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乙女ゲームで存在しない悪役令嬢の双子の兄に転生してしまった【第五章◇進行中】  作者: かみながあき
第四章◆中等部二年生編(前期)

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八話◆複雑な味のキャンディ

ダリルさん、つらそうだった……

 

 研究棟の階段を駆け上がって、フロアに躍り出たとき。

 隠匿の魔法が解けて、人気のない廊下に僕とヒューゴの姿が露になった。

 そのままあの人の研究室まで一目散に向かい、扉を開ける。

 

「ダリルさん……っ! 助けてください!」

 

 乱暴な入室とともに縋るように叫んだ僕に、机の前に立っていたダリルさんは、ひどく驚いた顔をした。

 

 でもそれは、『僕の突然の訪問』に対する驚きではなさそうだった。

 

 一瞬、瞳の奥の蜂蜜色が、すうっと冷たく揺れた。

 

 まるで、悪夢の続きを見てしまった人のように。

 

 

「……魅了、だね。その子はたぶん、前に聞いたヒューゴくん……かな?」

 

 ダリルさんの声は静かで、でも震えていた。

 

 ダリルさんは僕とヒューゴを目だけで追って、まるで息をするのも怖いみたいに肩を強張らせている。

 

「……うん、大丈夫だよ……。こっちに来て。もう……怖くないから」

 

 苦しげに笑うダリルさんは、優しい声で囁く。

 その手は、少し震えていた。

 

 

「アシェルくん……ここまで連れて来るの、すごく……勇気がいったよね」

 

 そこには、僕を責める気配なんてひとつもなかった。

 ただ僕の肩をそっと押して、座らせてくれる。

 

 その何気ない仕草の奥に、なにか……『ずっと心に刺さっている痛み』みたいなものが滲んで見えた気がした。

 

「……僕……誰かに頼りたかったんです。急にこんなこと……ごめんなさい、ダリルさんしか思いつかなくて……」

 

 そう言うと、ダリルさんの表情は複雑に揺れた。

 

 嬉しいような、苦しいような。

 どうしてそんな顔をするんだろう……。

 

「……そっか。……ありがとう」

 

 辛そうなのに、逆に僕にお礼を言ってくれるなんて……何故なんだろう。

 分からないけど、やっぱりそういうところもダリルさんはダリルさんで。

 

 僕は再び口からこぼれそうになった、「迷惑かけてごめんなさい」という言葉を飲み込んだ。

 

「ヒューゴは僕が支えます。お願いします……!」

 

 そう言って繋いだままだったヒューゴの手をさらに強く握ると。

 ダリルさんの視線が、僕たちの手に落ちて。

 

 ほんの少し、言葉を飲み込むように喉が動いた。

 

「……うん。まず、状態を見せて」

 

 ダリルさんがヒューゴの袖にそっと手を伸ばした瞬間、ヒューゴは僕の肩へぐらりと体重を預けた。

 

「ヒューゴ、大丈夫……?」

 

「……ああ。お前がいるから、平気だ……」

 

「っ……」

 

 ダリルさんが息を呑む音がして、ヒューゴへと伸ばしかけていたその指先が、触れる直前で止まった。

 一瞬、彼のまつ毛が小さく震えた気がした。

  

「おねがいします……こんな状態、見てられなくて。助けてあげたいんです……」

 

 僕の声も震えていた。

 

 ダリルさんは、何か言いかけて……代わりに、そっと僕の肩に手を置く。

 その温度だけが、妙に優しすぎた。

 

 少しの沈黙のあと。

 

 ダリルさんはゆっくりと息を吸い込んで、吐き出して、最後には覚悟を決めたみたいに微笑んだ。

 

「……大丈夫。アシェルくんが『助けたい』って思った子なら……わたしも守りたい」

 

 そう言うと、彼はもう一度ヒューゴへと優しく手を伸ばした。

 迷いなく差し伸べられたその指先が、ヒューゴの手首に触れた瞬間――

 室内の空気が、ふっと変わった気がした。

 

 

 ◇    ◇    ◇

 

「……この反応、たぶん魅了系の第二段階だね」

 

「だ、第二段階……?」

 

 そんな予想外の言葉に、僕は色んな意味で驚愕した。

 ヒューゴの現状の深刻さと、あまりにも専門的過ぎる診断……。

 

