体ない男も多かったが、所詮はならずもの。日々鍛錬を欠かさない現役の騎士には到底及ぶべくもなかった。
「よし、終わりっと。なんか縛るものがあるといいんだが、ないよな?」
「俺は持っていない。気絶させればしばらくは……」
地に伏す賊たちを一通り眺め、まだ動けそうな者に追撃を入れようとして――しかし、レンの視線は一人の男を捉えて止まった。
「レン? どうした?」
「……あいつ」
不審に思ったカイも、視線の先へ目を向ける。
そこにはよろよろと身を起こそうとする男が一人。震える手で剣を持ち上げようとしては失敗し、地面を削る音を響かせている。
……動き自体は別段おかしくない。届かずともあがこうとするのは、今回の場合勇気ある行動と褒めてもいいだろう。――肩を脱臼している彼では、剣が持ち上げることは決してないだろうが。
レンが目をとめたのは、男の動きでなく様子に対してだ。
脱臼にはもちろん痛みを伴う。無理に動かそうとすれば、かなりの激痛のはずだ。
……しかし、男は肩をかばう様子がなく、痛がっている素振りもなければ、それに耐えているようにも見えない。それどころか……
「あー……ア、ぁ……」
「……なんだよ、あれ」
はたして、この男は“正気”なのだろうか。
淀んだ目は焦点があっておらず、開かれたままの口からは不気味な音が涎とともにこぼれ落ちる。
剣を持ち上げようとしているのも、戦うためなどではなく、無意識の行動なのだろう。まともな思考ができるのなら、脱臼していないもう片方の腕に持ち替えるはずだ。
声と共にずりずりと無意味な音が広い庭に響いていく。
異様な事態に二人は目くばせを交わし、いつでも動けるよう身構える。
しかし、残念ながら次に続いたのは、またもまともな戦闘の音ではなかった。
「あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
一人目のすぐ隣から聞えてきたのは、叫ぶようなけたたましい笑い声。
仰向けに転がったままの二人目の男は、レンとカイの放つ殺気もお構いなく、ただひたすらに笑っている。
何に対して笑っているのか、何が面白いのか、きっと本人もわかっていないのだろう。空を見上げる目はひどく濁っており、何も映していないのだから。
「おいおい、マジかよ……」
頬をひくつかせ嫌悪感を表すカイに、しかし賊たちの異変は続く。
次に動いた男は一見まともに見えたが、急に膝を抱えて俯き、耳を押さえながら激しい否定の動作を始めた。
その隣の男は誰かをひどく罵倒している――が、そのほとんどが言葉になっていない。
異常は連鎖するように広がり、ついには気絶していないほとんどの男たちが動き始めた。
笑い、泣き、叫ぶそれらに規則性はなく、それぞれ負傷しているにも関わらず、何かを求めて奇妙な動きを激化させていく。
思わずあっけにとられてしまった二人だったが――ふと、ある予想が頭を過ぎり、同時に顔を見合わせた。
制御できない行動、幻聴や幻覚と思しき反応、よく見れば男たちの目は充血し、顔色もあまりよくない。賊が健康的なはずもないが、それでも少々病的だ。
そして、気絶していない者……多くはレンやカイが“手練”だと思った男たちだ。
「なんてこった……クスリかよ」
呆れと戸惑いが半々のカイの呟きに、レンも眉をしかめて頷く。
クスリ、つまりは『麻薬』だ。
中毒性ばかりが取り沙汰されるものだが、もちろん“利点”はある。それを使っている間は他にはない爽快感や快感を得られたり、脳が冴えて思わぬ発想ができたり。
今回の場合は、動きを強化させる効果が出ていたのだろう。騎士のレンから見ても、確かに彼らは手練であった。……残念ながら、時限性の不正強化だったようだが。
しかし、彼らが麻薬に手を出すという状況は、どうにも違和感を覚える。
賊が麻薬を取り扱うこと自体はよくある話だが、それはあくまで資金源。
金のために扱うのであって、売人……それも、今回戦った幹部のような者たちが、商品に手を出すことはほとんどないはずだ。
だとしたら、何故彼らは中毒症状が出るほどに、麻薬を使っていたのか――――
「――――ロザリア、か?」
ふと、レンが呟いたその名に、二人の背筋を悪寒が駆け抜けた。
そう、あのか弱い令嬢が、大規模の賊を従えられる理由。
これにも違和感を覚えながら、レンもカイもずっとそれを後回しにしていたのだ。
ロザリアはこの地で一番力のある貴族の娘だ。きっと賊が従いたくなるような膨大な依頼金を用意していたのだろうと、そんな適当な予想をつけて放置していた。
……冷静になれば、そんなことはありえない。
先のルキアを痛めつける程度の依頼なら金で解決できるだろうが、今日のこれは絶対に無理だ。
たかが小娘の依頼に、幹部たちが従うはずがない。それも、時間は明るい昼間。場所は領主の屋敷。出向いたロザリアのほうが殺されていてもおかしくない話だ。
だが、彼らがずる賢い賊幹部でなく、“クスリ漬けの人間”なら話は別だ。
クスリのためなら何でもする。そういう狂った人間を、騎士たちも今まで沢山見てきて知っている。
もちろん殺人も――元から抵抗のない賊ならなおさらだ。ロザリアの依頼にも簡単に頷いて、今日この場に来たのだろう。
「……完全にオレたちの失敗だ」
カイの沈んだ呟きが落ちる。
カイにとってロザリア・リーズリットは『とるにたらない令嬢』だった。
初日のぎこちない所作に始まり、自分勝手な振る舞いと長時間の茶会。甘やかされたワガママな令嬢であり、もし何かされてもすぐに対処できると思っていた。
レンもまた、カイに対する勝手な振る舞いを知っている。雨の中で聞いた賊の『小物』発言からも、赤髑髏側も金ヅルとしてしか見ていないと思っていた。
ルキアが川に落とされた件さえも、賊が勝手にしたことだと決め付けていたのだ。
ロザリアがルキアを傷つけようとしている。二人はそう確かに知っていたはずなのに、姿が見えなくても特に警戒したりしなかった。
“ロザリアにできることなど、たかが知れている”と。
「慢心、だな」
――もしかしたら、二人の知っているロザリアこそが『演技』なのだと、一度でも疑っただろうか。
あの川の一件……ルキアの命に関わったあれが、ロザリアが提案した作戦なのだとしたら?
賊に依頼をしたのがロザリアなら、どうやって使用人を欺いて一人で外へ出たのか?
今目の前に転がっている彼らを、中毒にした麻薬はどこから? どうやって? この屋敷へはどこから入った?
一つ気付いてしまえば、それは到底『か弱い令嬢』の所業ではない。
そもそも彼女は、たった一人で夜闇を駆けていた賞金稼ぎのルキアと“元は一人だった”双子の姉妹だ。普通の令嬢であるはずがなかったのだ。
「……ルキアのところへ行かないと」
ようやく思考から戻った二人は、頷きあって走り出す。
中毒中の賊たちも気になるが、彼らは動き回れないようにどこかしら負傷させている。門さえ閉じておけば、外へ出ることはできないだろう。
杞憂であって欲しい。そう願う二人の心とは裏腹に、美しかった青空は濃い雲に覆われ始めていた。




