【幕間】影の観察(少年の疾走)【第二章◆完結】
――並走する影
アシェルの怒涛のような三年間の始まりは、本来アリシアの護衛である影の仕事内容をも変貌させた。
少年が「感情・イメージによる術式構築理論」という大それた目標を掲げて以来、ガルブレイス邸の書庫は、彼にとっての戦場となった。
一時は図書室を好んでいた彼だったが、やはり書庫の方が馴染み深く、落ち着くようだ。
アシェルは中等部の教科書と、彼以外にはおそらく理解できないであろう前世の記憶に基づく膨大なメモ……。
そして『カスタードタルト=最強の栄養食』という謎理論に基づいたタルトを傍らに、学園に通う時間以外はひたすら机にしがみつき続けた。
「まーた書庫で寝落ちかよ。アシュ坊のヤツ、マジで寝る時間以外、意識ん中ぜんぶ研究しかないんじゃねぇの?頭おかしいだろ……」
このようなJの嘆きは、日常の一部となっていた。
今の彼の主要な任務は、書庫の椅子で体力を使い果たして眠る小さな友人を、主寝室まで運ぶことだ。
その任務も、存外楽ではなかった。
初等部二年生になったアシェルの身体は、見た目以上に重い。
それがさらに意識の無い状態ともなれば、Jが愚痴の一つも溢したくなるのは自明の理と言えるだろう。
今でも続いている、週に一度のダリルの来訪。
彼が訪れるその日だけが、アシェルが書庫から出てくる唯一の時間と言っても過言ではなかった。
◇ ◇ ◇
「アシェルくん、ちょっと休憩しようね?ほら、今日のタルトだよ」
「えへへ、いつもありがとうダリルさんっ。僕もうダリルさんのタルトがないと生きていけないかも」
「…………もうっ。そんなこと言って、ちゃんとご飯も食べないとダメだよ?」
定番になりつつある二人のそんなやり取りを、Jは文字通り影として見守っていた。
(研究で頭使い過ぎてんのか、それ以外の言動がちょっとアホになってるっつーか…………色々ダダ漏れなんだよなぁ。アシュ坊は気付いてねぇけど、女神さんたまに狼狽えてるよな……?)
以前であれば照れていたであろう言葉でも、平然と口にするようになったアシェル。
目の前の少年の変化を、彼の最愛はどう感じているのか。
難解な理論にそれほど関心のないJには、そちらの方がよほど興味を惹かれているらしく、ダリルの反応をつぶさに観察していた。
今やカーティス以上に二人を注視しているJから見ても、アシェルに向けたダリルの優しさは天井知らずで。
いつかアシェルが語っていた「ダリルさんは本当に女神の現身なのかもしれない」という言葉が、いよいよ真実味を帯びてきたと感じる程だった。
アシェルの口から「意識の集合体」「ブドウ糖の作用」といった理解不能な話が飛び出しても、ダリルはいつも微笑みながら全てを聞いてやっていた。
いつの間にか、音もなく隣に陣取っていたKに、Jは驚くこともなく話しかける。
「なあK、女神さんってすげぇよな?アシュ坊の頭ん中にあるモンがさ、どれだけ理解できねーような事だったとしても、絶対否定しねぇんだ」
「…………花の君は坊ちゃんを信じているんだろう。それに、坊ちゃんのあの情熱は……誰かが否定していいようなものでは無い」
「……そうかもな。まっ、俺たちはお嬢とアシュ坊の成長を黙って見守ってりゃーいいか!」
Jは、「お前が黙っていた事があったか?」とでも言いたげなKの視線を完全に無視して、軽く伸びをした。
◇ ◇ ◇
初等部三年生にもなる頃には、アシェルの身体は急速な成長を続けていた。
本人としては、研究に没頭し始めた当初から、日付が変わるような時間まで起きていられない事に嘆いていたが、結果的にはそれが僥倖だったといえるだろう。
背は伸び、声変わりも始まり、子供の愛らしさの中にも、鋭い知性と集中力を宿した青年の片鱗が混ざり始めた。
ようやく眠気の限界を受け入れることにしたらしいアシェルは、書庫で力尽きることもほぼ無くなり。
Jの主な仕事も「寝落ちの回収」から「検証中の護衛」へと移行していた。
アシェルが編み出した『精神世界でのイメージ増幅の術式』の検証は、時として体温の過上昇や急激な魔力消費を伴うため、Jも傍で細心の注意を払って見守りを続けた。
その魔力の波は、兄であるカーティスのそれに匹敵するほどの威圧感を放つことさえあった。
アリシアは、準成人を迎え嫡男としての勉学などで多忙な兄に代わり、定期的にアシェルの理論の進捗報告を受ける役目を負っていた。
「すごいわ、アシュ。あなたのその理論、立証されれば歴史が変わりそうね……。それにしても、あなたをそこまで駆り立てているのって、本当にフローレス様への想いだけなの?」
「もちろん……って言いたいけど、やっぱりリシュにはなんでも分かっちゃうのかな……?」
少し気まずそうに呟くアシェルだったが、そのまま真っ直ぐにアリシアの目を見つめ返した。
「まず、僕が三年で理論を完成させるって決めたのは、間違いなくダリルさんの隣に立つためだよ。この気持ちは変わらない……どころか日増しに強くなってる。だけどさ、それだけじゃなくて。どうやら僕、純粋に魔法の研究自体もかなり好きみたい」
