十六話◇2センチ足らずの難問
チートじゃなかった
魔力圧縮の研究が栄えある賞を授与されたあの日から、ずいぶんと月日が流れていた。
僕はふと、勢いあまって彼を抱きしめた時のことを思い返す。
腕の中で硬直していたダリルさんは、数秒後に正気を取り戻すと僕の身体を強く押し退けた。
頬を通り越して耳たぶまで桜色に染めながら、彼は僕に「もう小さな子供じゃないんだから、こんなふうに簡単に抱きついたりしちゃいけないよ」と、諭すように優しく言った。
「簡単になんか……」
「だめだよアシェルくん。ダメ、なんだ」
やんわりと僕の言葉を遮って、ダリルさんは困ったような顔で笑った。
もちろん淋しくもあるけど、僕の胸はそれ以上に密かな充足感で満たされていった。
(……やっと、ダリルさんの口から「小さな子供じゃない」って言葉が聞けた……!)
長年の願いがようやく一つ成就して、なんだかすごくドキドキしてどうしようもなかった。
物理的な距離感でいえば『完全に子供扱い』されていた時より遠のいてしまったのかもしれないけど、少しでも"対等"に近づけたような気がして、今はもうそれだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
そして冬季休暇も目前に迫った秋の終わり頃には。
「アシュ、何度も言わせないで。いい加減に締まりのない顔を晒すのはやめなさい」
「いてっ! …………ご、ごめん、リシュ」
扇子で小突かれた額をさすりながらアリシアに謝ると、彼女は呆れを乗せた瞳をわずかに眇めた。
これはお説教が始まる前兆だと、僕は知っていた。
「貴方、魔法界を変えてしまうほどの素晴らしい研究をいくつも発表している事の影響力をご存知かしら。以前より増して注目を集めているという自覚を持ちなさい」
「うん…………それは分かってるんだけど……どうしても顔がニヤけちゃうっていうか」
そう言いながら、僕が合わせた人差し指に視線を落としていると、アリシアが小さく溜め息を吐いた。
「まったく、仕方のない人ね……。確かに『近寄り難い孤高の天才』ではなく『どこか間の抜けた奇才』の貴方だからこそ、周りに沢山の人が集まってくるのよね」
「ねえ、それ褒めてないよね?」
思いのほか早くお説教が終わった事は良かったけれど、定期的にディスってくるのは如何なものかと僕が不満に思っていたら。
「あら、これでも一応褒めているのよ。わたくしの自慢のアシェルお兄様?」
「えっ、アリシア!? お兄様なんて一度も……」
「やだ……自分でも寒気がしたわ。二度と言うことは無いでしょうね……」
そんな風に、最初で最後になりそうなアリシアからの「お兄様」呼びに驚いた、なんて事もあった。
◇ ◇ ◇
冬休みも明けて、周りも少しずつ進級に向けて意識し始めていたある日の放課後。
極めて珍しくダミアン先生から逃げおおせた僕は、友人たちと中庭でのんびり談笑していた。
「そういえばヒューゴ、また髪伸ばしてるの? どうせ夏には切っちゃうくせに」
「その為に伸ばしていると言っても過言では無い」
今年もまた、夏季休暇の帰省を拒否する為に髪束を添えた脅迫文を実家に送り付けていたヒューゴ。
やり過ぎなくらいに短く切られた髪に笑ったというのに、今ではかろうじて髪紐で纏められるほどに伸びていた。
「可哀想だからもうやめてあげて欲しいっス! 今じゃオレにまで手紙来るんスよ? なんとか説得して欲しいって……」
「それはすまないと思うが、夏は帰らない」
「あの…………ヒューゴくんは、冬季休暇には帰省してるのに、どうして夏には帰りたくないんですか?」
「……それは…………」
ブレインくんの訴えをバッサリと切り捨てたヒューゴは、ニールくんの問い掛けにはなぜだか口ごもった。
三人の視線がヒューゴに集まる。
ヒューゴは眉間に深い皺を刻んで、心底嫌そうに「暑苦しい……」と吐き捨てた。
「え?」
「…………冬はまだしも、夏は本当に地獄だ……半裸でベタベタとしつこく纏わりついてくるむさ苦しい兄貴どもに耐えられない! …………いつか絶対にあいつらを叩きのめしてやる……完膚無きまでに」
暗い瞳で呪詛のように吐かれた言葉に、僕らはそれ以上何も言えなくなった。
「……………………」
居た堪れない沈黙を破ったのは、こちらに駆けてくるクロードの呼び声だった。
「おーいアシェル……! やっと見つけた」
「クロード?」
「お前らこんなとこに居たのかよー? 無駄なとこばっか探しちまったぜ」
そう言いながら僕の隣まで走ってきたクロードは、「ふう」と一呼吸だけで息を整え、肩を組むように僕を捕らえると、そのままヒューゴたちに声をかけた。
「なあ、ちょっとコイツ借りていい?」
そんなクロードの言葉に、僕らはきょとんと目を瞬かせた。
なんにしても、きまずい空気を払ってくれた彼の存在はありがたかった。
借りると言った割にはクロードはさほど離れることもなく、まだみんなが見えている木陰で話し始めた。
「なあ、お前のアレ! 魔力圧縮のやつ、すげーよな!? 今じゃ騎士団でもみんなやってる」
「ほんと光栄だね。ちょっと、持ち上げられすぎてたまに困るけど」
「お前の色んなとこでの扱い……マジですごいもんな。……って、そんなことより『わたーめなんちゃら』だよ!」
「わたあめ凝縮理論ね」
「あー、それ。難しい理論は分かんなかったけど、お前が感覚で教えてくれてからすげぇやりやすいんだ。ずっと続けてたらなんか俺、わたーめ極めたんじゃねぇかって気がしてさ……!」
「え、そんなに上手くいってるなら良かったじゃん! それ言いにきたの? ……あと、わたあめね?」
「ん…………そうといえばそうなんだけど」
それくらいなら別にみんなの前でも良かったんじゃないの?
