【Past Day 6 】始まりの恐怖 ーSIDE Darylー
※過去回想からさらに過去回想に入ります。
(ややこしい構成ですみません)
あの夏――
わたしは初めて『自分の魔法が誰かを傷つけうるもの』であることを知った。
その日の中等部の古い演習塔は、いつもよりずっと静かで、風の音すら遠く感じられた。
アシェルくんは知らない。できればずっと知らないままでいて欲しい。
わたしの瞳が、本当に『蜂蜜色の秘密』を宿してしまったことを。
そして、よりにもよってカーティスにその『秘密』を向けてしまったことも……。
◇ ◇ ◇
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
ふと視線を上げたとき、扉の向こうに立っていたカーティスと目が合った。
でも彼は、なぜか目を逸らそうとはしなかった。
わたしの瞳を真っすぐに見つめたまま、何かを確かめるように……まるで縫い止められたかのようにその場で固まっていた。
「……カーティス?」
声をかけたら、彼はようやく影が落ちたように瞬きをして。
わたしをじっと見つめたまま小さく呟いた。
「ダリル? 今の……その、黄金色の……揺らぎは……」
その言葉に、胸の奥がひどく冷たくなる。
――まただ。
わたし、また気づかないうちに……。
慌てて視線を落とすと、いつもの眼鏡をかけていなかった。
さっき、細かい術式の確認でほんの少し外しただけのはずだったのに。
「ごめん、カーティス……大丈夫。もう収まったから」
「本当に大丈夫……なのかい?」
カーティスの声はわたしを責めるようなものではなく、ただ、友人としての心配だけがにじんでいて。
だからこそ余計に胸が痛んだ。
カーティスには、このことは知られたくなかった。
彼はわたしにとってずっと傍にいてくれた大切な親友で、アシェルくんにとっても、きっと心から安心できる素敵なお兄さんで。
そんな彼に、わたしの『あれ』を見せてしまった。
「……本当に、平気だよ。気にしないで」
そう取り繕ったけれど、カーティスはかすかに眉を寄せたまま動かない。
わたしの言葉より、さっき見た『揺らぎ』の方を信じてしまっている目だった。
「ねぇダリル。君……『前にもこういうこと』があったんじゃないか?」
その瞬間、わたしは呼吸を忘れて……無意識のうちに一歩後ずさりしていた。
胸の奥で、ずっと封じ込めてきた記憶が――
ひび割れた瓶の隙間から、音を立ててこぼれ出す。
…………いやだ。
だめ、思い出したくない……!
だけど止められない。
あの時の光景が、色も音も匂いもそのままに、鮮明に蘇ってくる――
◇ ◇ ◇
初めてソレが起こったのは、二年前。
わたしが前世の記憶を取り戻してから、五年ほど経った頃だった。
その日は、ただ夕方の書斎で新しい魔法書を読んでいただけだった。
外の風が強くて、窓の隙間から鈴みたいな音がしていたことを、なぜか今でも覚えている。
ドアをノックして、使用人のひとりが入ってきた。
年はまだ若く、いつも穏やかに笑う、優しい人だった。
「ダリル坊ちゃま。お茶をお持ちしました」
そう言った彼が、盆を置いた瞬間。
わたしが何かしたわけではないのに、なにかがふるりと揺れた。
空気が沈むような、変に湿った気配。
胸の奥に、ざらりとした違和感。
――嫌な予感がした。
でも、気づいた時にはもう手遅れで。
「……ダリル、さま……」
呼びかけられて顔を上げると、彼はわたしを見ていなかった。
ううん、見てはいたのかもしれないけれど……普通の目じゃなかった。
焦点が合っていないのに、やけに熱を帯びた瞳。
口元だけがかすかに笑っている。
盆の縁を握る手が震え、なにかを堪えているみたいに見えた。
「どう、したの……?」
声が震えた。
けれど、問いかけた瞬間、彼はかすれた声で言った。
「ああ…………坊ちゃまのためならば……なんでも……」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
その『異様な変容の仕方』を、わたしは知っていた。
前世で読んだ物語の中で、何度も似たような状況を見てきたから。
それは『魅了に支配された者』に起こり得る変化に見えてならなかった。
ありえない。
わたしは、そんなの使っていない。望んでいない。
そんな力なんて、あるはずないのに。
「やめて……どうしたの、本当に……」
「ダリルさまは……わたくしめの……」
彼の言葉は途中で歪み、足下がふらつき始めたかと思うと、盆ごと床に崩れ落ちた。
ガシャンと陶器が砕ける激しい音が響いたけど、わたしはそれどころじゃなかった。
…………こわい。
怖い、怖い怖い怖い………………!
