七話◆頼れる人は
よく分かんないけど、見つかっちゃいけない気がした
その金色の揺らめきを見た瞬間、一瞬にして僕の背筋に冷たいものが走り抜けた。
(やばい……ヒューゴ、完全に"また"かけられてる……! 今は一刻も早く、誰にも見つからないようにしなきゃ……)
固唾を飲み込んだその時。
――バンッ!!
廊下の奥で扉が弾け飛んだ。
もう分かる。音だけで分かる。
いま一番見つかっちゃいけない人だ……!
「特殊な揺らぎが! 魔力反応が! アシェル・ガルブレイス君の魔力の気配もするな!? そこで待っていたまえ!」
…………最悪だ!
なんて嗅覚なんだ……捕まる前に早くヒューゴを連れて逃げないと!
(……今だけは、何がなんでもダミアン・キャンセルしないといけない……!)
どくどくと鼓膜まで響く鼓動さえも、僕をさらに急き立てる。
迷っている暇はない。僕は有無を言わさずヒューゴの手を引いた。
「行くよヒューゴ! ついてきて!」
「……っ、ああ……」
ふらつきながらも、ヒューゴは大人しく僕に引っ張られるまま走った。
二人で校舎の影へと駆け込む。
背後ではダミアン先生の叫び声が響いていた。
「先程の見たことがない類の波形はレストレンジ君のものではなかったか!? 何処だ! ぜひとも近くで観察を──」
遠目に見える先生は、手元の変な機械を見つめながら、じわじわとこっちに迫ってくる。
お陰で僕とヒューゴは姿を見られずに済んだけど、あの機械はヤバい気がする……!
(……ほんっと! 先生ってば、こういうとこなんだよなぁ!?)
草木に紛れて庭を駆け抜け、僕らはそのまま普段はあまり使われていない掃除用倉庫へ滑り込んだ。
どこか湿り気のある暗がりの中でようやく立ち止まり、ヒューゴの肩を支える。
「ヒューゴ、大丈夫……?」
「ぁ? ……ああ。お前が触れていると、安心する……」
「……っ!」
ヒューゴの表情はどこかとろりとしていて、空虚な瞳に微かな金色だけが異質にきらめいてきた。
(なんだよこれ……。昨日より酷くなってるじゃないか! まさか昨日の魅了は消えたと思ってたけど、蓄積されてるのか? ……手遅れになる前に何とかしないと!)
でも今は何より、レイナにも、ダミアン先生にも見つからないように隠すことが最優先事項だった。
僕はヒューゴの手を決意と共に強く握る。
「しばらくここにいよう。絶対に僕が守るから」
さっきは気付かなかったけど、僕が手を触れた瞬間に、まるで魔力に共鳴するみたいに瞳の不純物が揺らめいた。
ヒューゴは目を細め、まるで猫が懐く時のような表情になる。
「……アシェル。俺は、守られるほど弱くはないが……お前に"守る"と言われるのは……心地良いな……」
あり得ない反応に、胸がきゅっと締め付けられる。
強さに真っ直ぐ挑むプライドの高いヒューゴが。
本来の意思とは関係なく、こんな言葉を吐いてしまうような状態にされるなんて……。
(ヒューゴって、頑固に見えても根っこの部分は素直だから。レイナにとっては遊び半分なくらいチョロかったんだろうけど…………これは許せることじゃない)
倉庫の外で、先生が僕らを探す声が遠く響く。
それを聞いた僕は、無意識にヒューゴを庇うように引き寄せていた。
「ヒューゴ。もう大丈夫だから。僕が絶対に君を助けるよ」
そんな僕の呟きに、返事の言葉の代わりに黄金色がふわりと揺れた。
頬に赤みが刺したヒューゴが、戸惑うように視線を彷徨わせた。
(…………こんなの、見ていられないよ……)
いよいよ奥の手を使うしかないと覚悟を決める。
ゆっくりと息を整えて、僕は胸元のポケットに指を差し入れた。
――影の呼び笛。
Jが持たせてくれたその笛は、僕やアリシアにはなんの音も聞こえない、影の秘密道具だった。
気軽に使っていいものじゃないのは分かってるけど……いまこそその時だと思うから。
(お願いっ、J……来て……!)
