日傘という名の御成り
六月の、よく晴れた朝だった。
父から、また荷物が届いた。
佳代子が伝票を見て、ため息をついた。
「……お父さん、また、何か送ってきたわよ。エルちゃん宛て」
箱は、大きかった。開けると、薄紙の中から、まず、白いレースの日傘が出てきた。次に、扇。最後に、裾の長い、ドレスのようなワンピース。
同封の手紙には、父の字で、一行だけ。
『夏だ。令嬢には、夏の正装がいるだろ』
エルはその三点をテーブルに並べ、しばらく真剣に見つめた。
「……お父様は」
「うん」
「わたくしを、どこの舞踏会に出す気なのでしょう」
「行かないわよ、どこにも」
*
三十分後。
エルは玄関に立っていた。
裾の長いワンピースに、白い日傘を差し、扇を、片手に。背筋はいつも以上に伸びていた。どこから見ても、夏の正装だった。ただ、その向かう先が、商店街の朝市だという点だけが、世界と噛み合っていなかった。
「エルちゃん……その恰好で、買い物?」
「正装ですわ」
「大根、買うだけよ?」
「大根を、正装で買って、何か不都合が?」
佳代子は少し考えて答えるのをやめた。
ちょうど、二階から降りてきた湊人が、玄関のエルを見て、足を止めた。
「……なんか、行事でしたっけ、今日」
「御成りですわ」
「おなり」
「日傘を差して、街を検分いたします。……民の暮らしを、見て回るのですわ」
「検分される八百屋、いい迷惑だな……」
*
商店街の反応は、店ごとに違った。
八百屋のおばちゃんは、大根を袋に入れながら豪快に笑った。
「あんた、今日はまた、えらい別嬪だねえ! どっかのお姫様みたいだよ」
「お姫様では、ございません。令嬢ですわ」
「どう違うんだい」
「……説明いたしますと、長うございます」
純喫茶ロマンのマスターは、窓越しに一瞥して、一言。
「日傘、店ん中じゃ、たため」
「ええ、心得ております」
源さんは窯の火を見たまま目も上げず。
「……日に焼けるぞ」
「ですから、日傘ですわ」
「そうか。……まあ、差せ」
*
いちばん反応が激しかったのは、塀の上だった。
「————出た!」
凛がテニスバッグを担いだまま、塀の上から、エルを指差していた。
「なんだ、その、完成された令嬢は! 漫画から出てきたのか!」
「塀の上から、御声がかりとは。……凛様は、相変わらず、高い所がお好きですのね」
「そういう、余裕の返しも、令嬢っぽい! ……くっ、テニスでは、勝ってるのに!」
そして、いちばん喜んだのは、洋品店の小百合だった。
彼女は店から飛び出してきて、両手を組んで、エルの周りを一周した。
「エルちゃん……! これよ、これ! あたしが、ずっと見たかったの、これ! 悪役令嬢じゃなくて……本物の、優雅なやつ!」
「悪役は、務めませんもの」
「日傘! ちょっと、持たせて! 一回だけ!」
小百合は日傘を恭しく受け取り、差してみて、うっとりした。それから、はっと我に返った。
「……あたしが差すと、ただの日傘だね」
「持ち主の、格の問題ではございません。差し方ですわ。……お教えいたしましょうか」
「教わる!」
商店街の真ん中で、洋品店の主人が、令嬢に、日傘の差し方を習い始めた。
湊人は、その光景を少し離れて眺め、麦茶を買って飲んだ。
*
ひと回りして、家に帰る頃には、日が、高くなっていた。
エルの手には大根と、油揚げと、コロッケの入った袋が、提げられていた。日傘の下の、その袋だけが、やけに生活の匂いをしていた。
「湊人様」
「はい」
「本日の検分、成果がございました」
「へえ。何です」
「八百屋の大根が、今日は安うございました。……三本で、二百円ですわ」
「……それ、検分、いります?」
「重要な、民情ですわ」
エルは、大真面目だった。
湊人はそれ以上言わなかった。日傘の下で、令嬢が、大根の値段を心から喜んでいた。
悪くない朝だ、と彼は思った。




