八話◇脳内会議(物理)
発想の転換
ダミアン先生の帰還命令で、慌てて図書室から走り去って。
研究室で、先生の過剰な要求に応えながら、事前に取り決めたノルマ分の実験を終えた。
さすがに実験中はそれに集中していたけど。
家に帰ってからの僕の頭の中は、図書室であった一連の出来事…………特にダリルさんの事でいっぱいだった。
あの時ダリルさんが不機嫌だったのは、僕がオリアナ嬢と親しくしていたせいだったのかもしれない……。
もし本当に嫉妬してくれていたんだとしたら、それは僕にとってめちゃくちゃ嬉しいことなんだけど。
確信を得る前に、時間切れになってしまった。
何よりも。
ダリルさんと妙にギクシャクした雰囲気のままで別れてしまったことが、僕の心に重くのしかかっていて。
部屋の隅っこに嵌ってうずくまりたいような気分になってきた時、ノックの音が響いた。
「アシェル、今ちょっといいかい?」
次いで聞こえてきたのは、兄様の声だった。
兄様がこんな時間に僕の部屋まで来るのはわりと珍しくて、僕は不思議に思いながらも扉を開けて兄様を迎える。
「兄様?大丈夫ですけど、どうしたんですか?」
「うん、図書室での事について聞きたかったんだけど…………酷い顔色だね……」
幼い頃の名残で、カーティス兄様は僕の首元や額に手を当てて、体調を確認する。
もう発作が起きる心配はないんだけど、長年染みついた習慣はなかなか変わることはないみたいだ。
「体調じゃなくて、こころの具合が悪いだけなので大丈夫ですよ……」
「……それは大丈夫とは言わないんじゃないか?」
「あはは…………そうかもですね。……兄様、あのあと、ダリルさんは何か言ってましたか?」
兄様の正論を無気力に肯定した僕は、ほぼ無意識に、僕があの場を離れたあとの事を尋ねていた。
「あのあと?……ああ、それを気にしていたのか」
フッと小さく笑みをこぼす兄様。
少しだけ僕の髪をかき混ぜるように撫でると、そのまま言葉を続けた。
「心配しなくても、ダリルは別に怒ってなんかいないよ。むしろ変な態度を取ってしまって、君に謝りたいと言ってたくらいだ。君が知りたい事は……"後"ではなくて"その前"の事かもしれないね」
「その前…………ですか?」
兄様からダリルさんはもう怒っていないと聞けて、少しは安心できた僕だったけど。
最後の謎かけみたいな言葉がよく分からなかった。
「うん。ダリルは、ブルクハルト嬢と親しげに話す君を見て、酷く狼狽えていたんだ。まあ、僕自身も動揺したのは事実なんだけれど」
「え」
兄様から見ても分かるほどに、僕とオリアナ嬢を見たダリルさんが、狼狽えていた。
その言葉は、消し切れずに燻っていた期待に小さな火種を落とす。
そのまま勢いよく燃え上がりそうになった時――
「嫉妬したんだそうだよ。可愛い弟分を取られたみたいでモヤモヤする、だったかな。僕には、とてもそんな可愛らしいものには見えなかったけどね」
どこまでも付きまとう『可愛い弟』という言葉に、花開きかけた僕の希望は、また固い蕾に戻ってしまった。
果たしてこの場合、"可愛い"の部分と"弟"と、どちらがより深刻なんだろうか。
「そう、なんですね……」
ぼんやりと返事をしながら。
僕は、弟分というところにばかり気を取られすぎていた兄様の言葉を、もう一度じっくりと吟味するために脳内会議を開いていた。
その結果、頭の中で(やっぱり僕のポジションは可愛い弟のままなんだ……)と落ち込む僕Aを、(どんな形でも嫉妬は嫉妬だろ?これは大きな前進だ!これから先の未来に望みをかけろ!)と鼓舞する僕Bが、気合いのビンタで吹っ飛ばして。
その後、(落ち込むのは時間の無駄だって、何回言わせるつもりなんだー!)と、僕CがAにさらに追い討ちをかけているところで、兄様の声が聞こえて。
そこで会議(肉弾戦)は終了となった。
「アシェル?急に黙り込んでしまったけど、本当に大丈夫かい……?」
「あっ、はい!兄様のおかげでもう大丈夫になりました。ありがとうございます、カーティス兄様」
「うん……?それならいいけど……。確かに顔色も良くなったね」
