十話◆開かない扉
[恋心の暴走を読み飛ばした方への補足]
・またアレな感じの夢を見ました
・うっかり自家発電しました
・死ぬほど後悔しています←イマココ
「……っ……ゔ……」
ずびずびと鼻を鳴らしながら、自己嫌悪のループに陥っていたとき。
突然頭上から声をかけられて、僕は心臓が止まりそうなほど驚いた。
「……なあ、何泣いてんの?」
「…………ぇ? ……J!? うそ、なんで? 鍵かかってたよね……?」
誰も入ってこられないと思ってたから、あんなことをしてしまえた。
だから今も、こうして泣いていたのに。
呆然としていると、Jは小さく息を吐いたあと、哀れみなのか呆れなのか分からない目で僕を見据えた。
「あのさアシュ坊? 影が鍵かかってるくらいで侵入できないわけねぇだろ?」
「…………確かに」
言われてみればそうなんだけど、今は誰にも見られずに、ひとりで沈んでいたかった。
もし泣き声が漏れて、心配で来てくれたんだとしても……。
「そんで、どうしたんだよ。ついにフラれちまったのか?」
「……ちっ、違う! フラれてなんか…………!」
普段の笑いを含んだような声じゃなく、しみじみとそんなことを聞かれて。
僕はとっさに反論してしまった。
「……でも、どうせ女神さん関連なんだろ?」
まるで何もかも分かっているみたいなJの物言いに、自然と退路が塞がれていく。
静かな闇色の瞳からは逃れられずに、僕は事のあらましを説明する羽目になってしまった……。
◇ ◇ ◇
"夢"と"現実の失態"を話し終えると、ほんの少しだけ心が整理できた気がした。
Jは途中では余計な口を挟まずに、ただ相槌だけをくれたから、思ったより辛い告白にはならなかった。
一連の話を最後まで聞いたJは、心底"理解不能"みたいな顔をした。
「はぁ? ……泣くとこ、そこかよ。もっと他に泣くタイミングあっただろ」
「……だって……」
だっての後を続けられない僕を見て、Jは小さく肩をすくめる。
「つーか。んな事でいちいち泣いてんの、さっすが、若いねぇー」
「もう! ……こっちは真剣にへこんでるんだから、茶化さないでよ……」
「別にまだ茶化してねぇだろ。茶化すってのはな、こういうことを言うんだぜ? …………で、何回やらかしたの?」
「は、はあ!? やめてよ、ほんと……」
とんでもない質問をぶつけられて、僕はまた泣きたくなってしまった。
羞恥と八つ当たりみたいな少しの怒りで、カッと頬が熱くなる。
そんな僕に、Jは事も無げに告げた。
「アシュ坊くらいの歳のガキなら、そんくらい普通だろ? むしろ今までやんなかったことのほうがびっくりだね」
「えぇ……?」
思ってもみない言葉に、恥ずかしさよりも困惑が芽生え始める。
戸惑う僕に向けて、Jはさらに言葉を重ねた。
「俺らだって、場合によっちゃ任務に差し支えるから先に済ましとくぜ? 状況が違うっつーんならそれまでだけど、別に恥でも罪でもねぇだろ」
「……そう、なのかなぁ」
「そーそー」
どこまでも軽い調子のJに、これって落ち込んでる僕の方がおかしいのかな……なんて迷いが生じる。
だけど、僕は――
「でも、あのひとを……汚しちゃった……」
またマイナス思考に傾きかけた僕に、Jはパンッと自分の膝を打って頭を振った。
「っだぁ! めんどくせーなあ。何も本物の女神さんが汚れたわけじゃねぇだろうが。それともなにか? アシュ坊は、もし女神さんが実際にそういう目に遭った事がありゃ、"汚れてる"って思うのか?」
そんな――
考えただけで胃が逆流しそうな……碌でもない言葉を投げつけられて、瞬間的に頭に血が昇る。
「なんだよそれ!? …………っ、血反吐吐きそうだけど…………思わない……。あの人が汚れてるなんて、絶対に思わないよ……!」
冷静さを欠きながらも真剣に答えるうちに、僕自身の言葉はそのまま確信へと変わっていった。
ダリルさんは。
ダリルさんの心は、きっと誰かの介入なんかで汚されたりしない。
その思いは、薙いだ湖に落ちた一滴の雫のように、僕の薄暗かった心に瞬く間に波紋を広げた。
冷え切ったり、熱くなり過ぎたりしていた感情が、穏やかで少し熱い温度に戻っていく。
「……まあ、そういうこった。アシュ坊が頭ん中で何しようが、女神さんは女神さんのまんま。それでいいじゃねーか」
僕の頭をポンポン……と少し雑に撫でながら、Jが曖昧に笑う。
この余裕の態度。
完全に乗せられたんだな、これは……。
「……なんか丸め込まれただけのような気もするけど……」
手のひらでコロコロ転がされたのがちょっぴり悔しくて、僕の頬は片側だけ不自然に膨らんだ。
「うるせぇな、おとなしく丸まっとけ。おら鼻かめ」
優しい声で、優しくない手つきでちり紙を鼻にあてがわれて。
僕はそのまま、されるがままに鼻をかむ。
「…………うん。ありがとう、Jくん」
呼吸の通りが良くなると、なんだか心もスッキリしたような気がした。
◇ ◇ ◇
その後。
Jは「研究にのめり込むのも良いけど、ちゃんとメシまでには帰らねぇと俺が派遣されちまうだろ?」と、軽くお小言を言ってから去っていった。
確かに今回は突発だったからなぁ。
調べたい事があるとは言ったけど、以前の"研究合宿"みたいに泊まり込みになるなんて、誰にも伝えていなかった。
僕自身も、まさか寝落ちしちゃうなんて思ってなかったし……。
「クロードが悪いんだよ、クロードが……!」
脳筋すぎて人工魔石も生み出しちゃうし、脳筋すぎて魔石の色と属性について言い当てちゃうんだから!
