第2話 私、迷子。
「……わぁ、賑やかだなぁあ」
街の噴水の前で、少女はしゃがみ込んでいる。少し空な目で周囲を見渡しながら、賑やかな音を聴いている。
噴水の広場、そこはこの国の小商業者にとっての出店市である。市政に許可をとり身元が確かであれば誰でも商いに参加できる。ギルドや商国といったガチガチに規則を固めた他国とは違う、楽市楽座スタイルである。だからこそ、ここは王都でもないのに、こんなにも栄えることができているのだ。
千客万来。人の波は絶えず、広場にも通りにも隙間は少ない。
ただ一点。少女の周りを除いて。
王侯貴族にしか着ることを許されない純白の衣は、布のところどころが艶輝き、その上質さをアピールしているよう。
禁色、鮮烈の赤。すこしも曇りもなく薄くもない、華やかなその色は、平民の身につけることが許されない色である。それを1反も。そもそも、そのような量の布をそれほどまでに綺麗に染め上げられる原材も資金も、この国のどの貴族にもないだろう。
そんな時価数億もくだらぬ至高品を地べたに付ける精神も、少女のその着こなし具合も。
そもそも、その少女の容姿の異質さも。
周囲は全力で目を合わせないように気を使っているが、少女がキョロキョロと視線を動かすごとにサラサラと跡のもないまっすぐな黒髪が美しく揺れている。
労働者階級ではないと表しているような、育ってきた環境の違い。
真珠のように白く艶めく肌には一点のシミも怪我も汚れもない。
異質だ。
その少女は明らかに、この場には異質だったのだ。
そこだけ世界が違うような、彼女だけが違う世界の住民のような。
「……さて。観察を始めますか」
少女は徐に立ち上がり、手で衣についた埃を払う。
パッというその音が鳴るたびに、周囲の効き目のある商人は肩をびくつかせている。ーー傷が! 傷がついちゃう。という声が聞こえてきそうだ。
少女は歩みを始めた。
……何で雪下駄を履いたままなんですかね。少女は一瞬だけ自身の足元を見て逡巡する、がどうでも良いとばかりに市場の観察を始めた。
建物の間、通りは暗くておそらく危ない。先ほどの噴水は人目が多く安全。今の私に持ち物は一つもない、市場の通りを歩いてもスリには合わないだろう。逆に盗めたとしてそれは下着か衣服かアクセサリー、どれも売り方次第で価値は低くなり足がつきやすくなるため、今の私には無問題。
堂々と進む少女を商品や市民たちは避けて通る。自然に段々と流れが左右に分かれ、少女だけの道が中央にできる。
歩きやすくて良い。下水道の悪臭もそこまでひどくはない、市場に売っている品物の多くは加工品、雑貨。新鮮なものはあまりなく、萎れた葉野菜らしきものと、たまに根菜。肉はもっとない。ジャーキーのように乾燥させて売っているかハーブを混ぜ腸詰めにしているものが多い。食糧事情的にここは多くの市民が行き交う、どちらかと言えば小商店街。資産家や権力者などはいないだろう。
そして、たまに歩いている薄い甲冑を着た男性。なんだあれは。コスプレか?
こんな往来で剣を提げていたら畏怖の対象になるだろうし、それを行なっていると言うことは警備か自警団か。
道は粗悪なレンガ、歩くごとに雪下駄の木の部分が当たってレンガがからからと揺れている。接着が弱いな。建物も石材と木材。コンクリートのようなものは見当たらないし、トタンなどのアルミ、金属合金は見当たらない。
往来の人の衣服は粗悪品。汚れやシミが目立ち、靴は薄い革か木、麻か綿か革、絹や化学繊維といったようなものは見当たらない。色が薄い、つぎはぎされている、お下がりなのかサイズが合っていない人もいる、糸が太く裁縫が荒い。穴が空いている人もいるし、切れたまま放っている人もいる。
その逆にたまに灰色のシャツを着ている人間もいる。それは髪型も整えているから、おそらく往来の中でも資産が多いのだろう。それでもアクセサリーをつけている人間は見当たらない。
……わかってはいたが日本ではないな。ヨーロッパでもない。地球でもない。
文字は読めない、だが言葉はわかる。
貨幣価値もわからない、商品も、明らかに原材料であるのに、それがなにかわからない。
どこだここは。
なんだここは。
なんで私は、ここにいるのだ。
なんで、往来の人々は、あんなにも黒いモヤに覆われているのだ?
なぜその人々は、じっと私を見ているのだ?
ポテポテ、薄汚れた金髪の少女が少女の前を通る。
横切る? いや、その少女は、岬を見ている。岬の前で止まった。
「Are you a princess?」
少ししゃがれた声をして、キラキラと血走った目で岬を見て、土で汚れた手で岬のことを指す。
「……I am not a princess, sweetie.」
「Really? But you look just like a princess!」
キラキラが消えた赤い目で、少女は岬をじっと見ている。
岬は腰を折って、往来の中で少女の目線に合わせてしゃがんだ。少女のモヤと岬の視線の高さが一致する。
じっと、周囲のモヤも、岬を見てる。
ガヤガヤと賑わいながら、商いしながら、誰かと笑いながら。
「Then who are you?」
少女は小首を傾げて岬に尋ねた。下から岬を見上げるように。
何か、岬を覗くように。
いや、除くように?
モヤが一斉に、動きを止めた。
視線だけじゃない。
体の向きごと、岬に合わせて。
じぃっと、岬のことを見ている。
ーーこれは。
「I'm your fairy godmother, little lady.」
「Are you a fairy godmother?」
「Yes, I am. And you see, I can even do something like this.」
するりと指で空気をなぞって、そのまま手のひらを空に掲げる。
指を鳴らして。
モヤが、晴れる。
「See? Isn't it amazing?」
ーーみさきに触れていいのは、私だけ。
くすんだ金髪の少女は、にこやかに笑って岬にこたえた。
「綺麗ね! すごいわ! どうやったの? もう一度見せて!」
今度はカナリアのような、綺麗な子供の声を響かせて。
目の前の少女は、晴れやかに笑った。
往来の人々も、足を止めて、岬と少女を眺めている。
穏やかな、静かな微笑みを浮かべながら。
「ごめんなさいね。また今度、出会えたら」
岬も、少女に対して笑顔を送った。
噴水のある広場、そこの通りは商店街。
多くの人で溢れ、今日も。
人の波は途切れることは一度もなく、少女と岬は人の波に飲まれてしまう。
岬のことを見ていた人も、避けていた人もいなかった。
最初から、最初から変わりなく、今日もこの街は栄えている。




