五話◆今から職人になります
悩んだ末に
先生の研究室から出たあと、僕は人気の少ない渡り廊下を歩いていた。
ぽつりぽつりと歩いているうちに、ようやく地面に足がつく感覚が戻ってきたような気がする。
だけど、胸の中でざわついていた影はまだ完全には消えていなかった。
(……もし、もし本当に『何か』があったとしても)
足を止め、そっと目を閉じる。
脳裏にはダリルさんの笑顔が浮かんだ。
僕の名前を呼ぶ声。
困った時に差し伸べてくれた手。
――いつも一番に信じてくれた、優しい笑顔。
(……やっぱり違う。他の誰がそうであっても、僕があの人を疑うなんて……おかしいよ)
たとえ秘密があったとしても。
たとえ僕に見せていない一面があったとしても。
そんなの、誰にだってある。
「……うん。大丈夫」
口に出した途端、胸の重たさが少し解けた。
前に僕が言ったじゃないか。
(……無理に秘密を暴かなくても、大事な人は、大事なままでいいんだ)
それは誰かのための言葉じゃなくて、
たぶん僕自身がずっとそうありたかったから、出てきた言葉なんだと思う。
ダリルさんが何者でも。
どんな秘密を抱えていても。
全部ひっくるめて、『ダリルさん』なんだ。
「……僕は。ダリルさんだから、好きなんだよ」
そう呟いた瞬間、心を覆いかけていた暗闇が、うそみたいに晴れていった。
うん、悩むだけ無駄だったな。答えなんて最初から決まってたんだから。
(それに、あの人は魅了なんかに頼る人じゃない)
胸の奥に、静かな確信が戻ってくる。
前を向いた僕には、もう迷う必要なんてなかった。
◇ ◇ ◇
「ダリルさんっ! 試作用のカフス大量に仕入れたんで、思う存分やっちゃいましょう!」
放課後。完全に吹っ切れた僕は、意気揚々と研究室の扉を開けた。
「ふふっ、アシェルくんは今日も元気だね?」
「本当に。ダリルの前だと、いつもよりさらに明るくなるんだな…………アシェル。今日は僕もお邪魔しているよ」
「えっ、兄様!? ど、どうしたんですか?」
高等部三年生ともなると、もはや授業というより卒業課題をしに来ているようなもの。そう言ってたから、ダリルさんが先に研究室に来ているのは分かってたけど……。
なんでカーティス兄様が?
いや、確実に頼りにしたいタイミングではあるんだけど、なんていうか……。例の高度な遊びを聞いたあとだと、二人並んでるだけでもムッとしちゃいそう……。
「アシェルが魔道具に術式を刻むというから、ぜひ一度見てみたくてね」
「そうなんですね……。あの、カフスの術式をこっちのに変えちゃおうと思ってるんですけど……これって兄様とダリルさんが改編したんですよね」
「うん? …………そうだね。確かに僕とダリルが改編に夢中になっていたときの物だ……懐かしいな」
兄様はそう言うと、僕が差し出した『改良版・精神防護術式』の設計図を見て目を細めた。
「あれ。ここ、ちょっと記憶と違うね。もしかしてダリルが直したのかい?」
「え? ……ああ! うん、ちょっと気になって」
「流石だね、ダリル。前よりずっと良くなってる」
んなあああああ! だからそーゆーのやめってて、いつも言ってるんだけどなああああっ!?
……言ってないけど。
二人で僕の知らない思い出とか知識とかで盛り上がるのやめて欲しい。
「あ。アシェルくん拗ねちゃった……」
「……そんなつもりじゃなかったんだけど……悪いことをしてしまったみたいだね」
兄様が悪いわけじゃないのは分かってるけど、今日だってほんとはふたりきりで……。
「アシェルくん? ごめんね、話がそれちゃったよね」
「ぷ! ………………うわっ、ダリルさんっ!?」
ダリルさんが、どうやら膨らんでいたらしい僕のほっぺたに指をつんとするものだから、空気が漏れて変な音が出てしまった。
なんてことするんですか! 色々と恥ずかしい……!