彼のその言葉は、その場にいたアリシアと影二人、全員にとってすんなりと腑に落ちるものだった。
愛と知的好奇心を糧に、がむしゃらに突き進むアシェルの前代未聞の挑戦は、アリシアにとっては最早「幼い兄の可愛い片思い」の域をとうに越えたものに見えていた。
片割れである自分を置き去りに、一人で大人になろうとする彼の姿は、少女の心にも無自覚に火種を落とした。
「なぁK。最近じゃお嬢の目の色も変わってきたよな。アシュ坊に対するあれって、もう親愛だけじゃねぇぞ……」
「…………お嬢様も、様々な思いを抱えていらっしゃるんだ。双子として……いや。双子だからこそ、今の坊ちゃんに対抗意識を燃やされるのも当然なのかもしれない」
アシェルに続き、アリシアまでもが中等部課題の論文に手をつけ始めた事に、KとJは内心で頭を抱えていた。
◇ ◇ ◇
(もう丸三年くらいか……。早いもんだな)
同じような日常を過ごしながらも、日々目覚ましい変化を遂げていく少年に、Jは感嘆の息を漏らした。
(あの集中と持続力には恐れ入ったけど、少しは見守る方の身にもなってほしいもんだぜ…………)
これまでの苦労を思い起こし、人知れず遠い目をするJだった。
渦中の少年も、今や初等部最終学年となっていた。
中等部進学を目前に控える頃、アシェルはついに「感情・イメージによる術式構築理論」の理論骨子……いわゆる重要な骨組みを完成させた。
その時には、彼の身長もついにダリルの肩に追い付き。
その整った横顔には、時折り「可愛らしい弟分」だけでは収まり切らない、青年の鋭利さが宿るようになっていた。
Jの仕事は、アシェルの研究の進歩と共に軽減されていった。
あとに残された役割は、アシェルが論文を仕上げるその瞬間まで、ただ静かに見守ることだけ。
唯一頭を悩ませることと言えば、秘密を共有した当初からの面倒ごとである『上層部への定期的な監視報告』への対策についてだった。
いよいよ中等部進学まで直前のある日、ダリルとアシェルは二人でティータイムを楽しんでいた。
実際には二人きりではなく、いつも通りのJと、Jに遮音と隠匿をかけさせたアリシアが潜んでいたが、二人には知る由もないことだった。
アシェルは、以前より低く、しかし凛とした声でダリルと話をしていた。
ふとした瞬間に、ダリルはいつものようにアシェルの頭を撫でようと手を伸ばしかけ…………しかし、その手は躊躇うように空中で静止し、きゅっと緩い拳を作った。
Jとアリシアは、ダリルのその戸惑いを観測し、思わず顔を見合わせる。
ダリルの中で、もうアシェルを「子供」として無邪気に扱えなくなってきている。
どこまでも鈍感なように思えたダリルもまた、彼の『可愛い弟分』が少年から青年へと変化していくさまを、肌で感じ取っていたのだ。
ダリルは、頭を撫でる代わりに、そっとアシェルの肩に手を置いた。
「アシェルくん……。理論骨子の完成、本当におめでとう!きみの才能は、もうわたしの隣なんて、とっくに越えてしまっているのかもしれないね……?」
その言葉を聞いたアシェルの瞳は、以前のような悔しさや熱狂ではなく、純粋な喜びに満ちていた。
アシェルの悲願であった、想い人の中でのポジションを「可愛らしい子供」から「対等な一人の青年」へと昇華させること。
それがようやく成就されそうな気配に、Jは珍しく素直に祝福を伝えたくなった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
これにて第二章は完結となり、
次回からは 第三章◇中等部一年生編 が始まります!
三章からは
番外の新シリーズ【Past Day (過去の日)】という
ダリル視点の過去回想が、本編の合間に挟まってくるようになります。
読まなくてもアシェル視点のストーリーに支障はありませんが、
「あの日のこたえあわせ」として、
こちらも合わせてお楽しみいただければ幸いです。
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【お知らせ】
第二章の完結祝い&エピローグに
本編の最新話として「画像なしの簡易版キャラ紹介(第二章版)」を
4月2日に定期外投稿いたします。
そして、4月1日には【エイプリルフール特別番外if】も投稿予定です。
連日の更新になりますが、ぜひお付き合いくださいませ!
今後も乙兄、そして成長を続けるアシェルくんを
どうぞよろしくお願いします(*^o^*)
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【 SYSTEM MESSAGE 】
2-1:ガルブレイス侯爵家 の update 申請を受諾。
2-2:オルドリッジ侯爵家 の update 申請を受諾。
2-3:グランディールの王家 の update 申請を受諾。
2-4:フローレス伯爵家 の update 申請を受諾。
ーー 更新処理中••• ーー
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