喉が焼けるほど叫びたかったのに、声が出なかった。
おそらくわたしのせいで、あの人は壊れてしまった。
わたしのせいで?
その時、物音を聞きつけて飛び込んできたのは、義母であるマリアさんだった。
「ダリル……! これは――」
マリアさんはわたしの目を見て、それから部屋の惨状を見渡して、すぐに状況を理解したようだった。
彼女は崩れ落ちた使用人に駆け寄りながら、決してわたしには向けられてこなかった厳しい目をしていた。
「……ダリル、そんなまさか! あなた……魅了が開きかけているの…………?」
「み………………み、りょう……?」
マリアさんの口からでた魅了という言葉に、やっぱり……という気持ちと、認めたくない恐怖が募る。
「やだ……いやだ! ……わ、わたしは……わたし、そんなつもりじゃ……!」
「……大丈夫よ。あなたが自分から魅了を使ったわけじゃないことは、分かっているわ。だから落ち着いて……」
マリアさんは、取り乱して叫ぶわたしの肩をそっと抱き寄せてくれた。
「あなたの魅了は…………色々と"正常ではない"。魅了の魔眼というのは、本来は発動させる意思があって初めて働く力……それに、女系にしか顕現しないはずの…………それなのに、あなたは――」
マリアさんの苦い声が、動揺に震える。
色々と正常ではない。
その言葉は、わたしの心の奥底まで、深く深く突き刺さった。
「今のあなたは、意識しないまま、魅了の力を垂れ流してしまっているわ」
喉の奥がぎゅっと痛くなった。
心臓がつぶれそうだった。
「わたし、は、誰も傷つけたくない…………普通に、暮らしたい……!」
「ああ……ダリル、泣かないで……」
マリアさんは優しかった。
だからこそ、余計に苦しかった。
「これはあなたの責任じゃない。けれど、守らなければいけない。あなた自身を。あなたの周りの人を。そのために――"抑制する方法"を探しましょう」
それが、魔力遮断の術式を刻んだ特注の眼鏡を作るきっかけだった。
あの日から、わたしは心に誓った。
二度と、誰も狂わせたくない。
誰にも知られないように、力を隠し通してみせる。
――特に、アシェルくんには。
純粋な眼差しで、わたしをまっすぐに信じてくれるあの子だけには、絶対に。
胸の底に沈めた誓いは、今もまだ強い痛みを伴う傷のままだった。
◇ ◇ ◇
「あの子はしばらく療養させるわ。あなたが気に病む必要はないの。でも……同じことが再び起きないようにしないといけない」
その後、マリアさんはそう言って使用人を連れていった。
わたしは書斎に取り残されて、床に染みていく紅茶の匂いだけが部屋に沈んでいた。
胸の奥で、なにかがかすかに軋んでいた。
誰も傷つけたくなかった。
ただ前世の記憶と魔法を学ぶ楽しさの中で、静かに暮らしたかっただけなのに。
夜になると、マリアさんの部屋に呼ばれた。
「ダリル。あなたの目をよく見せてみて」
わたしは素直に従った。
マリアさんはそっと手を伸ばし、わたしの瞳を確かめたあと、眉を寄せた。
「……ほんの少し、魔力がにじんでいるのがわかる?」
「……うん。なんとなく……」
「これが『いびつな発現』よ。本来、魅了の魔眼は意思が引き金になる。でもあなたは……意思ではなく、感情や気配だけで発動し始めてしまうのね……。このままでは、あなたが普通に人と目を合わせるだけで、影響が出てしまうわ」
信じられないような言葉に意識が遠のきそうだった。
わたしの何気ない眼差しで、いつか誰かがまた壊れてしまうかもしれない……?