 呆けていると、ダリルさんはさらに続けた。

 

「瞳の揺らぎの位置と、言語反応の偏りが……その兆候に、似て…………」

 

 ダリルさんはそこまで言って、何かに気付いたようにハッと目を見開いたあと、数度の瞬きをした。

 その後、僕から目を逸らして小さく咳をする。

 

 その反応に、思うところが無いわけじゃないんだけども……。

 僕はもういいんだ。探らないって決めたから。

 

「ダリルさん、ありがとうございます。僕が相談したから、ほとんどあんな資料しかない中で……そこまで詳しく調べてくれたんですよね?」

 

「えっ? ……あ……あの、それは…………」

 

 場違いに明るく告げると、ダリルさんは困惑したように視線をさまよわせて眉を下げた。

 僕はそんなダリルさんの前に回り込んで、覗き込むように顔を近づける。

 

「ダリルさん、大丈夫?」

 

 ダリルさんは、じり……と、一歩だけ後ろに下がってささやかな距離を取る。

 その動きはとても小さいのに、やけに切実に見えた。

 

 そして、蜂蜜色を瞼でふさいで、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「……アシェルくん」

 

 ふたたび開かれたその瞳は、もう揺れることもなく真っ直ぐに僕を見つめた。

 

「彼の反応は……ちょっと普通じゃないかもしれない。それに……このまま放っておいたら、おそらくヒューゴくんは"壊れてしまう"……」

 

「……え? こわ、れ……?」

 

 放たれた言葉の重さが、瞬時に僕の胸に沈み込む。

 

 ドクドクと脈打ち始めた心臓に身体ごと小さく震えながら、僕の視線はヒューゴの顔とダリルさんの顔を何度も行ったり来たりしていた。

 

「……うん。第一段階は"心の扉が緩むだけ"だけど、第二段階に入ると…………もう、術者の魔力が精神に入り込んで、思考のいくつかが置き換わり始める」

 

 そう説明しながら、ダリルさんはヒューゴの手首にそっと触れ、まるで壊れ物を扱うように魔力の流れを探っていた。

 

「……ほら、ここ。魔力回路の外側に"異質な膜"が張ってるの、分かる?」

 

 そう言われて確かめると、ヒューゴの皮膚の下で、薄い膜のようなものがゆらりと揺らめいているのが分かった。

 

 それはヒューゴ自身の『色』ではなく、明らかに『混ざった魔力』で……。

 僕の背筋がぞくりと震えた。

 

「これが魅了の侵入口……。放っておくと、もう少しで思考そのものを縛られちゃうところだった」

 

「……そんな……!」

 

 思わず弱い悲鳴を上げた僕の背に、ダリルさんの落ち着いた手のひらと声が触れる。

 

「大丈夫だよ。まだ取り返せるから。ただ……今回のケースは、私の魔力だけじゃ対処できない」

 

 その言葉に、僕ははっと顔を上げた。

 

「ダリルさん……にも、出来ないんですか?」

 

 彼はほんの一瞬だけ視線を逸らし、それから小さく頷いた。

 

「魅了魔法は……侵した魔力と、同質の力で中和するか…………もっと()()()()で上書きする必要があるんだ」

 

「清浄……って、聖魔法ですか……?」

 

「そう。本来なら、クリスタぐらいの強い聖属性じゃないと完全には祓えないんだけど……」

 

 そこで、ダリルさんは机の奥に視線を向ける。

 

「これ……クリスタの魔力を借りて作ってみたんだ。解呪用の、微弱だけれど……『特殊な聖属性のキャンディ』だよ」

 

 取り出されたのは、小さな薄金色の飴玉。

 手のひらの上でほのかに淡い光を帯びている。

 

(……ダリルさん、僕が相談したときに……もう……?)

