十二話◇それぞれのスキマ【SIDE K/A】
**前半がクラウス視点で、後半はアシェル視点に切り替わります**
【SIDE Klaus】
アシェル君がキャンベル先生に攫われてから、二日目の夜だった。
研究棟は、静寂に包まれていて。
隣室の302号室も、今日はずいぶんと早い時間から明かりが消えていた。
いつも夜遅くまで作業しているフローレス殿らしくないなぁと、なんとなくそんなことを思った。
斯くいう僕も僕で、らしくもなくいつもより夜更かししてしまっているけれど。
「……ニコ、もう寝ろ。この二日間、殆ど睡眠を取ってないだろう」
素っ気ない口調とは裏腹に、ゼノが僕に温かい飲み物を差し出してくる。
母国を出ると決めた時に"置いてきた"ミドルネームを呼ぶのは、もう彼しかいない。
「ありがとう、ゼノ。大丈夫だよ。ただ……アシェル君の『わたあめ凝縮理論』の不足部分をどうにかしたくて…………ほんと、わたあめってなんだろうね?」
(ほんとはそれだけじゃないんだ、ゼノ。アシェル君がいないと研究室が静かすぎて。毎日来ていた彼がいない……それだけの事がこんなに耐え難いだなんて)
僕は友人の不在に淋しさを感じていたけれど。
それは、彼が僕の友人であることが嬉しいという気持ちと比例しているらしい。
その夜、フローレス殿が珍しく僕達の研究室の前を通り過ぎる気配が何度かあった。
僕は立ち上がって、ドアを開けてみた。
廊下には、思った通りフローレス殿が立っていて。
彼は僕に気づくと、一瞬バツが悪そうな顔をして、すぐに冷静さを装った。
「こんばんは、クラウス殿下。えと、少し……疲れたので休憩でもしようかと…………アシェルくんの姿が見えないようですが、今日はお休みでしょうか?」
「あ…………残念ながら。アシェル君は二日前にダミアン先生に『連行』されてしまってから、まだ戻っていないんです。彼の魔力操作の感覚が、どうしても先生の実験に必要だそうで」
「…………二日間、ですか?」
フローレス殿は、戸惑うように瞳を揺らした。
きっと彼は、アシェル君に線を引くために多用している『研究に集中したい』という建前を忘れて、彼の居ない二日間ずっとアシェル君の身を案じている事に、自身でも気付いていないのだろう。
「そうご心配なさらず。彼のことだから、実験が終わればすぐに戻ってくるでしょう」
「っ……心配、だなんて。ただ、隣室が静か過ぎて、調子が狂う、と言いますか……。いえ、静かな方が、集中…………………わ、私は研究に戻りますので、失礼します」
彼はそう言って踵を返したけど、その足取りはどこか落ち着かなかった。
(……なるほど。アシェル君の宣言通り、君はもうフローレス殿の日常の一部になっているんだね。そして、その日常を奪われることは、彼にとっても大きな動揺に繋がるらしい)
僕が研究室に戻ると、ゼノが心配そうに立っていた。
「……フローレス殿は、アシェル殿の不在に随分と動揺されているようだな」
「うん、ゼノの言う通りだね。彼の動揺は、僕がアシェル君の不在に感じる寂しさとよく似ているかも」
僕は椅子に座り、ため息をついた。
「アシェル君は、初めてできた、僕の信頼できる友人だから。その彼が……僕じゃなく、別の誰かを最も大切にしているのを見るのは、やっぱり淋しいな。でもそれは友愛という感情だから、僕が彼に『一番』を求めるべきじゃないのは分かってる……」
僕がそう言うと。
「わ…………!」
ゼノは僕の腕を引いて椅子から立ち上がらせると……。
その勢いのままに、僕を彼の胸元に閉じ込めるように抱きしめた。
「なあニコ、俺ではニコの『淋しさ』の埋め合わせにはならないのか?」
二人きりのゼノは、いつもの従者としてのゼノとは、口調も態度も距離感も……何もかも違っていた。
親愛の情と、僕への独占的な愛情が込められた声が、すぐ近くで響いて。
僕はじわりと胸が痺れるのを感じながら、そっと彼を抱き返した。
「ううん、ゼノ。君は、僕にとってそれ以上の存在だよ。アシェル君の友情は……僕にとって失いたくない大切なものだけど。ゼノの愛は、僕にとって、もう欠かせないものだから」
言葉にした瞬間、僕の中のアシェル君への友情からくる淋しさや嫉妬は、ただ穏やかに凪いでいった。
僕の心が本当に求めるものは、いつだって、一番近くにいたゼノなのだと再確認したから。
◇ ◇ ◇
【SIDE Asher】
あれ以降、ダミアン先生の実験に付き合わされている僕は、二日二晩ほとんど寝る間もなかった。
意識が朦朧とする中、僕はふと、なぜか研究棟の三階の廊下に立っていることに気が付いた。
「…………アシュ坊。ここまでだ。あとは自力で戻れ」
影から現れたのは、Jだった。
どうやらJが、ダミアン先生の研究室から僕をここまで連れ出してくれたらしい。