ぷす! と怒りのポーズを取ってみたけど……まあ、これが責任転嫁なのは分かってるよ。
でも、そうでもしないと、色んな感情がぐるぐるしすぎてどうにもならなそうだった。
「あああああっもうっ……!」
なんだか居ても立っても居られなくて、帰りの準備始めて鞄を引っ掴んだ時だった。
コン、コン、コン――
「っ!?」
ゆっくり、三回。
規則正しいリズムで響いたノックの音に、僕の心臓と身体は思い切り跳ねた。
「…………アシェルくん? 研究室まで来てたの……?」
ダリルさんだ……。
会いたいけど今一番会いたくなくて、それでも会いたいけど、"絶対に会えない"ダリルさんだ……!
僕がフリーズしていると、カチャリと優しくノブに触れる音がした。
「……あれ、開かないや。やっぱり居ないのかな……アシェルくんの声が聞こえたのに……」
扉越しにくぐもった声が聞こえる。
いろんな緊張で、脈拍が乱れて胸が痛い。
(……ごめんね。いつだって会いたいけど、今だけは会いたくないんだ……)
「…………アシェルくん……元気にしてるのかな」
聞こえるか聞こえないかの呟きに、一瞬、思考が停止した。
次の瞬間には、僕は声を張り上げていた。
「ダリルさんっ、僕は、元気ですよ……!」
「あっ、やっぱり来てたんだ……! ねぇ、どうして鍵なんてかけてるの? いつもそんなことしてないのに……」
や……やっちゃったー!?
なんで! 僕は! 返事をしちゃうの!
「え!? いやっ、ちょっと…………そう! 先生が! ダミアン先生が来たら困るしっ……なんて…………」
咄嗟の言い訳にダミアン先生を使う僕。
実際に先生はいつも"すぐに僕を拉致する"んだから、これくらいは許して欲しい。
「それは……確かに、そうだね」
納得してくれたことにホッと息を撫で下ろしていると、再びダリルさんの声が届いた。
「…………ねぇ、アシェルくん。もしかして泣いてた?」
「えっ……!?」
なんでバレてるの!?
もしかして……いや、もしかしなくても。
僕まだ鼻声なんだ……。
「こっ、これは、その…………気化した薬品が目に染みてっ、でももう何ともないんで! 大丈夫、です……!」
「そうなの……? 大丈夫って、本当にどこにも異常は出てない? ……わたしでよければ、念のために治癒魔法かけようか……?」
「…………っ」
……痛い。けど、嬉しい。
(…………だめだよダリルさん、今だけはそんなに優しくしないで……!)
嘘なんてついて、心配かけて。
ほんとにごめんなさい……。
そう心の中で謝罪して、僕は震えそうになる声を必死で抑えて言葉を紡いだ。
「ありがとう、ダリルさん。本当に大丈夫ですから、心配しないで。……あと、今日はちょっと集中したくて……だから…………ごめんなさい……」
ぎゅっと目を瞑って、反応を待つ。
「…………そっか。うん、分かった。あまり無理し過ぎないでね?」
少しの沈黙のあと、ダリルさんは優しい声で呟いた。
その声は、やんわりと僕の心を締め上げた。
「……はい」
それだけ言うのがやっとだった。
静かな廊下に響く、小さな足音が消えるまで。
僕は研究室でじっと息を殺していた。
ようやく脈拍が落ち着いてきた頃、特大のため息を吐いて緊張を逃そうとした。
でも、あの人に嘘をついてしまった罪悪感だけは消えてくれなかった。
僕はぎゅっと鞄の肩紐を掴んで、そのまま部屋からも研究棟からも飛び出した。
早く家に帰ろう。
その一心で、ひたすら走った。
僕は今日、初めてダリルさんに会うことを拒んだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(早く立ち直ってくれぇ……!)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
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週3回(火・木・土 20:00)更新中です!




