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最終便という名の凪

盆の、十四日。

送り火は、明日の夕方だった。

朝から、商店街は、盆の顔をしていた。休む店と、休まない店が、半々だった。休まない側の筆頭が八百屋のおばちゃんだった。

「エルちゃん! いいところに来た!」

声が通りの端から飛んできた。エルは、足を止めた。買い物籠を提げた、いつもの午前だった。

「ちょっと、これ、持ってって」

差し出されたのは、南瓜だった。丸ごと一玉、抱えるほどの大きさがあった。

「……こちらは」

「もらいもん。うち、多いのよ。煮ても焼いても減らないの」

「頂戴いたします。……ただ、これは」

エルはその南瓜を両手で受け取った。受け取って、少し傾いだ。

「重うございますわね」

「あら、いける口でしょ、あんた。米も担いでたじゃない」

「担ぎました」と、エルは言った。「あの時は、若うございましたので」

「一昨日の話だよ」

豆腐屋の前を、エルは通った。

シャッターは、下りたままだった。あの朝から、ずっと。

その前が、掃かれていた。ちりひとつ、なかった。左隣の八百屋が自分の店先を掃くついでに掃いたのだった。

その右隣に、もう一枚、下りたシャッターが増えていた。乾物屋だった。そちらの前も、同じように、掃かれていた。

店は、二軒、死んだ。掃く手は、まだ、消えていない。

エルはその掃かれた地面の前で足を止めた。南瓜を抱えたまま、頭を下げた。深く。誰にも、見えない角度で。

この街は、救えなかった店の前も、掃く。誰に頼まれるでもなく、いつものように。

わたくしは、それを、覚えて帰るのだ、と思った。

純喫茶ロマンには、人が集まっていた。

入った瞬間に、エルは事態を察した。奥のテーブルに、見覚えのある紙袋が、積んであった。

「エルちゃん、来た!」

まひるだった。凛も、いた。マスターはカウンターの中で、我関せずという顔をして、豆を挽いていた。

「最終便です」と、凛が、真顔で言った。

「……最終便」

「お父さんが」と、まひるが言い直した。「エルちゃん用に集めてたやつ。溜まってたの、全部。持ってきた」

紙袋の口から、覗いていた。

扇子。日傘。刺繍の手袋。房のついた栞。どこで手に入れるのか、誰も知らない、「令嬢グッズ」の類。まひるの父がこの一年、見つけるたびに買い集めていた、あれだった。

「ご厚意は、ありがたく存じますが」

「あ、返品不可でーす」

「そのようなお店の作法は」

「うちの父の作法です」

エルは、紙袋を覗き込んだ。

扇子を、一本、取り出した。開くと、金の箔が、剥げかけていた。安物だった。あちらでなら、侍女が持ってきた時点で、下げさせている品だった。

エルはそれを丁寧に開いて、ひと扇ぎした。

「……よい風ですわ」

「本物っぽい!」と、まひるが叫んだ。

「本物ですわ」

凛が紙袋の底から、何かを引っ張り出した。

「これ、なんですか」

冠だった。銀色の、プラスチックの、子供用のティアラだった。

沈黙が、降りた。

「……お父様は」と、エルが言った。「わたくしを、いくつだとお思いなのでしょう」

「たぶん、七歳」

「まひる」

「ごめんて」

まひるはその冠を、エルの頭に載せた。

載せられた。エルは、抵抗しなかった。背筋を伸ばしたまま、プラスチックの冠を、頭に載せたまま、静かにコーヒーを一口飲んだ。

凛が、口を押さえた。マスターが、豆を挽く手を止めた。

「……似合ってます」と、凛が、震える声で言った。

「存じております」

まひるがテーブルに突っ伏した。

「だめ、無理、この人、無理」

「無理とは」

「褒めたの! ぜんぶ褒めたの!」

窓の外を、自転車が、通り過ぎていった。蝉が、鳴いていた。

エルは、冠をそっと外した。外して、両手で持った。

「……大切に、いたしますわ」

その声が、少しだけ、いつもと違った。

まひるが、顔を上げた。凛も、見た。

けれど、エルは、もう、いつもの顔に戻っていた。

「マスター。おかわりを、頂戴できますか」

「あいよ」

マスターは、それだけ言って、豆を挽き始めた。挽く音が、店の中の、余計な間を、埋めていった。

夕方近く、エルは、源さんのいつもの角を通った。

窯の火が、落ちていた。盆のあいだは、商いを休むのだという。源さんは軽トラの脇の椅子で、団扇を使っていた。

「よう」

「ご無沙汰しております」

「南瓜、重そうだな」

「ええ。……頂戴いたしました」

源さんは、団扇を止めた。エルの持っている紙袋と、南瓜と、その両方を見た。

「持てるのか、それ」

「持てます」

「持てねえだろ」

源さんは、立ち上がった。そして、何も言わずに南瓜だけを取り上げた。

「家まで、持ってく」

「そのようなご迷惑は」

「迷惑じゃねえ。ついでだ」

ついででは、なかった。源さんのいつもの角から高瀬家までは、逆方向だった。エルは、それを知っていた。知っていて、何も言わなかった。

二人は、並んで歩いた。

しばらく、どちらも、何も言わなかった。

商店街の端まで来たところで、源さんが、ぼそりと言った。

「盆は、どこの家も、帰ってくる時期だ」

「……ええ」

「行くところがあるなら、行きゃあいい。……けどな」

源さんは、南瓜を抱え直した。

「帰ってくるところも、ちゃんと、ある。それだけは、覚えとけ」

エルは、答えなかった。

答えられなかった、と言うほうが、正しかった。

源さんは、返事を待たなかった。ただ、南瓜を抱えて、先を歩いた。この人は、いつも、そこまでしか言わない。

高瀬家の玄関で、源さんは、南瓜を置いて、帰っていった。「じゃあな」の一言だけで。

エルは玄関先に立って、その背中を見送った。

通りの向こうで、盆提灯が、いくつか灯り始めていた。明日の夕方、あの提灯の火が、送り火になる。ご先祖様を、彼岸へ帰す火になる。

そして、押し入れが、閉じる。

エルは、紙袋を持ち直した。安物の扇子と、剥げた箔と、プラスチックの冠と。あちらへ持って帰れるかどうかも、分からない品々だった。

佳代子が、玄関を開けた。

「あら、源さん? ……南瓜、まあ、大きい」

「頂戴いたしました。煮ても焼いても減らないそうですわ」

「じゃあ、今夜、煮ましょうか」

「はい」

佳代子は南瓜を持ち上げようとして、その重さに、うっとなった。

「……お父さん! ちょっと!」

奥から、父が出てきた。父も、持ち上げて、うっとなった。

エルが、片手で、持ち上げた。

二人が、それを見ていた。

「……エルちゃん」

「なんでしょう」

「あんた、そういうとこよ」

「どういうとこですの」

佳代子は、答えなかった。かわりに、笑った。この二日で、初めて笑った顔だった。

台所から、出汁の匂いがしてきた。夏の夕方の、いつもの匂いだった。

明日の夕方、火が焚かれる。

けれど、今夜は、南瓜を煮る。

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