 

 胸がきゅっとなる。

 

「ヒューゴくん、これを舐めてもらえば、魅了の魔力は剥がれる。……ただ、少し複雑な味がするから……苦手かもしれないけど……」

 

 ヒューゴは朧げな瞳でダリルさんを見て、それから僕の方へ顔を寄せてきた。

 彼はこてりと首を傾げて、僕を見つめて呟く。

 

「……アシェルが言うなら……俺は、なんでも……」

 

「ヒューゴ……舐めなきゃだめだよ。僕のためでもあり、きみのためだ」

 

 ダリルさんがピクリと動いた気配がしたけど、僕はヒューゴの変容が心配で振り向けなかった。

 

 そっと、ヒューゴの手にキャンディを渡す。

 

「じゃあ……いくよ。アシェルくん、ヒューゴくんのそばにいてあげてね。完全に意識が戻るまで……絶対に離れないで」

 

 ダリルさんの声は、強く、切実だった。

 

 

 ◇    ◇    ◇

 

 しばらくすると、ヒューゴの瞳の奥に沈んでいた金色の揺らぎがゆるやかに消えていった。

 

 深いエメラルドグリーンから完全に異物が消え去ったとき、ヒューゴは頭を押さえて苦しげに息を吐いた。

 

「……っ、う……」

 

「ヒューゴ! 大丈夫!?」

 

「アシェル? ……すまん。もしや俺は、またお前に迷惑をかけただろうか」

 

 訝しげに眉を寄せながらも、その声はすっかり落ち着いていた。

 魅了で浮きあがっていた熱が、跡形もなく消え去っていることが分かる。

 

 さっきまで僕に寄りかかっていたヒューゴは、体を離して辺りを見回すと……ダリルさんをちらりと見て固まった。

 

「っ…………まさか、アシェルの年上の……?」

 

 妙に戸惑うヒューゴにつられたのか、ダリルさんはそろりと視線を逸らした。

 

 ……なんなのこの空気。

 

 

「…………あっ、そうだ! ヒューゴにも渡さなきゃ!」

 

 大事なことを思い出した僕は、変な沈黙を破って声を上げた。

 そうだよ、カフス!

 むしろヒューゴにこそ渡さないと。

 

 僕はポケットから小さな銀色のカフスを取り出して、

ヒューゴの胸元に握った拳ごと押し付ける。

 

「もう二度と、こんなことになってほしくない。だから……この防護のカフス、ずっと付けてて!」

 

「……防護のカフス……?」

 

「お願いだよ。きみを守るためにも、みんなのためにも。別に何も分からなくってもいいから、今日から付けてて……!」

 

 僕はいつまでも受け取らないヒューゴの手首を取って、その手のひらにカフスを置いた。

 

 ヒューゴはしばらく考え込んでいたけど、やがて小さく頷いた。

 うん。これでひとまず安心できそうかな?

 

「そうだ、ダリルさんのもいま改良しちゃいましょうよ! もうコツは覚えたんで、すぐ出来ますよ!」

 

「え……わたしの……?」

 

「はいっ。もともとはダリルさんのカフスを一番に改良したかったけど、試作で練習する前にやって、壊したりしたらやだなって思ってたから。いまならもうそんな心配いらないですし」

 

 意気込む僕とは対照に、なぜかダリルさんは言葉を失くしたように僕を見つめた。

 

「で、でも……わたしには……」

 

 そこで言葉が止まり、じっとお互いの瞳を見つめる。

 

 ふ……と目元が和らいで、穏やかな声が紡がれた。

 

「……うん。じゃあ、お願いしようかな」

「はいっ! 任せてください!」

 

 食い気味でそう言った僕は、机に道具を広げてダリルさんからカフスを受け取る。

 

 こうして手に取って見てみると、ほんとに僕とアリシアの目とそっくりな色だな……。


(本当に"僕の色"をダリルさんが身に付けてるんだ……)

 

 ふとそんなことを考えながらも、僕は魔道具のカフスを手際よく分解していった。

 ダリルさんは黙って手元を見守っている。

 

 数分のうちに術式改変の刻印が終わり、新しい魔力層が薄く光を放つ。

 んー!やっぱりこの魔刻筆、魔力の通りの滑らかさがハンパないや。

 

「はいっできました!」

 

「やっぱりすごいね、アシェルくん。本当にあっという間だった……」


「うっ…………や、そんな……」

 

(ううぅ……ダリルさんからの『すごい』は、毎回うれしすぎてむり! 息止まるかと思った……)

 

 ありがとう、と微笑むダリルさんに、僕の胸はただ純粋な"恋"だけで高鳴った。

 

 

 ヒューゴはまた透明人間になっていた。

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

(何度でも恋に落ちるアシェルくん……)

よければまたアシェルに会いに来てくださいね!


☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。

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