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意向調査という名の岐路

桜が、咲きかけていた。

意向調査の結果は公民館の掲示板に、一枚の紙で貼り出された。紙の隅に、担当の名が小さくあった。戸倉。説明会で、一度も「思い出」と言わなかった、あの男の名だった。

賛成、五十四。反対、三十八。

過半だった。けれど、圧倒でもなかった。

エルはその数字をしばらく見ていた。民が、自らの街の行く末を、一枚一枚の紙で決める。……これは、評定だ、と思った。向こうでは一度も見たことのない種類の。

結果は、こうだった。再開発は、進む。ただし、一度にではない。通りは南の端から少しずつ建て替わっていく。何年も、かけて。

その日から、通りは静かに変わり始めた。

乾物屋が店を畳むと、貼り紙を出した。豆腐屋の、隣だった。掃かれたシャッターが、また一枚、増えた。

掲示板の前で、年寄りたちが難しい顔をしていた。

「補償の、なんとかって書類が、来るらしいが……こんな細けえ字、読めやせんよ」

「判子つけば、いいんだろ。……もう、考えるのも面倒だ」

エルはそれを少し離れて聞いていた。何か言いたげに口を開きかけて——けれど、今日はやめた。

今日は、別の場所に行くと、決めていた。

源さんはいつもの角で火を焚いていた。桜の下だった。

「源さん」

「……また来た」

「参りました」

「知ってる」

エルは灰かきの棒を勝手に手に取った。もう、断られなかった。火の底の赤い熾を、あおがずに、待つ。ずいぶん、慣れた。

しばらく、二人は黙って火を見ていた。

やがて、源さんが、ぼそりと言った。

「……南から、壊すんだとよ。この角まで来るのは、何年か先だ」

「ええ」

「それまでに、な」

源さんは、火の底を指した。

「もう一つ、教えてやる。……芋の、置き方だ。石の、熱いとこと、ぬるいとこを見分ける」

エルの手が、止まった。

源さんは、こちらを見なかった。火を見たまま、続けた。

「……この間の、待つやつ。あれと、今日ので、二つだ。……お前が、言ったろ。回す、って」

「……源さん」

「言うな。まだ、弟子にした覚えは、ねえ。……ただ、二つ、教えた。それだけだ」

けれど、源さんは、確かに、その言葉を、自分の口で言った。

回す、と。

冬の日、「言ってねえぞ」と逃げた言葉だった。ひと冬かけて、彼は、自分の足で、そこまで歩いてきた。エルは押しも、引きもしなかった。ただ、火の番を続けただけだった。

「……お前、筋は、悪くねえ」

「————」

「弟子はいらん。念のため言っとくが」

「ええ。念のため、承っておきますわ」

帰り道、桜の下を、二人は歩いた。

通りの南の端ではもう足場が組まれ始めていた。北の端の、源さんの角では、煙が、まっすぐ立ちのぼっていた。

同じ通りの中に、壊れていくものと、次へ渡っていくものが、並んでいた。

どちらも、この街だった。

その週から、湊人は三年生になっていた。鞄が、少し重くなっていた。エルはその中身を一度だけ検分し、「受験」という一語の意味を、三日かけて正確に理解した。

「秋には、進路の紙を出されるとか」

「……誰から聞いたんですか」

「まひるから」

「あいつ」

「湊人様」

「はい」

「あの掲示板の、年寄りたちのこと、ですけれど」

「はい」

「……近いうち、一度、お邪魔しようと思いますの。書類の、読み方に」

「エルディアーナさんが?」

「ええ。……施しでは、ございませんのよ。念のため」

湊人はその「念のため」に少しだけ笑った。

桜が、一片、火の煙の中へ、舞い落ちた。

盆までは、あと四月ほど。

まだ、扉は、鳴っていない。

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