七話◇不機嫌な女神
タイミングってもんがあるでしょ……!?
オリアナ嬢が逃げ去った後。
テラス席には、月涙草の鉢植えと、微妙な空気の中に立ち尽くす僕たち三人が残された。
気まずい沈黙を破ったのは、兄様の声だった。
「あれほど取り乱していても、淑女の矜持として早足までしか出来ない、か…………いかにもブルクハルト嬢らしいね」
囁くような声でそう言った兄様は、穏やかに笑っていた。
その言葉に、僕もダリルさんも、少しだけ緊張が解けるのを感じた。
「僕、今日はこれをオリアナ嬢に渡しに来たんですけど…………置いて行っちゃいましたね……」
そう言って鉢植えを手に取ろうと手を伸ばしたら、僕よりも先に兄様がそれを持ち上げた。
「ねぇアシェル。この月涙草は、僕からブルクハルト嬢に届けることにするよ。彼女にはいくつか聞きたい事も出来たし、ね?」
「そうなんですか……?じゃあお願いします」
なんとなく有無を言わせない雰囲気を感じたけど。
僕としても、何度も高等部までオリアナ嬢に会いに来るのもどうなのって感じだし、素直に兄様に任せることにした。
「アシェルとダリルは、近ごろ顔を合わせる機会も減っただろう?僕はこの文献を読んでいるから、少し二人で話すと良いよ」
兄様はそう言って、僕とダリルさんからちょっとだけ離れた席についた。
「……アシェルくん、ブルクハルト嬢とずいぶん親しいんだね。名前で呼び合うくらい仲が良いなんて、ちょっとびっくりしちゃった」
兄様が離れたあと、ダリルさんが口を開いた。
その声は、僕が予想していた「いつもの優しいダリルさんの声」ではなく、どこか冷たい感じがした。
表情もなんとなく曇っているというか…………なんだか機嫌が悪そう……?
(えっ、ダリルさん、なにか怒ってる……?まさか、僕とオリアナ嬢が親しくなったことに、嫉妬してくれてる?………………いや、そんなわけ無いでしょ……何か嫌なことでもあったのかな……)
不機嫌なダリルさんなんて初めて見た僕は、とても狼狽えていた。
都合の良い勘違いをしそうになるほどに。
「は、はい。色々と事情があって、親しくなったといいますか。オリ……ブルクハルト嬢が『普通の口調で話すのを許す』と言ってくれたので、お言葉に甘えて。いや、あのっ。断じて僕から馴れ馴れしくしたわけでは、ないんですけど……」
戸惑いながら説明をする僕を、ダリルさんは、温度のない瞳で静かに見つめていた。
その視線は、僕の胸にチクチクとした痛みを覚えさせた。
「色々と、事情かぁ。よく分からないけど、アシェルくんが楽しそうで良かったよ」
そう言って微笑むダリルさん。
だけど、やっぱりそれはいつもの柔らかい笑顔ではなくて、儀礼的に笑っているような顔をしていて。
不安に駆られた僕は、とりあえず話題を変えてみることにした。
「あ、あの……ダリルさんっ。実は、最近転入してきた友達と共同で、新しく進めている研究があって……!『植物における光魔力の動態』っていうテーマなんですけど……」
僕は、ただの日常会話ではなく、"研究者"としての話題を持ち掛けてみようと。
月涙草の問題解決から発展していった、クラウスとの研究について切り出した。
さっきまで冷たく感じていたダリルさんの瞳は、研究テーマを聞いた途端に好奇心がきらめいて。
ようやくいつもの温度を取り戻したようだった。
「『植物における光魔力の動態』?それは興味深いね。光魔力の注入方法の効率化を試したりしてるの?」
「……はいっ!従来の術式では…………」
意気揚々と僕が理論を話し始めると、兄様も近くの席に戻って来て、話に加わった。
ダリルさんと兄様は、時折り共に意見を交えながら、真剣に話を聞いてくれた。
「すごいよ、アシェルくん!……それにしても、突然植物についての研究を始めるなんて、なんか意外だね?」
そんな風に言われて、僕は深く考えずにそのまま返事をしてしまった。
「ああ……。確かにきっかけは、オリアナ嬢のためだったから。言われてみれば僕の個人的な研究路線からは離れてますね」
いつも通りのダリルさんに戻ってくれたことが嬉しくて。
僕の言葉が、せっかく変えた話題を元に戻してしまったことに、気付かなかった。
「そう、なんだ」
そのたった一言が放つ異様な冷たさに、僕の心臓が嫌な音を立てて脈打つ。
無機質なのか冷たいのか熱いのか。形容できない思いをはらんだようなダリルさんの瞳。
「え…………ダリル、さん……?」
分からない。
何が彼をそうさせているのか分からない。
ただただ強烈な不安に襲われて、僕は縋るように彼の名前を呼んだ。
「なぁに、アシェルくん」
「…………やっぱり今日、なにか、怒って……ますか?」
「………………え?」
瞬間、ダリルさんの表情が困惑に染まり、驚いたように瞳を瞬かせた。
僕も、予想外のその反応にびっくりして、呆然と彼を見つめていた。
視界の隅で、兄様が机に頬杖をついて"あさっての方向"を向いたことが分かった。
「え?あれ、わたし…………お、怒ってない!怒ってないよアシェルくんっ。イヤな態度取っちゃったかな?ごめんなさい……!」
手のひらをこちらに向けて、それを横にぶんぶんと振りながら、慌てるダリルさん。
普段真っ白なその頬を真っ赤に染めて、必死なその様子に。
(……まさか、本当に…………嫉妬だった?)
僕はそんな期待が膨れ上がるのを止められなかった。
「ね、ねぇダリルさんっ!僕は……」
意を決して、僕がダリルさんの目をまっすぐに見つめて、「もしも嫉妬してくれたんだとしたらすごく嬉しい!」と。
そう言おうとした、その時だった。
僕が上着の内ポケットに入れていた研究員バッジが、突然、大きな音声メッセージを発した。
「――アシェル・ガルブレイス君!何処で油を売っているのかは知らんが早く研究室に戻りたまえ!君が居なければ、今日の実験は進められないだろう!」
それは、このバッジを僕に持たせている張本人である、ダミアン先生の声だった。
テラスどころか図書室にすら響き渡る大音量に、周囲の高等部生が一斉にこちらを振り返る。
(う、嘘でしょ……!?今、僕、ダリルさんに大事なことを言おうとしてたのに!)
僕は、この静かな場所で騒ぎを起こしてしまったことが恥ずかしくて。
顔を熱らせながら、バッジの音量を慌てて下げた。
「す、すみませんっ、ダリルさん、兄様!僕、研究室に戻らないと……!今日の実験は、僕にしかできない工程があるんです!」
言いながら、広げていた資料をまとめ始める。
この場を離れたいわけじゃないけど、遅くなったらそれこそダミアン先生がここまで来てしまうかもしれないし……。
それだけは絶対に避けたかった。
「分かったよ、アシェル。慌てるのは分かるけど、気をつけて戻るんだよ」
そう言って兄様は微笑んでくれたけど、ダリルさんは、僕が立ち去るまで、微妙な表情をしていた。
(ううっ……こんな変な感じのままで、ダリルさんと離れたくなんてないのに…………!)
結局、ダリルさんの不機嫌の理由を確かめることも、僕の「希望的観測」を伝えることもできないまま、僕は高等部図書室を後にしたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(もっとじれじれしてもらわないと……ね?)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