「Jくん…………助かったよ。でも、なんで……?」
「何でもクソもあるかよ。たまたま様子見に来たらダチが過労死寸前だぁ?んなの助けるに決まってんだろ……」
Jはそう言うと、僕の額に触れた。
「おいアシュ坊、特別に隠匿かけてやるけど、一回解いたらお終いだから気ぃ付けろよな?解除自体は結界の解除と同じでいい。…………あのイカレ教師にだけはぜってぇ見つかるな」
Jの指が離れると、僕の身体は"透明"になり、Jもそのまま姿を消した。
……影用のお互いが見えるっていう魔道具持ってないと、自分自身でさえも視認できないんだな。
僕は隠匿のままで、チームの研究室である301号室の前まで急いだ。
疲労困憊で早く寝たいのももちろんあったけど、それよりダリルさんを一目でも見て心の充電をしたいという執念が僕を突き動かした。
ようやく301号室の前まで辿り着いた時、中から誰かの話し声が聞こえてきた。
「――俺ではニコの『淋しさ』の埋め合わせにはならないのか?」
(っ!?ゼノの声、だよね…………ニコってだれ……)
聞いたこともない口調のゼノが、知らない名前を口にしている……。
果たしてこれは現実なのか、限界を越えた疲労のせいで幻聴が聞こえてるのか……。
「――僕にとって失いたく大切なものだけど。ゼノの愛は、僕にとって、もう欠かせないものだから」
(今度はクラウス!?…………やっぱり何かおかしいんだけど……?)
二人の会話が、雰囲気が、僕が知っている「主従」のソレではないことに気づき、僕は少しドアから離れた。
その時。
隣の302号室のドアが、ゆっくりと開く音がした。
ドアの隙間から、ダリルさんが顔を出した。
廊下に誰もいないことを確認すると、ダリルさんは一歩だけ前に出て、僕たちの研究室のドアをじっと見つめる。
その顔は、いつもの冷静なダリルさんからは想像できないほど、不安と疲労を滲ませていた。
……もしかして、彼は僕が来るのを待って?るんじゃないのか?
毎日きっちり三回、決まった時間に顔を出すはずの僕が来ないから、心配?して……?
(……ねぇ、ダリルさん!僕が毎日、挨拶とタルトを持って行っていたのが、もうあなたにとっても日常になってたんですか?その日常が突然奪われたから、こんなに動揺しているんでしょうか……!?)
僕は、酷使され過ぎてもうほとんど働かない脳で、正常かどうかも分からない判断を下して。
自分の目にすら映らない透明人間なままで、届かない叫び声をあげた。
いつの間にか近くまで来ていたダリルさんは。
僕たちの部屋の前でしばらく立ち尽くした後、小さくため息をつき、静かに部屋に戻ろうとした。
僕は、彼の部屋のドアが完全に閉まる直前、隠匿の術式を解除した。
最後にもう一度振り返った彼の視界には、突然僕の姿が現れたように映ったことだろう。
精神疲労でズタボロ、制服はヨレヨレ、髪もボサボサの見るも無惨な姿の僕が……。
「えっ?え、え?…………あ、アシェルくん!?」
ダリルさんは、まるで幽霊でも見たかのように目を見開いて、だけどすぐに僕のもとへ駆け寄ってきた。
「アシェルくんっ、きみ、その姿…………ふ、二日も……!連絡もなしにっ、クラウス王子から聞いたけど、キャンベル先生の実験に付き合わされていたって……どうしてそんなになるまで無理するの!」
ダリルさんの声は、怒りと安堵が入り混じっているみたいだった。
そして、その瞳には昔みたいな強い保護欲が宿っていたけど、なんかもう今はそれでも良かった。
こんなに心配してくれたんだ、という喜びで胸がいっぱいだったから。
(そうだ、今はこれ以上の言葉はいらない。『弟フィルター』はまだ完全には外れてないかもしれないけど、僕の不在が、こんなにもこの人の日常を乱すなんて……)
僕は、ダリルさんの心配そうな顔を見て。
「今日も大好きです」といういつもの挨拶は、なんだか今じゃない気がして……あえて飲み込んだ。
「ごぇんなさぃ、だりるさん…………ぼく、いぁすぐ……すこし、ねない……と……」
あまり呂律が回らないままそう言って、僕は倒れるように自分の部屋のドアを開けた。
「ちょっ!?ちょっと、待ちなさい!アシェルくんっ」
後ろからダリルさんの慌てた声が追いかけて来たけど、僕はその声が嬉しくてたまらなかった。
ふらりと倒れ込んだ僕を誰かが支えてくれたけど、ほとんど眠りに落ちかけていた僕には、それが誰の腕だったのか分からなかった。
ふわりと僕の好きな香りが掠めた気がした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(ゼノ×クラ確定演出きたぁ……!)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




