第1話 妖精と盗賊
私は久しぶりに母と二人きりで舞踏会に馬車で向かっていた。
姉のエヴァンジェリンが直前に体調不良になったので、父が私と母だけで行けと命じたのだった。今回は旧都から来ている大金持ちがいるそうだから絶対に欠席するな、と。
お金持ちがこんな田舎までわざわざ出向いてくるなんて、何の用なのかしら。
「アレックス、お母様は人混みが苦手だから端にいるわね。おかしな求婚をするような殿方は、適当にあしらってちょうだいね」
「はい」
そんな酔狂な男性は滅多にいないと思うけど。お母様は若い男性とみると、すぐに娘に結婚を申し込むとでも思っているようだ。
「エヴァンジェリンの婚約が決まらないと、あなたも決まらなくて困ったものね。お父様にそろそろ本腰を入れていただかないと……」
エヴァンジェリンを溺愛するお父様が認めるような男性なんて、こんな田舎にはいない。旧都や新都みたいに大きな都市にでも行かないと無理だろう。行ったって見つからないかもしれない。
お父様ならおとぎ話の王子様にだってケチをつけるわ、きっと。
田舎で舞踏会のできる場所なんて限られている。またいつもの社交会館だ。我が家のホールでもできるけど、お父様は面倒臭がってそんなもの開こうとしない。エヴァンジェリンのためだったら舞踏会も開くかもしれないけれど。
今夜は女性が圧倒的に多かった。例のお金持ち効果かしら。旧都からの来客だなんて、それだけでも見たがる人はいるだろう。そんなわけで私もご多分に漏れず、ダンスの相手が見つからなくて壁の花と化していた。
お母様が鋭い目でこちらを見てる。ちゃんと動けってことね。でも男性が足りないのはどう見ても明らかだし、女性である私からダンスに誘うわけにはいかないし。
私は母の目から逃れるように、さりげなく中庭へ繋がるガラス戸の方へ移動した。母が知り合いに話しかけられて視線を逸らしたタイミングを見計らって、私はガラス戸からそっと外に滑り出た。
人の熱気で満ちているホールとは打って変わって、外は木々を通り抜けた爽やかな風が私の頬を撫でた。私は深呼吸して新鮮な空気を体に取り入れた。ここの中庭には噴水があって、ちょうど室内の灯りが当たるので夜でも綺麗に見える。私は噴水へ向かった。
噴水の前の鋳物のベンチには先客がいた。
黒い髪に暗い色の服だから、全然気が付かなかった。今まで、ここに人がいた試しなんてなかったのに。なんだか、私の特等席が実は誰かのお気に入りの場所でもあった、みたいな気分。
このベンチも噴水も私の所有物ではないんだから、考えてみれば当たり前だった。恋人たちの逢い引きなら、人目のない温室や花の咲いている生け垣の奥の小庭へ行くから、ここは大丈夫だと安心しきっていた。ベンチに座っていたのは若い男性だった。少し眉をひそめて私を怪訝そうに見ている。
「あら、失礼しました」
「いえ、こちらこそ」
彼が手元に目を落としたので、私はつい目で追った。なんと彼は薄暗がりの中、室内から漏れた明かりを頼りに本を読んでいたのだった。
舞踏会に本を持参するなんて、ずいぶん変わった人だ。踊るときにその本はどこへ置いておくのかしら。
「あまりお見かけしない顔に思いますけど、どちらから?」私は朗らかに声をかけた。
「……」
あらまあ、無視?
やや間があって、彼は口を開いた。
「……名乗るほどの者では」
そんなこと言う人、本当にいるのね。
「あら、じゃあ盗賊かしら」にこやかな表情を変えずに私は言った。
私の言葉に彼はぎょっとしたようだった。本から顔を上げて、信じがたいものを見るような目で私を見る。
だって失礼じゃないの。レディが聞いてるのに、名乗らないなんて。
「……盗賊が何をしに、こんな舞踏会へ?」それでも彼は名乗らずに質問を返してきた。
大人しそうな見た目なのに、意外と豪胆なのね。
「下調べですわ。でも盗賊なら、髭を生やしていないといけないわね」
「それはあまりに芝居じみているのでは。髭がどうこうという前に、こんな優男では子どもからだって銅貨一枚巻き上げられないでしょうね」
「そうね、上品だし知的すぎるわ。……盗賊じゃなくて、身分を隠した王子かもしれないわ」
彼は苦笑した。
「王子ですか? 設定に難ありですね。この国はかなり前から王政ではありませんから」
「かつての王朝の血を引く者、はいかが?」
「舞台や物語であれば非常にロマンチックな設定ですが、現実的にはむしろ詐欺師が言いそうな台詞に聞こえますね」
「何の詐欺をするの?」
「さあ……一番ありそうなのは裕福な女性をたぶらかす結婚詐欺でしょうか」
「あなたは結婚詐欺師?」
「いえ、とんでもない。しがない極めて平凡な男ですよ」
「平凡な男性は、自分が結婚詐欺師かも、なんて言わないわ」
「自分がそうだ、とは申しておりませんよ」
初対面なのに、薄暗闇のせいかそれとも同じ場所を気に入った者同士の共感か、私たちは名前も知らずに会話していた。
「あなたは名を明かす気がないみたいだし、私はあなたが名乗らないと名乗りたくない気分なの」
「奇遇ですね。私もそういう気分です」
「あら、男性から先に名乗るものではなくて?」
「名乗るのに性別が関係ありますか? 同じ人間同士なのに」
「そうね。まあ、それはこじつけで、実は……あまり名乗りたくない名前なのよ」
彼は問いかけるように片眉を上げた。
「性別の話が出たけど、私、男性っぽい名前なの。だからあまり言いたくないのよ」
「スタンレーとか?」
「いえ、スタンレーではないけれど……なぜスタンレーだと思ったの?」
「丁度読んでいた本の主人公がスタンレーという名前なので」
彼は本を少し持ち上げて私に見せた。
私は声を立てて笑った。
「意外と安直だったわね」
「……独創性がなくて申し訳ありません。まあ、名乗りたくない名前なのは私も同じでして」
「女性っぽい名前なの?」
「逆です。強すぎるんです」
「強い?」
「名前のイメージが強すぎるんです。私にはあまり似合っていないので」
「じゃあ、私たちは仮の名前で呼び合いましょう。あなたは”上品な盗賊さん”ね」
「盗賊扱いはあんまりでは?」
「でも、結婚詐欺師と呼んだら本当に誤解を生みそうよ」
「それはそうですね。では、あなたは……”誤って夜に現れた妖精”という所でしょうか」
「私が妖精? ずいぶん良い例えにしてくださったのね」
「男女差別はしませんが、マナーとして女性には敬意を払いますよ」
「”差別しないマナーのいい盗賊さん”ね。素敵だわ」
「恐れ入ります」彼は軽く会釈した。
かすかに聞こえる音楽が切り替わったので室内の方へ目をやると、窓越しに母の影が見えた。私を探しているんだわ。彼の前で『アレックス』なんて、大声で呼ばれたくない。
「私、行かなくちゃ。お話できて楽しかったわ」
「こちらこそ。良い気晴らしになりました」
随分はっきり言う人だ。でも、その正直さに好感が持てた。
私はまんざらでもない微笑を彼に向けた。彼もどこか面白がるような表情をしていた。
「では、またどこかで。妖精さん」彼は室内へ引き返す私にそう言った。




