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焼き芋という名の詫び

三月の空はまだ、寒さと春の匂いを半分ずつ混ぜていた。

商店街の意向調査は、今週末だった。賛成が過半を超えるか、超えないか。誰にも、まだ分からなかった。源さんの窯はその渦の真ん中にあった。

その日、源さんは、灯油を切らしていた。

「ちょっと、買ってくる。……火、見てろ。あおぐなよ」

「はい」

エルは灰かきの棒を手に火の前にしゃがんだ。一人で窯の火を任されるのは、初めてだった。

赤い熾が、灰の下で細く息をしていた。少し弱っていた。手が、あおぎたがった。

けれど、エルは、あおがなかった。

あおぐな。火は、驚く。

彼女は、待った。火が、自分で、また燃えるのを。

やがて、熾は、ひとりでに、また赤みを増した。

……この方は、こういうことを、五十年、していらしたのね。

その時、視界の隅に、見覚えのある背広が立った。

源さんの息子だった。あの角に、また来ていた。父の姿を探して、それがないことに気づいて、行こうとして——けれど、その足が止まっていた。窯の火に、目が行っていた。

エルは立ち上がった。

そして、いちばんよく焼けた一本を新聞紙にくるんだ。

「……焼きたてですわ」

息子に、差し出した。

「え、いや、俺は」

「一本、いかがですか。……本日の、いちばん良い芋ですの」

父のことも、店のことも、言わなかった。ただ、芋を売った。

息子はしばらくその芋を見て、それからゆっくり受け取った。

「……いくら」

「百八十円ですわ」

彼は、財布から、小銭を出した。客として。

エルは自分の三本を提げ、一礼してその場を離れた。

「またのお越しを」

いつもの、購入の儀式だった。それがそのまま退場の作法になった。

角を曲がる、少し手前で。

背中のほうで、源さんの、帰ってくる足音がした。それから、短い、間。

「……なんだ、お前」

息子は、答えなかった。芋を、食べていた。

エルは、振り返らなかった。ただ、歩きながら、聞いていた。

「……うまいか」

源さんの声だった。

「…………うまい」

息子の声は、少し掠れていた。

「……昔より、うまくなってねえか」

「五十年、焼いてりゃな」

それだけだった。

それ以上は、どちらも言わなかった。言えば、崩れる。二人とも、それを知っていた。

通りの角まで来て、エルは、ようやく足を止めた。

湊人が、隣に並んだ。

二人で、振り返った。

夕暮れの、商店街の外れ。軽トラの窯から、細い煙が、まっすぐ立ちのぼっていた。その煙の下に、二つの影があった。少し離れて、けれど、同じ火に当たっていた。

どちらも、何も喋っていないようだった。ただ、芋を食べていた。

エルはその画をしばらく見ていた。それから、前へ向き直った。何も言わなかった。言うことは、何もなかった。

「湊人様」

「はい」

「次の盆まで、あと半年ですわ」

「……はい」

それだけ言って、エルは、歩き出した。

振り返らなかった。けれど、背中で、あの煙が、まだまっすぐ立っているのが、分かった。

消えては、いなかった。

次の手へ渡りかけた火が、暮れの空へ、細く、まっすぐ、昇っていた。


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