息を吸い、笛の孔にそっと触れ、祈りを込めて吹き込んだ。
空気が震える感覚だけが、かすかに伝わった。
僕の耳には、案の定何も聞こえない。
「……アシェル? 何を……」
「ちょっと待って、ヒューゴ。すぐ……すぐ助けが来るから」
そう言いながら、ヒューゴの肩を支え直した瞬間だった。
――もわん、と空気が歪んだ。
肌に馴染むほど感じた、いつもの揺らぎ。
その感触だけでもう近くにいるのが分かって、僕は辺りを注意深く観察した。
なんとなく空気の質が違う場所がある。
倉庫の奥の陰が、液体みたいに揺れて。そこから何かが……いや、誰かが抜け出した。
黒い気配。気配の形をした存在。
(Jだ! 来てくれた……!)
Jが現れたその一瞬で、触れる空気がほんのわずかに冷たくなる。
僕が何か言うより早く、Jの気配は僕の正面へ――
「いっ……!?」
姿の見えないJから突然のデコピンを喰らい、痛みが額に弾ける。
あまりの痛さに涙目になりながら、僕は反射的に両手でおでこを押さえた。
「いっ、いきなり何すんのJ!」
返事はなかったけれど、わずかに苛立ちの気配だけが強まるのを感じた。
(……あ、これ完全に怒ってるやつだ……)
「ごっ、ごめん……! ほんとごめん! 急に人前に呼んじゃったのは悪かったよ! でも緊急事態なんだってば……!」
必死で謝ると、Jの気配がすうっと静まっていくのが分かった。
……これは『理由を話せ』って言ってるんだろうな。
「そう、あの……ヒューゴがレイナにまた魅了されちゃって。なんか昨日より悪化してるみたいでさ、しかもなんか、僕の前だとちょっと変なことばっか言うし! もうほんとやばいの!」
「……アシェル……呼んだか?」
「喋らないでヒューゴ! 今はちょっと黙ってて!」
ヒューゴが僕の袖を掴もうとした指先を、やんわりと逸らして握り込む。
Jの気配が、僕とヒューゴを一瞥したように揺れた。
次の瞬間。
――もわん。
また空間が静かに歪み、今度は僕ら全員を包むように"影の隠匿"の魔力が覆いかぶさった。
(張ってくれた……! ありがとうJ!)
影の魔法は強力だけど、万能なんかじゃない。
本当はこんな風に複数に行使するなんて、いくらJでもきっと無理してる……。
ごめんね、J。ありがとう。
泣き落としの件はもうチャラにするから、許してね。
「J、出口までの補助お願いできる? ヒューゴをここから連れ出したいんだ」
無言のまま、影だけが奥の壁へと染み込んでいく。
道を示すように、淡い黒の流れが揺れた。
僕はお互いに見えなくなってしまったヒューゴの手をぎゅっと握る。
「ヒューゴ、絶対に手を離しちゃだめだよ。僕たちはいま、自分のことすら目に見えないから、離れたら迷子になっちゃう」
「……分かった。アシェルの手を離さない……」
危うい足取りのまま、ヒューゴは僕の手を頼りに歩き出した。
その瞳の奥には、まだ一滴の蜂蜜が沈んでいた。
(大丈夫。ダリルさんのところまで行ければ……きっと何とかなる……!)
倉庫の扉を、視認できない気配がそっと押し開けた。
外の気配が完全に遮断されていて、きっと、Jが全部隠してくれてるんだと思う。
「……よし、行こう」
僕はヒューゴの手を引き、影の流れに導かれながら、一歩踏み出した。
向かう先は――
ダリルさんの研究室。
その場所だけが、いまの僕らにとって唯一の"安全地帯"だったから。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(こんなですけど、ヒューゴからアシェルへ恋愛感情は皆無です……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




