十四話◇白い息の向こう
割れたフラスコよりも……
あのあと。
ダリルさんは早々に『ほぼ完成の論文』を卒業課題として提出を済ませてしまい、実質卒業済みのような、形としての卒業を待つだけの身となった。
同じ頃合にカーティス兄様も同様の状態となり、二人が学園に顔を出す日も少なくなっていた。
来ていたとしても、兄様とダリルさんが今後のことや進路について話し合うためだったり、残り少ない学園生活をのんびりと満喫するためだったりして。
僕がダリルさんとふたりだけで研究棟で過ごせる時間は、ほとんどなくなってしまった。
僕はと言えば……。
ダリルさんが論文を未完のままで提出してしまってからというもの、なんとなく"燃え尽き症候群"のような気持ちに陥ってしまっていた。
それでもイデアの研究は続けているし、相変わらずダミアン先生に引きずられながらこき使われたりで、研究や実験から遠ざかっているわけではないけれど。
ただ――
降り積もる雪のように、しんしんと心を冷やしていく切なさが静かに体温を奪っていくことに、僕は抗う術を持っていなかった。
(どれだけ寂しがったって、意味ないのは分かってる……。分かってる、けど……)
冷え切っているくせに、暖かい屋内に居たくなくて。
学園内にある花の庭園のベンチで、ひとりで本を開いていた。
さっきからずっと同じページを開いたまま、ただ座って時間を浪費しているだけだったけど。
(昼休憩が終わる前には、戻らないといけないよね……。あとどれくらいかな……)
そんなことをぼんやり思った時だった。
コツ……と、石畳に足音が響いて。
「……アシュ」
ハッと顔を向けると、そこにはほどけていく白い息の向こうに、鼻先を赤くしたアリシアが立っていた。
「え、アリシア……。どうしたの? こんなところで……」
「それはこっちのセリフよ。まったく、なんだってこんな所に居るのよ……」
どうしてここが分かったんだろう。
こんな時期にわざわざ休み時間に外に出る人なんて少ないし、誰にも見かけられていないと思ってたのに。
「…………ひとりに、なりたくて」
「ダメよ」
「え…………?」
ぽつりとこぼれた消え入りそうな言葉に、アリシアが間髪入れずに拒絶の意を重ねた。
思わぬ展開に、大きく瞳を瞬いてアリシアを見つめる。
「ダメよ、アシュ。許さない」
「な、なにが……?」
アリシアの息は、言葉と同じように熱かったのだろうか。
話すたびに付近の空気が白く染まり。
少しだけ彼女の姿を揺らがせた後、また白はあたりに溶けて消えていく。
コツリと小さな足音を鳴らし、僕のすぐ近くまで歩み寄ってきたアリシアは。
座ったままの僕のジャケットの襟元をグイッと掴んで、見下ろしながら宣言した。
「わたしという半身がありながら、"ひとり"になれるだなんて思わないで」
「っ……!?」
彼女の言葉は、酷く傲慢な響きを持っていたけれど。
それ以上に深い愛情と痛いほどの優しさに満ちていた。
過去の行いが"アリシアを置き去りしていた"という指摘をされて、まだそんなに間も空いていないというのに、僕はまた……。
襟を掴むアリシアの手に自分の手を重ねて、同じ色の瞳を見つめる。
バツが悪過ぎて、逸らしてしまいたいけど、逸らしちゃいけないんだ。
「リシュ……。ごめん」
「それは何に対しての謝罪なのかしら?」
ジャケットを握る手からは、ほんの少し力が抜けたようだけど。
アリシアはスッと顎をそらして、やや眇めた瞳で僕を睨み付けた。
位置関係も相まって、久々の悪女モードはかなりの迫力で、僕は少し怯んでしまう。
「えっ、と……いろいろ……?」
「フン、話にならないわね。そんなのじゃ、誰の心にも響かないわよ? だけどわたしはあなたの唯一だから、許してあげるわ」
重ねていた僕の手ごと振り払い、腕を組んだアリシアがツンと澄ましてそんなことを言う。
相変わらずディスりとデレの境目が曖昧で、僕は複雑な気持ちになりつつも、なんとかお礼を言う。
「…………ありがとう……?」
「ねえアシュ、卒業がなんだっていうのよ。死に別れるわけでもあるまいし、機会が無ければ作ればいいの。会いたければ、今度はアシュがお屋敷まで会いに行けばいいのよ」
アリシアの言葉は、確かにそうかもしれないと思わせるような力を持っていた。
特に、"死に別れるわけでもあるまいし"というのが、『本来なら産まれてすぐに僕が死んでいたかもしれない』という事実を知ってしまっているアリシアの口から出たことが、より強く僕の心を揺さぶった。
だけど――
「それは、さすがに……」