そんな想像をしただけで、胃の奥が痛くなって、逆流しそうな熱が蠢めく。
「……どうしたら、止められるの?」
「方法ならあるのよ。魔力遮断の術式を"瞳に干渉しない形"で、魔道具として組み込むの。そうね……眼鏡が良いと思うわ」
思いも寄らない答えだった。
でも、マリアさんの声はとても落ち着いていた。
「素材と術式はすぐに準備するわ。ダリル……あなた自身を責めないで。これは呪いでも罪でもない。あなたが生まれ持った『性質』のひとつでしかないの」
「……でも、怖いよ。わたし、また誰かを……」
「大丈夫。わたしが必ず守るから」
優しい声だった。
けれど同時に、それは"隠さなければならない力"だという宣告でもあった。
◇ ◇ ◇
魔道具であるその眼鏡が完成したのは、それから数週間後のことだった。
黒縁でも銀縁でもない、精巧な魔術細工があしらわれた細い金のフレーム。
手に持つだけで、微弱な魔力の振動が伝わってくる。
「掛けてごらんなさい」
言われた通りに掛けると、不思議なほど世界が澄んで見えた。
「……視界が……軽い」
「遮断術式が正常に働いている証拠ね。これなら、よほど強い感情の変化でもしない限り『魅了』は外に漏れないわ」
安心と、同時に……深い孤独が胸を締めつけた。
――わたしは、この先ずっと"隠して生きる"のだ。
そう思うと、静かに涙がにじんだ。
けれど、その孤独はすぐに別の気配に揺さぶられて形を変えていった。
アシェルくん。
あの子は、わたしの隠し事には気づかないまま、ただまっすぐに近付いてくる。
「ダリルさん、今日も教えてくれませんか?」
「この前の続きが解けたんです。見てください!」
「……ダリルさんは、ほんとにすごいです」
毎週の書庫訪問。
夏休みの勉強会。
タルトを作った時の、あの楽しそうな彼の顔。
眼鏡の奥で、わたしは密かに怯えていた。
――わたしの目を、まっすぐに見上げてくるその瞳がいちばん怖い。
魅了なんてかけたくない。
わたしなんかのせいで、アシェルくんに何か起こってしまうなんて耐えられない。
でも。
あの子は、どんどん大人に近付いていった。
「……ダリルさんの隣に立ちたくて、頑張ってるんだから」
そんな言葉を、真っ直ぐに言える少年に。
わたしよりもずっと速く、未来へ駆け出していく背中に。
気づけば目が離せなくなっていた。
怖いのに。
離れたいのに。
でも、距離を置くことなんてできなかった。
胸の奥で、二つの気持ちがせめぎ合いを続けた。
――「傷つけたくない」
――「離れたくない」
その矛盾の狭間で、わたしの心はゆっくりと軋み始めた。
◇ ◇ ◇
そして、その矛盾がついに限界を越えてしまいそうな、そんな時だった。
滅多に人の来ない唯一の癒し。
束の間の安らぎを求めた静かな書庫で。
古い木箱の上にふわりと舞い降りた、小さな紙切れが――
わたしを、呼んだ。
【 アナタ こレ よメル ヒト ? 】
背筋が凍りつくような、"声"が聞こえた気がした。
いびつな日本語で書かれたそのメモが、わたしを『魅了』とはまた別の恐怖へと誘った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(ダリルさん……まだイジめるけど強く生きて……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