そう言って兄様は、穏やかに微笑んだ。
見守る会(だったっけ?)の人が見たら卒倒するんじゃないかと思うような、破壊力バツグンの笑顔を眺めていたら。
僕はふと、兄様がここに来た理由を思い出した。
「あれ?そういえば兄様、聞きたいことがあるって言ってました?」
「うん、まあ……もう遅いし、そこまで大層な事でもないからもう良いかな?ゆっくりおやすみ」
そう言って、僕の頭をぽんぽんとしてから、兄様は退室していった。
用事があって訪ねてきてくれたのに、僕のことばっかりで申し訳ないことしちゃったな……。
そんな反省をしながら、僕は寝る支度を済ませてベッドに横たわった。
目を瞑り、眠りではなく思考に沈む。
今後のダリルさんへのアプローチの仕方や、今の状況を冷静に考えるために、僕は一度、"当事者"ではなく"他人事"として捉えてみることにした。
(……そうだなぁ。嫉妬をするって事は、少なからず「独占欲」や「執着心」があるはず……)
(そういう気持ちって、恋愛感情と混同してしまったり、場合によっては本当にそこまで発展する事もあるよね……)
(……ってことは!?このままアピールを続けていけば……好きになってもらえる可能性は、ちゃんと……あるんだ……!)
これが『深夜テンションが導き出した珍回答』である可能性は捨てきれないけど、落ち込んでるよりはポジティブになった方がいいに決まってる。
ひとまずそう結論付けて、僕はすっかり前向きな気持ちで眠りについた。
◇ ◇ ◇
あれから、相変わらずダリルさんとは滅多に会えない日々が続いた。
謎のポジティブ思考に取り憑かれた僕は。
顔を合わせる度に、必ず一度は『好きです』と伝えるようになったけど。
果たしてそれに効果があるのか、それとも逆効果だったりするのか。
分からないまま時間だけが無情に流れていく。
まあ、学園生活自体は本当に充実しているし、無為に過ごしているわけじゃないんだけど。
たとえばクラウスとの合同研究は、あらゆる植物の生育環境の改善に繋がると評価を受けて。
今では僕たちの手を離れて、専門の研究者達へと引き継がれていた。
「少し寂しい気もするけど……もう本業が学生である僕達の手に負える規模ではなくなってしまったし、仕方ないよね」
そう言って笑うクラウスは、ちょっと無理してるみたいな表情だった。
「そうだね。また何か一緒にやってみる?『感情・イメージによる術式構築理論』の片手間になっちゃうかもだけど……」
「……フフ。片手間に出来ないような魅力的なテーマを見つけてあげようか?」
「ええ!?やめてよー、メインが捗らなくなっちゃうじゃん……」
慰めるつもりで言ったのに、なにかに火を付けてしまったみたいだ。
僕がゼノの席を借りているので、クラウスのすぐ隣の窓際に立っているゼノにも……ギロリと睨まれてしまった。
「今日こそ不敬で処してはいけませんか?」
「だめだよ、ゼノ」
こんなやり取りも日常になっていた。
そんなある日。
中等部の掲示板に、一つの告知が貼られた。
それは三ヶ月後、夏季休暇の直後に開催される「高等部・中等部合同 成果発表会」の案内だった。
例年、高等部の上級生がメインだけど、優秀な中等部生も審査さえ通れば参加できるというものだった。
(これは……ダリルさんに、弟や後輩じゃなくて『一人の対等な男性』として僕を意識してもらうために、最大限にアピール出来るチャンスかもしれない……!)
僕は、教室に着くなりクラウスの元へ一直線に進み、話しかけた。
「ねえクラウス。本当に、片手間に出来ない魅力的なテーマを探さない?」
クラウスはきょとんとした顔で、何度か瞬きを繰り返したあと、彼にしては少し強気な笑みを浮かべた。
「いいね。実はもういくつか候補を絞ってあるんだ」
そう言って珍しい顔で笑うクラウスを、ゼノが眩しそうに見つめていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(脳内天使と悪魔はいないのかな……?)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