フローレス邸に行けば、そこにはクリスタ嬢もいるかもしれないわけで。
……というのは建前で、今の『なんて名前を付けていいのか分からない関係性』のままで、どんな理由で家まで訪ねて行けばいいのか分からなかった。
「どうして? 高等部になったら、例のヒロインだというあの方の従妹だってAクラスに来るんでしょう? この際仲良くなって、お家に招いてもらえるようにでもなりなさいよ。性別がどうとか言うのなら、わたしだって、協力してあげるから……」
「リシュ……」
「だからっ……一人で泣こうだなんて、思わないで。あなたが壊れるところなんて見たくないの」
そもそも手紙の返事をしていないからクリスタ嬢と会うのは気まずいんだよ、とか。
ダリルさんが卒業しちゃうのはもう数ヶ月後で、クリスタ嬢が来る高等部までにはまだ丸一年以上もあって、それまで耐え切れる気がしないんだ、とか。
そんな風に、思うところは多々あったとしても。
今はただ、純粋にアリシアの気持ちが嬉しかった。
「ごめんね、リシュ……。なんか僕、いつも心配かけてばっかりだね……」
「そうよ! あなたはもっと、あなた自身が『誰かの大切な人』であることを、きちんと自覚すべきだわ……!」
それはまるで、気合いのビンタを全力で頬に打ち込まれたような衝撃で――
(……そう、だ。僕がダリルさんやみんなを大事に思うように、みんなだって……)
そんなの、知らないことじゃ無かったはずなのに。
逆の立場だったら心配するくせに、何が"ひとりになりたい"だ。
「ごめん……本当にごめんっ、リシュ……」
でも、少し俯瞰してみれば思春期ってそんなものなのかもしれない。
心から謝罪をしながらもそんなことを思う。
何度も間違えて、失敗して、謝ったり謝られたりを繰り返したり…………一世一代の恋をして周りが見えなくなったり?
(ところで僕って、前世では何歳まで生きたんだろう……)
「……このままだと、本当に100万回謝られることになりそうね?」
「あはは…………はぁ。そうならないように気をつけるよ……」
呆れたようなアリシアの言葉は、少しの核心と揶揄を含んでいて。
思わず漏れた苦笑いだったけど、どんな形でも僕はまだ笑えるんだと、自ら抱え込んでいた重石がふっと軽くなった気がした。
「しっかりしてよね? この世の終わりみたいな顔しちゃって……。突っ走るのはやめて欲しいけれど、落ち込みすぎるのはもっとやめて欲しいわ」
「うん、これからは気を付ける」
「どうにも信用ならないのよね……。まあいいわ、何度だって掴み上げてあげるから」
言いながら、片手で何かを掴むような仕草をしてみせるアリシア。
「それは…………襟首を?」
「ふふっ、そうよ。……そうだわアシュ。Jに感謝しなさいね? あなたがここにいることを教えてくれたのは、Jだから」
だんだんといつもの調子に戻ってきた僕は、その言葉に驚きを隠せなかった。
「え……。Jがなんでこんな時間に学園にいたの……?」
一応、名義上は「夜番」であるJは、昼間はそこまで活動してないはずなのに。
呆けている僕に、アリシアのツッコミと、おそらくJからの軽いデコピンが入る。
「いてっ……」
「あなたが心配だったんでしょ! こんな寒空の中でひとりぼっちの青春ごっこなんかしちゃって。これがガルブレイスの敷地内だったら、とっくにJが引きずって屋内へ連行してたわよ、きっと」
「……そっか」
(ひとりぼっちの青春ごっこか……言い得て妙だな……)
誰にでも訪れる『卒業』という当たり前の離別を、まるでこの世の終わりみたいに重く受け止める。
そんな僕は、側から見たら確かに可哀想というよりも「イタイ青春に溺れる子供」だったのかもしれない。
(まぁ……。ほんとに僕にとっては、この上ない一大事だったんだけどね……)
「ねぇ、わたしだって寒いの! 早く校舎内に行くわよっ……」
荒っぽい口調とは裏腹に優しく手を引かれて、アリシアとふたり歩き出す。
冷え切った僕の手よりも、ほんの少しだけ体温の残った僕よりも小さくて華奢な手は。
今の僕には、誰よりも強くて頼れるもののように感じた。
「ありがとう、ふたりとも……」
囁くような呟きは、音よりも白さの方が勝っていたかもしれないけど。
ふたりが微笑んだのか、冷たくて澄んだ空気が、ほんの少し柔らかくなった気がした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(アリシアちゃまはある意味ヒロイン……!)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