「あ、戻ったね。アシェルくんのいつもの顔」
「……なにするんですか…………も、いいです。早く試しちゃいましょう……」
なんだか一気に疲れた気がするけど、どうしたってダリルさんには勝てっこないし、もういいや。
諦めた僕は、小さな箱に入っていたカフスを机の上に無造作に広げる。
「そういえば。これ、カフスを受け取った時にグウェインさんがくれたんです。一応自分のがあったんですけど、それより桁違いに性能が良さそうなんですよ……」
そう言って、僕は胸元の内ポケットに入れていた『魔刻筆』を取り出して二人に見せる。
ガルブレイスの専属魔道具師であるグウェインさんとはもう七年の付き合いだし、腕輪のメンテナンスをしてくれてた頃からかなり仲良くはしてるんだけど……。
「これは……また随分と質の高い魔刻筆を貰ったものだね」
「…………そうなんですよ。兄様、ガルブレイスから何かお返しできませんか? 僕からじゃ辞退もお礼も受け取ってくれなくて……」
「うん……父上にも相談しようか」
このペン、高価というよりは希少過ぎて、さすがにちょっとひいてる。
まあ、受け取ってしまったからには、ありがたく使わせてもらうけどね?
「そのペンそんなに凄いものなの? わたし、刻印の素質はないから、ペンの性能まで気にしたことなかった……!」
「それ意外なんですよね。ダリルさんって、こういう感覚系の作業も得意そうなのに」
魔刻筆というのは――
基本的な使い方として、インクの代わりに使用者の魔力を流し込んで、理論上で構築した魔法式を媒体に刻むためのペンで。
修正なんかの時には、刻まれている魔法式から該当箇所の魔力だけを丁寧に吸い出す事で消しゴム代わりにもなる、完全に『魔道具を作るため』だけに生まれた魔道具師の必需品だ。
「まあ、僕もダリルも『術式の構築・編纂』には適性があっても、感覚型の作業である刻印には向いていないって事だね」
「うーん……僕はそうは思えないんですけど……」
兄様の言葉も確かに一理あるのかもしれないけど。
やっぱり僕は、ダリルさんは感覚的な魔力操作も得意なはずだと思うんだけどなぁ。
「そんな風に言ってくれて嬉しいけど……さすがに買い被りすぎだよ、アシェルくん」
「いやいやそんなことは…………はっ! ダリルさんってもしかして、常に聖の魔力でも漏れ出してるんじゃないですか!? それで属性無しの魔力しか受け付けない魔刻筆と相性が悪いのかも……!」
――だって女神だし!
「えっ……?」
なぜかダリルさんは、僕の言葉に固まってしまった。
いまちゃんと、女神は口に出さずに踏み止まったはずだよね? また出てた……?
「あの、ダリルさん……?」
俯きがちになってしまったダリルさんの顔色を、身体ごと首を傾けて斜め下から覗き込む。
戸惑っているのか、彼の濃い蜂蜜色はゆらゆらと揺蕩うように揺れていた。
…………これがどういう事なのか、僕はもう知るつもりはないから。
「アシェルくんっ!? い、今は――」
「大丈夫だよ、ダリルさん」
「えっ? いや、だから……」
「もし本当に何かの魔力が漏れてたとしても、それで刻印ができないんだとしても。ダリルさんは他にももっといっぱい凄いことが出来るんですから!」
「…………アシェル、くん……」
揺らぎの消えたダリルさんの瞳は、本当に澄んだ蜂蜜みたいにきれいだった。
「そうだよ、ダリル。感覚的なことはアシェルに任せて、僕達は知識でアシェルの役に立とう。……それでいいじゃないか」
兄様も、何か察したかのようにそんなことを言う。
最後に美味しいところを持って行かれた気もするけど、そんなこと気にしたら負けだ……!
「それじゃ、僕は今から職人になりますので! お二人はそこで見ていてくださいっ」
まだまだ二人には敵いそうにないことを悟った僕は、ちょっと意地を張った宣言をすると、腕まくりをしてカフスとペンを手に取った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(ここもずっと書きたかったところです……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