そう思っていたら、ふとクロードが何かを指でつまんで見せてきた。
「なあアシェル。お前これどう思う?」
「………………は……」
それは僕の生み出した青い魔石によく似た、赤みの強いオレンジ色をした結晶だった。
「うっ…………そでしょ!? クロード、まじっ…………え? ええぇ? …………マジかぁ」
「なっ、なんだよアシェル?」
なるほど。
つまり――
僕の魔力がおかしいんじゃなくて『理論の理解よりも極端に感覚にだけ特化した者』が限界点を越えても圧縮を続けようとすると結晶化が起こっちゃう可能性がある訳ね?
「……これやっぱまずいのか? なんかブワッてなったらドパーってなって、なんか勝手に手に持ってたんだけどよぉ……」
感覚を掴んでしまった脳筋(僕は違うと信じたい)は危険だから、『限界点まで到達すると些細な変化が起こり得るので違和感を覚えたら即座に圧縮を中断させる事』という警告文だけじゃ十分じゃなかったということは!
「なあ、俺どうしたら……」
書面には『この警告を無視して魔力圧縮を続けようものなら当方はそれに対する一切の責任を放棄する』という更なる警告文を入れ込まないといけなかったんだね!
「なるほどなるほど。分かりました、完成したと思ってたけど未完成だったんだ。ほんとーにありがとうございまーーーーーす!」
「うわ!? 急にどうしたんだよ!」
驚いて仰反るクロードの両肩に手を添えて、真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。
「クロード。こうなる直前に、違和感が無かった?」
「え? ああ…………確かになんか変だったな。ピキッと来るっつうか、なんかヤバそうだったかもしんねえ」
「それが限界点だから。二度とその線を越えちゃダメだ。分かった?」
「あ……うん…………」
戸惑いながらも素直に返事をするクロードに、もう一つ大事なことを告げる。
「このことは一旦僕に預けて黙ってて。この結晶も、僕が持ってていいかな?」
「わ、わかった。なぁ、ほんとに大丈夫なのか?俺なんかやらかしたんじゃねぇの?」
「大丈夫だから、二度と限界は越えないでね。出来るだけ早く調べてみるから」
クロードとそんな約束を交わして、僕らは別々の帰路に着いた。
馬車の中で、僕はすでに完成させたと思い上がっていた『わたあめ凝縮理論』について考えていた。
「こうなった以上は、また同じ事象が起こる前にきちんと可能性を開示しておかなきゃ……」
(もうすぐ進級だし、新学期が始まる前には見直しと準備を整えておきたいなぁ)
これからまた、しばらくは研究漬けで忙しく過ごすことが決定事項となった僕は、苦笑いを浮かべて窓の外を眺めた。
(クラウスと、ゼノと。フェリクスは……声かけるだはかけるとして。ダリルさんにも相談に乗ってもらいたいなぁ……。あわよくば今度こそ正式に研究チームの一員になってくれたりしないかな……?)
あの時は別々に発表会に参加していたから、ダリルさんの名前は載せられなかったけど。
途中から監視役としてずっとそばで見ていてくれた彼は、多分、なかなか顔を出せなかったフェリクスよりも僕らの研究テーマに精通していたと思う。
「……うん。とにかく……年度が変わったら、真っ先にダリルさんのところに行こう」
事情が事情だというのに、僕というやつは、これでまた公式的にダリルさんに会いに行く口実ができたなぁなんて場違いなことを考えていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(クロードとヒューゴの脳筋ズ……好きです)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




