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焼き芋という名の邂逅

『い〜しや〜きいも〜……おいも……』

声は、遠ざかっていく。

エルディアーナは窓辺から動かなかった。

「湊人様。あの詠唱は、どちらへ向かっておりますの」

「詠唱じゃなくて売り声です。……ああもう、行きます? 追いかけます?」

「よろしいのですか」

振り返った顔が、あまりに真剣だった。断れる顔ではなかった。

佳代子が財布から千円札を抜いて、湊人に押し付けた。

「行っといで。お母さんのぶんも」

日曜の朝の住宅街を高校生と、ジャージの令嬢が早足で歩く。

「湊人様。先ほどから気になっていたのですが」

「はい」

「あの声、抑揚が常に同じでしたわ。息継ぎの気配もございませんでした。……もしや、声を記録して繰り返す魔道具では?」

「スピーカーです。……いや、当たってますよ、それ。録音です」

「まあ」

彼女は少し得意げに、しかし上品に頷いた。

「この世界の理も観察すれば読み解けるものですのね」

(この人、たぶん俺より早くこの世界に慣れる)

角を曲がると、いた。

白い軽トラック。荷台に据えられた窯。立ちのぼる細い煙。やきいも、と赤い字で書かれた幟。

エルディアーナの足が、止まった。

「……石を焼いておりますのね」

「え?」

「あの窯。芋ではなく、石を熱しているのでしょう。石に蓄えた熱で、ゆっくりと火を通す……」

彼女は窯を見つめたまま、独り言のように続けた。

「直火では、ああはなりません。なんと理に適った……どなたの考案ですの、これは」

「知らないですけど……よく分かりますね、そんなの」

「領地に炭焼きの村がございましたの」

さらりと言って、彼女は歩き出した。軽トラの主——白いタオルを頭に巻いた、七十がらみの老人——の前まで進み、そして。

深々と一礼した。

「お初にお目にかかります。エルディアーナ・フォン・クロイツェルと申します」

「…………はあ」

「かぐわしい香りに導かれて参りました。貴殿の窯の芋を、二つ……いえ」

佳代子の千円札を思い出したのか、指を折り、

「三つ、賜りたく存じます」

「……あいよ」

おじいさんはたぶん人生でいちばん丁寧に注文された。動じた様子もなく、軍手で窯の蓋を開ける。ぶわ、と甘い湯気が立ちのぼった。

エルディアーナの背筋が、ぴんと伸びた。

「湊人様」

「はい」

「……これは、祝祭の香りですわ」

「大げさだなあ」

おじいさんが新聞紙に包んで差し出す。

「紅はるか。熱いよ」

「ベニハルカ……」

彼女は両手で恭しく受け取り、繰り返した。

「高貴な響きですわね。どちらの家門の姫君ですの?」

「品種だよ」

「ヒンシュ」

「芋の、種類」

「……芋に、家系がございますの!?」

この日いちばんの驚きだった。魔道具のスピーカーより、石焼きの理屈より、芋の品種に驚いていた。

近くの小さな公園のベンチに、並んで座った。

彼女は膝の上の包みを開き、湯気の立つ紅はるかをしばらく見つめていた。

「どうしました? 冷めますよ」

「……いえ。いただきます」

皮を割る。黄金色の断面から、蜜がにじむ。

彼女はひとくち、口に運んだ。

「…………」

湊人は、次の言葉を待った。「甘いですわ!」でも「なんですのこれは!」でもいい。そういうのを待っていた。

来なかった。

彼女は黙って、もうひとくち食べた。それから、そっと目を伏せた。

「……懐かしい味が、いたしますの」

「……懐かしい?」

「ええ」

それきり、彼女は何も言わなかった。ただ、両手で包んだ芋を、最後のひとかけまでとても丁寧に食べた。皮まで食べようとして、湊人にやんわり止められた。

(懐かしいって……向こうにも、あるのか。焼き芋)

聞こうとして、やめた。彼女の横顔が、聞くなと言っていた。

風が吹いて、幟がぱたぱたと鳴った。

「湊人様」

「はい」

「あの芋はいつでも買えるのですか」

「んー……秋冬が多いですけど、あのおじいさんは年中回ってるっぽいですね。うちの近所」

「そうですか」

彼女は立ち上がり、スカート——ジャージだが——の裾を払った。

「では、次にお会いする時までに対価を用意いたします」

「対価? 今日払いましたよ、母さんの千円で」

「本日のぶんは、佳代子様のご恩。わたくし自身の対価は、まだ何も」

彼女はまっすぐ軽トラのほうを見た。おじいさんが窯の火を落とし、のんびりと片付けている。

「あの御方の窯は、良い窯ですわ。石の並べ方に長い年月の工夫がございます。……ああいうお仕事は、絶やしてはなりませんの」

「……詳しいですね、ほんとに」

「領主の娘ですもの」

当然のように言って、彼女は歩き出した。

帰り際、軽トラの前を通ると、おじいさんがひょいと片手を上げた。

「嬢ちゃん。また来るかい」

「必ず」

即答だった。

「そうかい。……まあ、来られるうちに来な。俺も歳だ。この商売、いつまでやれるか分からんからな」

からから笑うおじいさんの前で、エルディアーナだけが、笑わなかった。

「…………」

彼女は窯を見た。幟を見た。それから、おじいさんの、年季の入った軍手を見た。

「湊人様」

歩き出してから、彼女は言った。

「わたくし、この世界で為すべきことをひとつ見つけたやもしれません」

「……嫌な予感しかしないんですけど」

彼女は答えず、ただまっすぐ前を向いていた。

その横顔は——湊人はまだ知らないが——凶作の年に領民の列の先頭へ歩いていく、公爵家の人間の顔だった。

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